「来月1日に退職する自衛隊制服組トップの河野克俊統合幕僚長が訪問先のアメリカで,日米同盟の連携強化に貢献したなどとしてアメリカ軍から勲章を授与された。

河野統合幕僚長は「このような勲章を頂いたことを大変光栄に思っています。また,ダンフォード大将と共に非常に厳しい安全保障環境の中で,日米が緊密に共同対処できたことを私たちも非常に誇りに思っています」 と述べたとテレビで報じられた。

 

先に,わが植民地総督殿が自衛隊を9条に書き加えるといった際も,この人は「ありがたい」と言ったと伝わる。

 

トランプが無礼にも直接横田へ降り立ち,あろうことか自衛隊を集合させた際は逆に無言スルーだった。

 

そして今回は,実質的な宗主国であるアメリカから首に勲章をかけてもらって「光栄に思う」んだそうである。

 

なんだか,ちびブッシュを辞め際に尋ねた時に,肩をポンポンと叩かれて(これは典型的な格下への仕草で,同格には決してしないことだ。つまりは舎弟扱いだ)ニコニコし,

 

ギター抱えてプレスリーの真似をして税金を使い散らして思い切りはしゃいだアホンダラの小泉の恥さらしな間抜けぶりと重なる。

 

明確な戦時国際法違反で民間人を大虐殺した東京大空襲をやった鬼畜のカーチス・ルメイにも,わが国は勲章を「差し上げた」が,まさかその「忘れた頃の返礼」でもあるまいに。

 

 

なにも今すぐに日本単独での防衛に踏み切るべきだなんて願いはしない。ただ,軍事に限らずあらゆる分野で事実上の宗主国として日本を支配している国から,

 

 

しかも,史上稀に見る鬼畜の所行で「人道に反する罪」を犯した相手から,イイ子イイ子してもらって武人として悔しくはないのか?と思うだけだ。

 

個人の交友による感情は知らない。しかし,そういったものと国家の威信は厳正に区別すべきなのは知っている。かなわずとも一矢報いる覚悟を持たなければならないことも知っている。

 

かりそめにも,上に立つ者が,見苦しい植民地根性をさらしてどうするのだろうか?

 

横田空域には?日米合同委員会による支配の屈辱には?超高額な武器システムの押し売りには?これらに彼はトップとして一度でも不快感を表明したことがあるのだろうか?

 

こういうのがまたぞろ,テレビの「電波芸者」としていそいそと「御専門出演」をしては,メディア側の政策意図を忖度した迎合発言をしては小遣い稼ぎにいそしむのだろう。晴れてダニ官僚と同じような天下り一家の仲間入りをしてから。

 

国家の名誉は踏みにじられて顧みられることがない。心性において武人である者が然るべき地位に補職されることもない。

 

どういった業界でもサムライが出世しないことは承知している。しかしながら,ことは,最大の福祉である国防に任ずる実力組織の長の話である。

 

トップのこんな姿を見て苦々しく思わない隊員ばかりのはずはないが,規律弛緩による不品行や,チグハグな装備調達が横行する一因はこういったところにもあるのではないか。

 

大和が沈んだ4月7日を前にして,沖縄へと連なる聖なる海で散華した多くの人々を思い起こさせる桜が南国ではもう綻び始めている。

 

また今年も,死者達へなんとも申し開きができない季節が始まった。

 

「現状にあってはやむをえない」でいつまでも流されていては,誇りある独立自尊は遥かなままだ。

         大和の最後(時事通信社)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれはフォークランド戦争の年だった。

 

とある極東の腰抜け植民地とは違って,アルゼンチンに領土を侵略されたと判断した英国の女性首相は,躊躇する閣僚達を尻目に断固としてすぐさま軍へ南米への出撃を命じた。

 

この情勢に,春に陸上自衛隊の幹部候補生学校に入校した私も,これは入隊前に覚悟を固めつつ幾度も夢見たとおりに,わが国も早晩ふたたびの建軍を果たし,敗戦の辱めを拭うための出師の時を迎えるかもしれない,

 

自らも祖国のために名誉の戦死を果たす日が来るかもしれないと,今にして思えば滑稽なほど現実離れした,何とも表現しようのない,今日まで続く長い植民地暮らしなど夢想だにしない高揚感に満たされていたのだった。

 

私は,後に知る人ぞ知る伝説的な存在となった,ずば抜けて優秀だった一人の同期生が身近で友と交わしている

 

「だっておまえ,アメリカとやって勝てると思ってんのかよ?」(友)

 

「やるかもしれねえじゃねえか」「クーデターをやらなきゃどうにもならんかもしれないし」(伝説となった俊秀)といった会話を,

 

聞くともなしに戦闘服の背中で好ましく聞きながら,入隊当初の流れの中で形式的に行った,くだらない醜悪な「占領基本法」への公務員としての宣誓を,実に屈辱的な事と感じたりしていた。

 

幹部候補生としての暮らしは,起床ラッパから消灯ラッパに至るまで,座学と体力錬成に明け暮れる分刻みの時だったが,夕刻から国旗降下を経て続く体力錬成の後に,

 

流した汗の分だけ飲もうと急いで駆けつける隊内クラブでのごく短い時間は,急き立てられるように流れていく日々の中で,貴重なアクセントとなっていた。

 

そこは,食堂のような質素な作りの一角で,定年後に働いているような老いた男性と,若くはあってもまことに地味で!?いくら飢餓状態に置かれている若者とはいえ,どういった感情の波立ちも起きない女の子が二人で回している場所だった。

 

メニューも,炒めた蒲鉾にフライドポテト,枝豆と馬刺しぐらいしかなく,生ビールをダッシュを効かせて立て続けにあおると,初めて見る蕎麦焼酎「雲海」のお湯割りに切り替えるのが常だった。

 

上官の話を肴に飲みつつ,時折はキッチンに目もやるのだが,愛嬌を振りまくでもない女の子では別にどうという気にもならず,アッと言う間に時間は経って,明日の試験に備えて自習室へと駆け戻るのが常だった。

 

思えば,あの「適正な配置」は,血気盛んな若者達を管理しなければならない自衛隊側の深謀遠慮!?からなされたものだったのかもしれない。

 

セクハラという言葉も今日ほど一般的ではなく,アメリカで白人上司が,コーヒーをサーブする黒人秘書から「今朝はブラックですか?フレッシュを入れますか?」と聞かれた時,

 

「もちろん僕はどっちも好きだよ」と,イヤらしい下品な笑いを浮かべて答え,黒人秘書が精神的苦痛を受けたと訴えて,大金を取られたというプレイボーイ誌の記事が話題になっている程度だった。

 

若い男達に酒が大量に入る席に,あまりにセクシーな女性がいるとロクなことはない。いや,若くなくたって懲りないヒヒの血を騒がせてしまうことにもつながりやすい。

 

あの恥知らずな反日文科次官の前川のようになりかねないのだ。

 

そのあたりをもしも考慮したのだとしたら,定番の教員と警官に追随するかのような,隊員間も含む破廉恥犯や,情報畑に配置する隊員が支那人妻を娶ることに悩まされている今日の自衛隊も当時はずいぶんと賢明だったことになる。

 

宮崎産の蕎麦焼酎・雲海が放つ甘やかな香りを口に含む時,久留米市の夕暮れと,筑後川が運んでくる誇り高き尽忠報国の歴史を刻む風が甦る気がする。

おお!せめて隊内クラブに久留米の牧師の娘でもいたらなあ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「強く抗議する!」

 

「遺憾の意を表明する!」

 

わが国が侵略されたり侮辱されたりした際の「定番フレーズ」がこれで,国民はもう耳にタコが一万個もできたのではないかと思う。

 

ではその先に何があったか?

 

もしくはあるのか?

 

卑しい沈黙と「忘れさせの詐術」があるばかりではないか。

 

 

明治二十七年八月一日に宣戦布告した日清戦争の関連歌謡に,若宮万次郎詞 ♪日清談判 破裂して 品川乗り出す 吾妻艦~♪(欣舞節 きんぶぶし)というのがあったと伝わるが,

 

極東の植民地総督府の辞書からは,政権の最大目標だと国民に誓って「不退転の決意」で解決するはずだった「拉致解決」「領土問題解決」「東北被災者復興」の必成目標はとうに消え去ってしまったようだ。

 

世界注視の中で繰り返される軽侮と屈辱の果てに,よりいっそうの現代のローマ帝国への隷属と見苦しい媚態が進むのだとしたら,戦わずして屈服する道を決して選ばずに倒れていった軍民の尊い犠牲を踏みにじることになる。

 

オリパラだインバウンドだ「おもてなし」だと,国民を浮かれさせることにのみコバンザメ記者クラブの面々はたいそうな御執心だが,いまや不良白人の国際興業と化したオリンピックがそれほど大切か?

 

領土を奪われ,国民を数十年も拉致されながら,拝金主義のダンスをいつまで踊るのだろうか?顔に唾を吐かれながら何の「おもてなし」なのだろう?

 

武威を示すべき時に示せずに何の「サムライ」なのだろう?

 

口先ばかりの抗議と遺憾の果てには,宗主国アメリカのアスにキスし続けて尻尾をちぎれるほどに振る「アスキス政権の永続化」が待っている。

 

それは,戦時平時を問わず,日本国の永遠を信じて倒れ伏していく,多くの悲しき命を裏切るものだ。大いなるもののために生き死にする日本人の大義を捨て去って真の繁栄がつかめるわけがない。

 

「祖国(おやぐに)の 涙のごとく 桜散る」

 

さらわれた同胞を平気で見殺しにし,国土を汚され,世界の面前でアメリカの犬と見下げられ憐れまれながら迎える春が繰り返されていく。

 

卒業を迎え,就職が決まり,喜びと希望に顔を美しく輝かせている身内の若者達へ祝いの言葉をかけつつ微笑む時,人生を拉致に奪われたまま,ハレの日など夢にも願えないままの同胞を思う。

 

辱められるままの国土や,被災者住宅で続く暮らしと政治への悲しい諦めを,そこへつけこんで金のためだけに下劣な温顔を浮かべては票集めに余念のない醜いポリティシャン達の放つ腐臭を思う。

 

日本は,こんな醜悪さを目指して建てられた国だったろうか?

 

今ひとたび,世界が共に栄え共に存する理想を高く掲げた建国の精神に戻って,来し方を静かに見つめ直すべき時が来ている。

 

近年,客寄せパンダとしてのみ喧伝される「明治維新」だが,物事が本来の姿に「立ち返る」のが維新という言葉にこめられた意味で,

 

守るべき価値を総て打ち捨てて,新自由主義に土下座するための「目新しさ」を振りまくためのフレーズでは決してないのである。

いつまでビビってるわけ?