首都が沈んだ場所までわかってきたーアトランティス大陸東南アジア実在説 その2  | 知りたがりな日本人のブログ@インドネシア

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ユーラシア大陸の南端は、赤道線上のボルネオ島まで繋がっておりスンダランドと呼ばれる陸地だった。南半球でもパプアニューギニアとオーストラリアが陸続きでサフールランドと呼ばれていた。古代ローマ時代プラトンの記述によれば、この二つの大陸の間にある海は、船が行き交う貿易の拠点だったという。

 

古代史の常識によれば、縄文人がやっと定住し始める頃に相当する時代に、そのような文明が存在するはずがない。実在したスンダランドこそがアトランティスの正体だったとするのならば、そのような文明に関する記述についての説明がほしいところ。

 

この説を提唱したメキシコの核物理学・地質学者アリシオ・サントス教授の著書では、世界中のアトランティス候補地一つ一つについての地質学的、神話的な検証がメインだった。また著者は2005年に著書が出版されたあとすぐに他界してしまい、英語で出版されたその本の書評も議論もあまり見つけられない。

 

サントス教授の説が最も受け入れられ、多くの人によって紹介されているのはおそらくインドネシアだ。地元だからというのは勿論だが、それだけでなく、多様な民族や言語、謎の遺跡が多々あることなど、この説をあてはめることで初めて説明のつくネタが身近に豊富に存在するということも興味をそそられる理由だろう。歴史好きな学生又は元学生、知識人や宗教家の間に支持者が多い。


2015年に出版された「Atlantis Kota yang hilang ada di Laut Jawa」(沈んだ都市はジャワ海にあった)を出版したダニ・イルワント氏もサントス教授の説に感銘を受けて研究を始めた一人、本業はダム建設や水力発電技術の専門家だが、ギリシア語を一から学んでプラトンの記述を原文から読み、6年かけて、プラトンの記述と一致する60の項目について一つ一つ検証した。


この著書の一番の見せ所は、アトランティスの首都であるアクロポリス(神殿のある都市)の沈んでいる場所を特定していることだ。その場所の手がかりは”どこまでも広がる陸と陸の間にあって、向こう側には北側にある山脈から海に向かってなだらかな平原の南側の肥沃な土地がある”という記述と具体的に記されている平原の縦横の距離。著者はそれが現在のカリマンタン州南部の平原と大陸棚の一部をあわせた形にぴったりと当てはまることを発見した。

 

ボルネオ島といえば、スンダランドが水没した後に残った最大の島(この島の北側マレーシア、ブルネイの領土を除いたインドネシア領土をカリマンタンという)。ウィキペディアによれば、アルプスヒマラヤ火山帯と環太平洋火山帯の交点にあたり、1億年ほど現在の位置から動いていない島だそうだ。

 

インドネシアの島々は何処も地震が多いことで有名だが、この島だけは地震があまりないことで知られている。熱帯雨林に覆われた山々は天然資源・あらゆる鉱物資源の宝庫でもあり(森林伐採と資源の乱掘が現在深刻な問題になっているが)アクロポリスの城壁を覆っていたという、あのオリハルコンという金色に輝く謎の金属をつくる原料として想定される錫(スズ)もある。

 

また、カリマンタン州南部には観光名所として有名な「水上マーケット」がある。河川に挟まれた流域に碁盤の目のように水路が張り巡らされ、地元では船を日常的な移動手段として利用する昔ながらの生活が今でも残っている。いつ水路が築かれたのかについては不明だが、これは”平原は土木工事により長方形に整形され大運河に取り囲まれ、運河のおかげで年に二度の収穫を上げ、運河を材木や季節の産物の輸送に使った”という記述に関係がありそうだ。

 

とすれば、アトランティスの首都のあった場所は、ボルネオ島とジャワ島の間の現在のジャワ海に絞られる。スンダランドの頃、両島の間は西側半分が陸でつながり、東側半分は奥まった入江になっていて、サフールランドの方向に向かうワラセアと呼ばれる島々(現在のバリ島以東の島々)の海に繋がっている。

 

ジャワ海の真ん中にあるバウェアン島の大きさは伊豆大島ほど。住民の70%が出稼ぎ労働者で、島に住むのは女性ばかり、西ジャワ州の都市スラバヤから訪れる観光客を待つ以外に特に産業のない貧しい島。観光の名所は、水深150メートルの火口湖(深いことで知られる北海道の摩周湖と同じくらい)から流れる滝とトレッキング、沖に突き出た白い砂浜や岩礁。この島にしかいない絶滅品種の鹿もいる。

 

また、温水の源泉、白、黒、赤色の火成岩がある。”アクロポリスの外輪にある市民の家は、街の下にある石を使って建てられ、温泉を利用した公衆浴場があった”という記述にまたしてもあてはまる。しかし、この島がアトランティスの首都だったわけではない。”アトランティスの首都は泥の塊があり近づくことが出来ない場所に沈んでいる”と書かれている。

 

そこで著者は、引き潮のときだけ顔を出す砂でできた小さな島が無数にあるバウェアン島の沿岸部で、船を座礁させる航海の難所として昔から船乗りに知られているGosongia(英語名Annie Florence)という岩礁に注目し、アメリカ地質調査所のGTOPO30(研究者がよく利用する無料のデータセットとのこと)を使って、水深60メートルの海底の地形を調べた。

 

その結果、明らかに通常と異なる形状があることがわかったという。但し、その具体的な大きさや、サンゴの群生に覆われた下になにがあったのかということまでは特定できていない。そのためには、まだまだ沢山のデータを集める必要があるという。アクロポリスが眠っている可能性のあるバウェアン島沿岸の検証はここまで。

 

これ以降の新しい情報は今のところまだない。この島に関して最も新しい情報は、2024年3月末に、この島の西側の海底でマグニチュード6.5、地下10キロという浅い海底で起きた地震があり、今でも余震が続いている。気象局によると、ここは長い間活動のなかった古い断層だそう。

 

アクロポリスが見つかるか見つからないか。誰かそれで利益を得る人がいるなら探すだろうがそうでなければそのままだろう。それよりも二千年以上も前に書かれたただの伝説だといわれてきた記述から、ここまではっきりと答え合わせができるということの方が驚きではないだろうか。

首都の場所の次は神話の話

次回は、イルワン氏の研究のもう一つの重要なテーマ、アトランティスは西洋のものであると決定的に誤解させたギリシア神話の神さまの名前と、バリ観光地でよく見かけるあの牙のある神様の関係について書く。

 

ジャワ海に沈んでいると思われるアトランティスの首都の位置とイメージ画像 (英語)

 

 

著書の内容が全てここに紹介されている。映像や資料も豊富(英語)