あれはフォークランド戦争の年だった。

 

とある極東の腰抜け植民地とは違って,アルゼンチンに領土を侵略されたと判断した英国の女性首相は,躊躇する閣僚達を尻目に断固としてすぐさま軍へ南米への出撃を命じた。

 

この情勢に,春に陸上自衛隊の幹部候補生学校に入校した私も,これは入隊前に覚悟を固めつつ幾度も夢見たとおりに,わが国も早晩ふたたびの建軍を果たし,敗戦の辱めを拭うための出師の時を迎えるかもしれない,

 

自らも祖国のために名誉の戦死を果たす日が来るかもしれないと,今にして思えば滑稽なほど現実離れした,何とも表現しようのない,今日まで続く長い植民地暮らしなど夢想だにしない高揚感に満たされていたのだった。

 

私は,後に知る人ぞ知る伝説的な存在となった,ずば抜けて優秀だった一人の同期生が身近で友と交わしている

 

「だっておまえ,アメリカとやって勝てると思ってんのかよ?」(友)

 

「やるかもしれねえじゃねえか」「クーデターをやらなきゃどうにもならんかもしれないし」(伝説となった俊秀)といった会話を,

 

聞くともなしに戦闘服の背中で好ましく聞きながら,入隊当初の流れの中で形式的に行った,くだらない醜悪な「占領基本法」への公務員としての宣誓を,実に屈辱的な事と感じたりしていた。

 

幹部候補生としての暮らしは,起床ラッパから消灯ラッパに至るまで,座学と体力錬成に明け暮れる分刻みの時だったが,夕刻から国旗降下を経て続く体力錬成の後に,

 

流した汗の分だけ飲もうと急いで駆けつける隊内クラブでのごく短い時間は,急き立てられるように流れていく日々の中で,貴重なアクセントとなっていた。

 

そこは,食堂のような質素な作りの一角で,定年後に働いているような老いた男性と,若くはあってもまことに地味で!?いくら飢餓状態に置かれている若者とはいえ,どういった感情の波立ちも起きない女の子が二人で回している場所だった。

 

メニューも,炒めた蒲鉾にフライドポテト,枝豆と馬刺しぐらいしかなく,生ビールをダッシュを効かせて立て続けにあおると,初めて見る蕎麦焼酎「雲海」のお湯割りに切り替えるのが常だった。

 

上官の話を肴に飲みつつ,時折はキッチンに目もやるのだが,愛嬌を振りまくでもない女の子では別にどうという気にもならず,アッと言う間に時間は経って,明日の試験に備えて自習室へと駆け戻るのが常だった。

 

思えば,あの「適正な配置」は,血気盛んな若者達を管理しなければならない自衛隊側の深謀遠慮!?からなされたものだったのかもしれない。

 

セクハラという言葉も今日ほど一般的ではなく,アメリカで白人上司が,コーヒーをサーブする黒人秘書から「今朝はブラックですか?フレッシュを入れますか?」と聞かれた時,

 

「もちろん僕はどっちも好きだよ」と,イヤらしい下品な笑いを浮かべて答え,黒人秘書が精神的苦痛を受けたと訴えて,大金を取られたというプレイボーイ誌の記事が話題になっている程度だった。

 

若い男達に酒が大量に入る席に,あまりにセクシーな女性がいるとロクなことはない。いや,若くなくたって懲りないヒヒの血を騒がせてしまうことにもつながりやすい。

 

あの恥知らずな反日文科次官の前川のようになりかねないのだ。

 

そのあたりをもしも考慮したのだとしたら,定番の教員と警官に追随するかのような,隊員間も含む破廉恥犯や,情報畑に配置する隊員が支那人妻を娶ることに悩まされている今日の自衛隊も当時はずいぶんと賢明だったことになる。

 

宮崎産の蕎麦焼酎・雲海が放つ甘やかな香りを口に含む時,久留米市の夕暮れと,筑後川が運んでくる誇り高き尽忠報国の歴史を刻む風が甦る気がする。

おお!せめて隊内クラブに久留米の牧師の娘でもいたらなあ・・・