インスタグラムやフェイスブック、TiktokやXなどのあらゆるプラットフォーム一斉に並んだ同じ画像。インドネシアの国章ガルーダの絵柄に”デモクラシー非常事態”という文字のこの青い画像は、
#Kawal keputusan MK(憲法裁判所判決を護れ)#TolakPilkadaAkal2an(小細工された地方選挙はお断り)#TolakPolitikDinasti(縁故政治お断り)というハッシュタグとともに一晩で100万回も拡散された。
Konsep Emergency Alert System (EAS) di Indonesiaというチャンネルに投稿された1991年が設定のミステリアスなショートムービーの一部から切り取られたというアナログな警報音が心をざわつかせる。
その翌朝、ジャカルタ、スラバヤ、ジョグジャカルタ、バンドン、スマラン、などの各大都市で一斉展開された大規模なデモ。学生団体や労働者党主導の大統領辞任を求めるデモは何度もあるが、この日のデモは規模も注目度もいつもと違った。
デモの背景
11月に行われる全国統一地方知事選挙の候補者登録がはじまる一週間前という絶妙なタイミングで下された、憲法裁判所の重要な判決二つ。
その一つは、先に最高裁判所が出した、地方知事立候補登録条件の年齢制限の条文”登録の時点で30歳以上”という箇所を”就任の時点”に変更する命令を認めないという判決。そもそも最高裁判所には、選挙に関する法律に干渉する権限はなく、最終決定権は憲法裁判所にあるのに、何故そんな無茶な命令が出ていたのか?
長男の次は次男
それは、現在29歳で誕生日が12月の大統領の次男を地方知事選挙に出馬させるための法律の変更。大統領は昨年、長男を副大統領候補に立候補させるために、憲法裁判長にやらせた法律の変更をもう一度やろうとしている。
ところが大統領の妹の婿でもあるその裁判長は、その後、倫理委員会からペナルティを与えられ、選挙にかかわる裁判に関わることが禁じられているので、最高裁判所にやらせたわけだ。越権行為だろうと何だろうと、判決さえあれば選挙運営委員会が、大統領の次男の立候補届を受理する理由になるという目算は本当にあくどい。
ところが、この件についての国民の関心は非常に高く、個人的な野望のために平気で何度も法律を変える大統領と、その下僕と化した憲法裁判所に対する批判も高まっていた。
10月に副大統領就任準備のため市長を辞任した、ジョコウィ大統領の息子。
3年務めた市長室には、フィギュアやミニカーのコレクションが山ほど飾られていた
面目挽回
憲法裁判所が、憲法裁判所の機能にふさわしい正しい判決を下すことが出来たのは、暗闇の中の一筋の光。さらにもう一つ、議会議席の20%以上の支持を得なければならない条件の緩和という判決もまさに適切だった。
策略
10月で任期終了する大統領は、権力の座にいるうちに自分の息子や婿、お友達を戦略的な地位につけて退任後の保身と権力維持を図ろうと、ありとあらゆる権限を私物化しており、国民に嫌われている。
まともにやれば、息子や婿が選挙で勝てないことが分かっているので、主要政党の幹部をほぼ全て抱え込み連立を組んで(汚職調査させるぞと脅すなどして)対立候補を立てさせないという作戦をすすめてきた。
台無し
全国500席あまりのうち、150席が大統領の推薦する候補者が無投票で勝てるよう既に調整済みだったというが、この判決が出たことによって、反大統領派も候補者を立てることが可能になり、大統領の策略は総崩れになる。
思いもかけず憲法裁判所が正しい判決を下すことができたことを神に感謝し、国民が喜んだのもつかの間、その判決が下った翌日、国会内立法委員会は、この判決を無効にする内容の地方知事選挙法の改正案を超スピードで採決し、翌日の国会で可決しようとしたのだった。
一線を越えた
”汚職をしたら全財産没収”など本当に必要な法案は先延ばしにするくせに、こういうときだけ仕事が早い国会。憲法裁判所の決定は絶対だと国民には従うことを強要する一方で、自分たちの都合に合わない判決が出ると、法律を作ってそれを無効にしようだなんて許されていいものだろうか。
このままでは本当に、独裁国家に逆戻りしてしまうのではないか。
誰かが始めた非常事態警告の青い画像がその夜のうちに何万回もリポストされたのは、それだけ多くの人が同じ思いを危機的に感じ共有していたことの表れ。
8月22日国会前のドローン映像。参加人数は数千人と報道されている。
大学生は学校別にお揃いの色の上着を着ている。
法案見送り
その朝、厳重な警備体制の下、国会前のデモは、有名芸能人が支持表明を行ったりして大いに盛り上がっていた。一方、国会の建物の中では、地方知事選挙の改正法案が審議されることになっていたが、欠席する議員が多すぎて定足数を満たすことが出来ずその日の審議は見送られることになった。
デモ主催者側は、”延期でなくて取消しするべき” ”隙をみせれば、深夜にだってこっそり審議しかねない”として、知事立候補受付の直前まで引き続きデモを続けることを宣言。
国会内侵入
午後になって、国会の門は裏と表から引き倒され、デモは国会内になだれこんだ。ネットニュースでは見つけることができないが、Tiktokで #Mahasiswa masuk dpr で検索すると、学生が国会の中を占拠し歌を合唱している映像がいくつもある。
国会の中に入った学生たちが勇ましく合唱していたのは、こんな歌詞だった。
労働者、農民、学生、都市の貧困層、
民主主義のために団結しよう
一つになって声をあげよう
崇高で神聖な義務のため
未来は、おれたちのもの
人々が豊かに暮らせる
独裁のない新しい社会をつくりあげよう
仲間よ皆で自由の歌を歌おう。
圧政の下でもこの道を行く
何万回でも行動を起こすことが
おれたちには確実な一歩なんだ。
これは1990年代のスハルト独裁政権が倒れる前の
民主運動の時から引き継がれている歌。
大荒れ
夕方からは、学生たちは力ずくで追い出されだした。
それでも解散しないデモ参加者らに、催涙ガスやウォーターキャノンが使用された。
他の都市でも、警察とデモ参加者の激しい押し合いがあった。
学生の街バンドンでは、デモ参加者に向かって火炎瓶が投げられ、けが人が多くでた。
スマラン、ジョグジャカルタ、物凄い人と警察が押し合う
昼間からデモと警察が押し合う。物凄い臨場感。
スマランでは、逃げる学生たちの背後から催涙ガスが発射され、デモ参加者、そうでない人にまで被害が及び病院に運び込まれた。
週末に開催されたいくつかのライブ・コンサートで、アーティストたちはこぞって同じ青色のバックドロップを使用した。
Wikiペディアの情報によると、負傷者は、デモ参加者が148人、報道人13人、逮捕者は480人にも上る。
デモが、議会の建物を占領したところで議員はいない。
せいぜい歌を合唱してカチドキをあげるぐらい。
そのために警察と衝突し、けがや入院、障害を負う人も出てくる。
指導陣は大学側からさえも圧力を受けるという。
学生たちの歌にあるように、そんなにまでしていったい何になるのだろう、本人らも当然わかっている。しかし、そんな陣取り合戦でも世代を超え地域を超え階層を超えた世論によって支持されるなら大きな力になるということが、今回のこの一件によってよく分かった。
立候補断念
週明け、国会は正式に憲法裁判所の判決を法律化し、地方知事選挙の登録がはじまるが、大統領の次男の立候補は実現しなかった。
無投票当選もなくなった。それどころか、大統領推薦の候補を支持する約束をしていた政党が別の候補者を立てたりして増々複雑になっている。
政権転覆とまではいかなかったが、成果があった希少なデモだといえるだろう。
癒着疑惑
このデモ騒ぎのさ中、大統領の次男は妻とアメリカに休暇旅行中。
妻のインスタグラムへの投稿、1個40ドルのパンや最新式のベビーカーなどの買い物に避難殺到。
速攻で、ジャワのマリーアントワネットというあだ名がついた。
移動にはプライベートジェット、ブランド品の買い物袋がいくつも迎えの車に運び込まれているが、関税チェックは受けたのかどうかということも話題になる。
問題はただの贅沢自慢にとどまらず、プライベートジェット機の写真からその所有者が特定され、
現政権下で急成長中の外資プラットホームとの癒着疑惑が浮上している。