西洋だというのは思い込みだった! アトランティス東南アジア実在説 1   | 知りたがりな日本人のブログ@インドネシア

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日本列島が大陸と繋がっていたのと同じ時代、東南アジアではインドシナ半島から南シナ海にかけては陸地でつながっていてスンダランドと呼ばれていた。これが縄文人の起源だったと言われれば容易に受入れられるが、実はこのスンダランドこそがアトランティスだったのだと言われてもそう簡単には信じられないかもしれない。

 

スンダランドがアトランティスだったという説は、「Atlantis :The lost continent finally found」ブラジルの地質学・原子核物理学が専門のアリシオ・サントス教授による2005年出版の著書によるもので、こちらではこの本を紹介する動画や、この説に基づく”真実の”歴史を読み解く動画が沢山あって、一旦聞いたら他の説が消えてしまうくらいのインパクトがある。

 

アトランティス伝説のそもそもの始まりは、古代ローマ時代の哲学者プラトンの記述。ひいおじいさんが子供の頃に友人のおじいさんから聞いた知り合いのおじいさんの友人がエジプトの神官から聞いてきた話、つまりまた聞きのまた聞きだが、その内容は実際にみてきた人の話のような詳細さがある。

 

その記述によれば、その大陸は”アトランティスの海””ヘラクレスの柱の外”にあると書かれている。そのために、現在アトランティス海と呼ばれる大西洋、ヘラクレスの柱と言われるジブラルタル海峡のすぐ外側にあるものとされてきた。わたしたちが、アトランティス大陸ときくと、ギリシアの神さまの名前がついているからローマかギリシア文化みたいなものだろうと真っ先に想像するのもそのようなところに発するのだろう。

 

アトランティス大陸が大西洋に存在するという説に基づく探索は、20世紀初頭に始まり、これまで大西洋の深海探査や音波探知、人工衛星やセンサー、レーザーなど軍事的な最先端の技術を駆使した大規模な調査がおこなわれたが決定的な証拠はまだ見つかっていない。大陸移動説に参照してもかつて大西洋に大陸が存在した形跡はない。地殻内に飲み込まれてしまったという説もあるがこれも仮説すぎない。


サントス教授によれば、プラトンが生きた古代ローマ時代にいうアトラスの海とは、陸全体を取り囲む全ての海を指すことは、古代地図からみても明らかであって、大西洋に存在したという証拠がないのなら、その他の場所をあたるべき。太平洋、インド洋に存在した可能性は否定できるものではないという。

 

実際、この古代ギリシア時代の記述が歴史上、最も重要な役割りを果たしたのは大航海時代。アトランティスの伝説をナビゲーターに”ヘラクレスの門”と呼ばれたジブラルタル海峡を通って新大陸に到達した人々は、マヤ人から、かつて一晩で沈んだ大陸が存在したという話を聞いて驚き、彼らがアトランティス大陸の生き残りであると信じたという。(ユカタン半島の祭司が解読したマヤ文書にも、一晩で沈んだ大陸のことが記載されていたが、母国へ運ぶ途中で失われてしまっている)

 

その一方で本土、欧州の知識人らは、現地に行ってきた人が主張する”マヤ人がアトランティスの子孫である”という説を受け入れず、それよりも、イエズス会伝道師が唱えたこれを否定する説を支持した。よくみかける17世紀オランダの聖職者による大西洋の真ん中にアトランティス大陸が描かれた南北さかさまの地図は、そのような主張を支持する目的で書かれた創作に過ぎないので惑わされてはならないという。

 

サントス教授は著書の中で、大西洋の他にアトランティス大陸が沈んでいるとして有力な候補地である、地中海やメキシコ沖などを一つ一つ取り上げ、プラトンの著書に記述された内容と合致しているかどうかを丁寧に検証している。

 

重要な条件の一つは、気候。プラトンの記述によれば、アトランティス大陸が存在したのは古代ローマ時代よりも一万年近く前の氷河期にあたる。その時点で繁栄した国があるとするならば、北半球ではなく赤道付近にあったと考える方が現実的だ。また、記述の中には、ヤシの実らしき植物の描写があり赤道付近の気候に属する特徴を示している。

 

その次に重要なのが、大陸の広さ。プラトンによれば、小アジアとリビアを合わせた大きさであったと記載されている。その通りの広さであれば地中海は狭すぎる。世界赤道付近にあり、実際に大陸が沈んだ形跡があるのはスンダランド以外にない。氷河期の終わり11,600年前頃から海面は100~150メートルも上昇したため、広大な陸地は海底の大陸だなと化し、元は山地や高地だったところが島になり、現在はインドネシアの領土になっている。

 

そして最もミステリーなのが、一晩で水没する条件だ。氷河の溶解によるのであれば海面はすこしずつ上昇するはずで、氷河の溶解は何千年もかかってゆっくり進むもの。一晩で水没するということはあり得ない。インドネシアの地図をみると、細長い島が縦に並んで弧を描くように連なっている。そこには、スマトラ島とジャワ島の間のクラカタウ火山を含む、爆発力の強いスンダアークと呼ばれる活火山が並んでいる。

 

氷河が溶解したことによって地殻活動や火山の大爆発が誘発されそれらの火山が一斉に噴火して、弧の内側に向かって超大型の津波が押し寄せたとしたとすれば、一晩で沈むような大津波が発生した可能性がある。ここまで条件の揃ったところは世界中どこを探しても他にはあり得ないと教授はいう。

 

また教授は一晩で沈んだ謎の大陸に関する神話や伝承が、インド洋や太平洋、各地に存在しているということにも注目した。大津波により故郷を失った彼らは災害を逃れて、インドやアフリカ、アラビア半島、太平洋の島々やアメリカ大陸に渡っていった。

 

アトランティス帝国はその頃、大艦隊を率いてアテネに侵略戦争を仕掛けていたというから、軍事力は元より、大陸から大陸へ海をまたにかけて移動することは実際的に可能だったようだ。逃げ延びた人々はその地で災害の経験を語り、子から孫へと語り継がれ、一万年以上もの時を経てエジプトから古代ローマに伝わって、アトランティス伝説という形をとったと考えると現実味が出てくる。

 

太平洋の真ん中にあったというムー大陸、そしてインド大陸沖にあったというレムリア大陸については、いずれも陸が沈んだ形跡はなく、証拠もみつかっていないので、幻の・伝説の大陸ということになっているが、呼び名と位置がずれているだけで実はスンダランドのことを言っていたのではないかと推察することもできる。


スンダランドが沈みはじめたのが紀元前1万2千年頃、プラトンの記述によればその頃すでに豊かな文明を持つ国だったというから、メソポタミア文明が始まったとされる紀元前3千5百年と比較しても四大文明よりもはるかに分厚い。スンダランドが存在した頃の地図をみると、大陸棚は日本列島の南側までつながっているということは、与那国島で発見された海底遺跡とも辻褄があう。

 

ナショナルジオグラフィック日本版を観ていて、現地をチェックした欧米人研究者らが、与那国島の海底での発見が”遺跡ではない。自然地形だ”と苦い顔で首を振っているのをみて悲しくなってしまった。地元を愛する研究者が何十年もかけて研究してきたことが、メディアという権威によってこんなにもあっさりと否定されてしまうとは。シビアな世界だなと思った。

 

このサントス教授の説も、やはり世界的にはあまり知られていない話。これまでの常識をひっくり返すような新しい発見は、本を出版した後、国際的な会議やフォーラムに登壇し、報道され議論され、世界的な認知を獲得していくものだというけれど、残念なことにサントス教授はこの本が出版されたのと同じ2005年に亡くなっている。

 

日本語版は「アトランティス、失われた大陸がついに発見された」というタイトルで2012年に出版されているらしい。

英語版しかみつけられなかった。

次回は、プラトンの記述を解くためにギリシア語から習得し、アトランティスの都、環状水路都市が沈んでいる場所を特定した国内の研究者の話。