知りたがりな日本人のブログ@インドネシア

知りたがりな日本人のブログ@インドネシア

インドネシアのニュースネタや独自に調べた古代世界史

8月から9月にかけて
千葉や名古屋などで発生した集中豪雨。
まるで東南アジアかと思うような、
凄まじい豪雨による大規模な水害が、
立て続けに発生している。


ニュースでは、
「エルニーニョの影響で、温かく湿った空気が
連続して日本列島へ流れこんでいる」
と説明されるこの状況。


しかし、エルニーニョ現象というのは、
地球温暖化のせいで発生するようになったわけではなく、
昔からあるものだということを
どれだけの人が知っているだろう。


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Gambar oleh <a href="https://pixabay.com/id/users/hans-2/?utm_source=link-attribution&utm_medium=referral&utm_campaign=image&utm_content=123230">Hans</a> dari <a href="https://pixabay.com/id//?utm_source=link-attribution&utm_medium=referral&utm_campaign=image&utm_content=123230">Pixabay</a>

旧約聖書「列王記」に記されたソロモン王の遠洋船団。
彼らが持ち帰った交易品には、中東には生息しない鳥「孔雀」や
産地が東南アジア等に限定される「白檀(サンダルウッド)」が
含まれていました。

強大な大国に囲まれた中東情勢の中で、
古代イスラエルの王ソロモンが繁栄のために選んだ活路
-それこそが遠洋貿易でした。


 インダス文明崩壊後のペルシャ湾・インド洋ルートの動向と、
季節風や海流の向きから想定される中東と東南アジアを結ぶ
壮大な古代の航海ルートを辿ります。
 

都心の閑静な邸宅街の品格漂う重厚な建物
ダークトーンの木目や上品な照明の

高級感あふれるプレミアムな喫茶店。

 

奥の壁面のディスプレイの裏側には
隠し部屋、その奥には高さ2メートルもの
大型金庫。
 

警察はそのなかから、672憶ルピア(約六億円)

相当の現金を押収した。

 

現場にはマネーチェンジャーも併設されており

喫茶店で受け渡された不正資金をそのまま
外貨に換金・送金することが出来る仕組み
であったと考えられる。

 

そしてそれは、家宅捜索の対象の11カ所の
うちのひとつに過ぎない。

警察は、郊外にある別宅の一つでも
埋め込み
型の巨大金庫を見つけ、
さらに一桁多い巨額の現金に加え、
74 kgに及ぶ金塊を押収する。
 

これだけの金塊や現金が一カ所にあつめられていたのでは、

世の中に回ってこないのも無理はないのかもしれない。


まるで電気製品の倉庫かと思うほど
整然と並べられた札束の山。

 

この不景気な世の中で
これだけの金塊や現金を保持する人物

この喫茶店・隠し金庫の持ち主は
いったい誰なのか?

 

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星の位置や風、潮の流れを読む古代の航海技術が
生まれた場所と考えられている
台湾とフィリピンルソン島の間のバシー海峡。

過酷な航海の難所として知られているにも関わらず

不思議なことに、その海峡を挟んで似たような
文化やルーツを持つ人たちが暮らしていました。

 なぜそんな航海の難所をはさむ文化圏が
存在していたのか?

氷河期の終りの海面上昇の、前と後で、
大きく変化した沿岸部の地形という視点から
考察します。

船の脇に浮きをつけて転倒を防ぐ
アウトリガー船が発達した海域、

その反対に縄文時代の日本列島では、
転倒しないよう丸木舟そのものに工夫が施されました。
 

縄文時代の船は見た目には地味ですが、
日本の自然条件にあった形。

氷河期の終りの急激な海面上昇という
環境の変化によって

「海を越えて」移住したり交易をすることが
生存をかけた強い動機を持っていた
古代東南アジアの人たち。

それほど激しい危険な航海の難所を
無理して突っ切る必要なく
身近にある豊かな自然と付き合ってきた
日本列島古代の人たち。

それぞれの海との付き合い方がありました。

 

インドネシア政府が推進する昼食無料プログラム
一時期は、配られた弁当の写真撮影や正直な感想を
SNSで発信することさえタブーとされていたが、

先月、「国家栄養庁」の長官がついに、
汚職容疑で逮捕されたことで、
やっと批判してもいいという機運になってきている。

教育、福祉、地方への予算、あらゆる国家予算が削減され困窮する中で
巨額の予算があてられ優遇されてきた政策。

それをいいことに、用途不明の​電動バイク、タブレット端末、靴下、
などを次々と大量購入+予算の水増し。

調理センターの利権をめぐる賄賂、
存在しない架空の調理センターへの不当な支払い。

この長官の経歴は「昆虫の研究者」
栄養や食生活については完全に専門外の人物。
つまり、人選の時点でもう、なにか怪しいものがある。

 

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Oleh Meniirtjakarintan - Karya sendiri, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=175653226

古代人の活動範囲を解き明かすカギとなる
不思議な石、黒曜石。

じつは「縄文人が、海洋民だった」
という説も、この黒曜石の移動のルートの

研究から提唱されたものです。

決してお金のためではなく、

人と人を繋ぐために運ばれた石。

はるか遠くの地まで黒曜石が運ばれた

知られざる理由とは?

学校での勉強では気付けなかった
歴史の面白さ。
大人になってからわかるんです。
 

 



 

昭和の子供は、学校から帰ると
夕ご飯前までずっとテレビは
つけっぱなしにしておくのが
当たり前だった。

ロボットもの、チームもの、
異次元もの、色んな正義の味方、
時代劇を挟んで続く時間帯。

それはもう、物心ついた時から
身体に染みついていた習慣だった。

いつものテレビまんががない
土曜や日曜の夕方は
何をしたらいいか分からないほどだった。

この頃はまだ「アニメ」ではない。
「テレビまんが」という。

そんな時間帯にあって、
「天才バカボン」は
特別に観たい番組でもなかった。
時間つなぎに観ていた程度だった。

でもなぜか思いかえしてみれば、
他のどのヒーローものよりも
いろんな意味で
後々まで根強い影響力を放っていたのは、
実はこのてれびまんが「天才バカボン」
だったのではないかと思っている。

大人はそれをナンセンスとかギャグとか
と言う理屈で片付けるが、
子供にはそんな言葉は通用しない。

他のヒーローものと同じように
バカボンのパパだって、子供の目には
ヒーローだった。
 

学校や社会のルール、他人の目を気にして、
必死に周囲に自分を合わせることを学ぶ
子供時代。


ロボットや超能力を持つヒーローなら、
「もし自分があの能力を持っていたら」
「科学者の子供に生まれていたら」
「自分だったらこう行動する」というように、
主人公そのものに自分を投影させることができるもの。


でも、バカボンのパパの場合は
自分を投影させることが出来るものではない。

「自分だったらこう行動する」という
参加型の妄想ではなく、その反対に
「自分にはあんなに面白いことは思いつくことができない。
突飛な行動は絶対真似できない」という
距離を置いた脱落型の妄想を掻き立てる。


バカボンパパの世界は、
いつも賑やかで楽しそうに見えるのに比べて
自分はいつもひとりだし、
一緒に行動してくれるバカボンもいない。

大人になると忘れてしまいがちだけれど、
子供にはまんがの世界と現実には、
境界なく繋がっているもの
 

「嘘や言い訳がいけないことだ」
というのもじつは、大人の理屈にすぎない。


パパがどんなに嘘をついて屁理屈をこねても、
困らせるようなことをしても
決して徹底的に責めたり、愛想をつかしたり
することのないバカボンのママ。

それは、子供の目には
「パパの行動は間違っていないんだ」と映る。

さらには
「パパみたいに自分も面白い冗談が言えたり、
屁理屈で人をあっと言わせることが出来たら
愛される人間になれるかもしれない...」
そこまで思いつめることだってある。

事実、のちの80年代のアニメの世界では、
こういう、都合よく無条件に愛される
「バカボンスタイル」の物語が
量産されるようになって、
根強く支持され続けている。


でも現実の世界はそんなに甘くない。
人は嘘をつかれれば傷つくし
屁理屈ばかりで、はぐらかされるなら
人はもう話しかけてくれなくなる。


そこが物語なのだけれど、
登場人物が去って行ってしまうと番組が、
終わってしまうので子供は大人にならない、
大人も歳をとらない。
「成長しない世界」が維持される。

生身の人間と深く接する機会が
劇的に少ない現在では、
うっかりすると現実の人間関係の隙間を
その「都合よく成長しない架空のキャラクター」
が占めてしまうということもある。

バカボン一家のような人間関係を、
無意識のうちに理想の家族像として
抱いているのなら、手放してしまった方がいい。

別にバカボンを否定しようとか、そういう意味じゃない。
見るもの聞くものには必ず影響されるのが人間だから、
自分が何から影響を受けているのか、
知っておくことは意味があると思っている。

ところが、この話はここで終わらない。
さらに奥がある。

私自身、さらにまた歳を重ねて、最近ようやく
気が付いたことがある。

それは、バカボンパパ一家の
キャラクター設定それぞれに、
もっと深い意味があったということだ。

気づいたきっかけは、
天才バカボンの作者の赤塚不二夫の作風は
満州で幼少期を過ごした経験を反映していると
Wikiペディアに書いてあるのを読んだこと。
 

当時、日本政府は、民族の垣根を
越えて協力して平和で豊かな理想郷にする
という建前で満州に進出していた。
 

しかし憲兵の息子としてその地に暮らした
少年がみたものは、
警察、軍、経済も政治、全てにおいて

日本人を頂点とした冷酷な格差社会という「現実」。

現地の人達を祖先代々の土地から
追い出し、過酷な労働を強いた日本政府、


そして、そんな現地人と当局との間に挟まって、
苦悩していたのが、赤塚不二夫の父親だった。
という。

また、別の談話によると、赤塚は、
当時大流行
していたスポコンものに対する、
きまりきった美談に反発する気持ちから、
バカボンパパが生れたといっている。

 

建前ばかりの美談への反発、きれいごとでは
済まない不条理な世界、そして
格差という社会の歪み。


これらを重ね合わせたとき、
あまりに
当てはまり過ぎてゾッとする。
ちょっと過激な解釈に思いあたった。

あの家族は、実は「日本社会の矛盾」
そのものの縮図だったのではないか?
それはこんな構造だ。

バカボンのママ =「優秀な官僚」
どれほどトップが無茶苦茶でも、文句も言わず、
当たり前のように実務をこなし、
国家の形を維持し続ける存在。

 

バカボンのパパ =「政治家(リーダー)」
 嘘と屁理屈、セコい誤魔化し、
根拠のないステータスを誇り、
他人の手柄を自分のもののように利用する存在。

バカボン =「一般大衆」 パパのずるい嘘を真っ直ぐに信じ込み、
純粋ゆえに都合よくコントロールされていく存在。

ハジメちゃん =「日本の優れた技術分野」 生まれた時から天才的で、
親がなにをしなくてもよくできる子。
それは、世界から賞賛される成果を出すその頃の
日本が誇る工業技術のようだ。
 

筋の通らない政策やリーダーの暴走があっても、
優秀な実務派(ママ)のおかげで
国としての形は保たれ、大衆(バカボン)も
技術者たち(ハジメちゃん)も黙ってついていく。

バカボン一家を「理想の家族」と称賛する物語が
発するメッセージとは、じつはこの
歪な社会の肯定なのでは?

 

赤塚不二夫がこれを意図的に描いていたとしたら
なんという先見の明だろう。

というよりも、時代が一回りして、現実がようやく
彼の描いていたディストピアに追いついてきた
と言った方がいいのかもしれない。

何事もなかった平和な時代には、ただの
「ギャグ」として消費されていたにすぎない
漫画のキャラクターなのに、
昨今の不安定な社会状況を思うと、
異様に、生々しく見えてくる。

特に、おまわりさんが気分で拳銃を乱射するというのは
決して笑いごとではない。

海外のニュースをみてみれば、
腐敗した政府が批判を抑え込むために
或いは、既得権益を守るために、
警官が剥き出しの暴力装置として利用される光景は、

よくあることだ。

政府という機能が麻痺したデストピアでは
武器をもってる警官や軍が
新たな支配者として君臨する。


レレレのおじさんも、じつは、リアルな存在だ。

通る度に、必ず声をかけてくる存在というのは
それはまるで、生活のためにクビになるわけにはいかない、
弱い立場の地元採用の警備員のようだ。

権威も武器もなく、ただ見張る。だから
いざ事件が起きて「犯人はどっちへいった?」
と詰め寄られると、混乱してしまって、
肝心な時(裁判などで)役にたたない。
 

そしてほぼ犬でありながら、尻尾と頭がウナギというだけで
常に追いかけ回されるウナギ犬。
少しでも、他者と違う「価値」や「希少性」を持っていることは、
たちまち剥き出しの欲望の対象になり、
平穏に出歩くこともできなくなる。

これらは全て、赤塚不二夫が幼少期にみたもの
感じた世界の歪みから生まれた世界。
だから時代を先取りしているように感じられる。

それじゃあ、なぜ、ママや息子たちが
黙ってついてくる都合よい存在として
描かれているのか?

それは、実際の彼の父親がそういう昭和らしい
父親だったからではないのだろうか。
斬新なようで、古い面もある。

そういう意味で、やはり
バカボン一家を理想の家族像とする見方はやめた方がいい。
事実、平成の時代には「家族の絆」のような
テーマでリメイクされていたりもしたが、
私はどうしてもそこに違和感を覚えてしまう。

 

歪みに「気づけよ」というメッセージが
家族はいいものという美談にすり替わってる
というところが実に痛烈。

でもじつは、天才バカボンは
あまりに理不尽なニュースばかりでムカムカする
ことの多い、今の時代だからこそ、
見直されるべき作品なのではないかと思う。

「まるでバカボンの世界じゃん」
と毒づきながら笑い飛ばす。
清涼剤として味わえる時代が来ている。




 

 


 


「鬼海カルデラアカホヤ噴火で縄文人が
大陸に大移動して進んだ文化を築いた」

これは、日本人のルーツ系の話で、
常に検索上位を占めている話です。


たとえ発信者が「仮説のひとつです」と添えていたとしても、
同じような話ばかりが検索結果やおすすめに表示されれば、
いつの間にかそれが「確定した真実」へと
すり替わってしまうのではないか――。

と心配になってしまうほど、
検索結果には同じ仮説が並んでいます。。


経済が停滞し閉塞感の続く不安な時代、
ひとは「自分たちの民族が一番」話に
すがりたくなるといいますが、

それは、決して日本だけのものではありません。
韓国には「桓檀古記(カンダンコギ)」という
古代文明はすべて古代韓国人が作ったとする説があり、

 トルコではかつて、世界中のすべての言語は
トルコ語から生まれたとする「太陽言語説」が
学校で教えられたりということもあったと言います。


インドにも、兵器やインターネットは、
実は古代インドの時代からすでに存在していた
とするトンデモ仮説があるそうです。


そして、ドイツが敗戦と世界恐慌で
国民が自信を失っていた時代に、
ヒトラーやナチスの「アーリア人至上主義」が
極端な人種政策の思想背景にあったというのは
有名な話で、

当時は「古代文明はすべてアーリア人が始めた」
「チベット人と骨格が似ている」というような
今では信じられないような話を、えらい先生方が
大真面目に語っていたという話も聞きます。


昔は、独裁者が教科書を書き換えたり
メディアを活用して歴史の改ざんに取り組んでいましたが、

 

現在は、ネットのアルゴリズムの影響で
自分から選んでしまう時代です。

「あれも日本人、これも日本人」
という論調も、ただの「トンデモ説」と
見過ごしてよいものか。
と思ってしまいます。

教科書に対する信頼が揺らいでる中で、
大多数を占めるネットでの情報が、
いつの間にか「真実」になってしまいはしないか?

教科書よりも簡単に、
歴史を操作できてしまう。
いくら学者の先生が否定しても
大衆が信じてしまったら聞いてもらえません。

「イスラム教でもそういう風にして、
ジハードの教えなどが捻じ曲げて解釈されてきた。」
そんな話を聞いたことがあります。

そして、その話と「トンデモ仮説」の構造が
とてもよく似ているところが気になるのです。

そもそも「縄文人は平和だった」と繰り返しながら、
他所の国の文化を見て
「あれも日本人、これも日本人が起源だ」
と言ってしまうことは、
決して平和的な思想ではない。

そんな話を繰り返し何度も聞くことは、
人を民族や人種の上下で判断する思考パターンの
トレーニングになってしまっている可能性すら
あるのです。

歴史は、勝ち負けや優劣ではなくて、
昔の人がそう生きざるを得なかった事情や
苦しみを想像すること。

その辺が、歴史の面白いところで、
これが現実の生活での生き方、在り方に
じつは影響してくるものでもあります。

「需要のないことをテーマにするな」
というのが動画運営の鉄則ではありますが、
私の場合は、需要のあることをテーマにしても、
どうしてもそれと反対の面が気になってしまう。

あまり向いていないのかもしれないと
思いつつ、
それでも歴史の面白さを少しでも伝えたい
世界のつながりの謎を解いていきたい
と思っています。


「アカホヤ噴火の縄文人移動説」という
王道のテーマに、ここがおかしいという
視点で挑みました。

これが動画です。
 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

礼拝所のスピーカー音量に関する
苦情は昔からあるけれど
最近、益々エスカレートしていて、

音量の大きさと、社会的不安は
比例しているのではないか?
そんな風に思っている。

何年か前までは「もうそんな時間か」
ぐらいの受け止め方ですんでいた。

大音量は、礼拝所の近くに住む人たちの問題で、
同じ宗教だから苦情などないのだろう。
と思っていた。
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お墓の場所が運命を左右する——
 そんな考え方は、どこから来たのでしょうか。
 熱心に信じる人がいる一方で、
どこか距離を置きたいと感じる人もいる。

 東アジアに特有の文化とも言われますが、
その背景には、 かつて中国大陸の沿岸部に広がっていた
広大な陸地が、 海面上昇によって水没したという
地質学的な事実が関係しているのかもしれません。

 一方で、日本列島では、 この海面上昇はむしろ恵みとなり、
 豊かな自然環境をもたらしました。
 こうした環境の違いが、 「何を気にするのか」という感覚、
 つまり精神性の違いにつながっていったのではないか。
この動画では、その可能性について考察していきます。

 歴史・文化・思考のルーツに興味がある方におすすめです。