鹿児島県に腕っこきの整体師がいる。

 

病院にも施術にも,方々でウンザリするほど金を使って,全く改善が見られない人々が口コミで聞きつけては藁にもすがる思いでやってくる。

 

彼は痛む部分にはまず触らない。人体のどこが「原因」かを突き止め,施術をする。だから初めはいぶかしむ人が多いという。

 

たとえば膝が曲がらない場合,大腿部や背中に原因が潜むことがある,内臓の疲労蓄積が重いこともある。子供のアトピーがひどい場合に,親の気持ちの持ちようが問題なことがある。

 

身体的要因ならば原因の部分に施術し,心理的なことならば,例えば夫や姑への不平不満や感謝の無さを指摘しつつカウンセリングをする。

 

患者は最初は戸惑い不満げだが,みるみる軽くなる症状に論より証拠,最後は納得して感謝し,教えてもらうエクササイズや,足るを知って感謝する心の持ち方を実践しだすのだという。

 

身体はともかく,子供のアトピーがなぜ薬物でも食事療法でもなく治っていくのかを科学的に証明はできまいが,

 

実際に母親の心から責任転嫁や不平不満といった毒素が消えていくと,愛する子供にクッキリと変化が起き,数回のカウンセリングやLINEによるアドバイスで元の肌を取り戻していく。

 

整体の同業がとても多い中で,ネット宣伝も皆無で,ひたすら口コミだけに頼って数年で予約が引きも切らないのだから本物だ。

 

彼の治療院には元気な高校生達も調整に通ってくる。インターハイを前に少しストライドを伸ばしたいとか,アタックの打点を上げたいとかの理由でやってくる生徒もいる。

 

元来が愛国者である彼は,生徒と親しくなるとつい良かれと思って,わが国の先人達の尊い足跡を語る。勧めたい動画を紹介したりもする。

 

例えば,インドネシア独立のために日本に復員せずに共にオランダと戦って死んでいった残留日本兵が,かの地のカリバタ英雄墓地に葬られ永遠の顕彰を受けている事や,

 

いまだに誇りを失わず,再び同じ状況になってもまた祖国のために志願すると語る特攻隊の生き残り兵士へのインタビュー,

 

戦争中であっても,日本軍が撃沈した軍艦から脱出し,戦場の海を漂流している敵兵を救助した高潔なわが海軍の艦長のエピソード,

 

軍人に限らず,自らの栄達よりも,保身よりも,つまりは金よりも「苦しむ市井の人々を救済する」ために研究や事業に没頭した,名もなき多くの人々の姿もまた紹介している。

 

ところが,生徒達が帰宅すると決まって親からLINEが来るそうだ。

 

曰く,「あなたには治療を依頼しているだけで,センター試験にも出ない,つまりは有名校合格になんら関係のないよけいな事を子供に知らせてほしくない。もし受験に失敗したらどうするのだ?今後は一切こういったことはやめてほしい!」と。

 

平成の御代が終ろうとする今になってもこのていたらくである。

 

万国共通の良い国民となるために必要な歴史が教科書に載らず,受験に必要とされないようにしている「不適切な教育制度」へ全く思いを致さないのはなぜか?

 

おおかた「じいじ」だの「ばあば」だのと若見え命に浮き身をやつしている祖父母もまた同レベルだろう。この祖父母にしてこの親だろうからね。

 

逆に彼が,自分がいかに儲けているか,年収が軽く億を超えるか,なんどとまず「富裕層であること」をさんざん自慢し,親達に生徒からじゅうぶん伝わるのを見計らってから,

 

「先生はどうやって勉強して成功したのですか?」と聞いてくるのを待って,そこで「うん。先生は子供の頃から折に触れて教育勅語や修身,それにわが国の先人達の偉業を学んだんだよ。紹介するから君達も勉強してみるといい」と狡猾な誘導を試みたらどうだろう?案外,金にさえなれば飛びつくかもしれない!?

 

この事実は,わが国の教育がいかにアメリカの占領政策の敷いた「日本悪玉路線」に忠実に行われ,これをほとんど誰も疑わず,グローバリズムの醜い蔓延への危機感も無く,ただただ拝金主義による自己一身のみの栄達を願って恥じない国民へ成り下がっているかの証左だ。

 

国民の血税にタカり尽くす法匪となり,コバンザメ記者クラブと組んでは霞が関=盗みヶ関=掠めヶ関を占拠して「税金へのダニ官僚」と成り果てる薄汚い根性の者共が輩出されているのももっともである。

 

エリート?

 

どこの国にノブレス・オブリージュを魂に刻み込んでいないエリートがいるのだろう。

 

「赤子が泣くのは俺の心が泣くのだ」と,国策を左右する,本来は高潔で,とてつもない責任を担う栄誉に滅私奉公の誠を尽くすのが真のエリートだ。

 

 

増税はダニ駆除を終わらせてから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

              以下引用

 

「自民党の馳浩元文部科学相は18日のBS―TBS番組で、千葉県野田市の小4女児が死亡し傷害容疑で両親が逮捕された事件を巡り、監護や教育のため子どもを懲らしめる「懲戒権」を民法から削除するよう山下貴司法相に近く要請すると明らかにした。馳氏は、児童虐待に関する党の特命委員長を務めている。

 民法の見直しを検討する考えを示した安倍晋三首相の13日の国会答弁に触れ「子どもの成長に必要な教育は、体罰や暴言、暴力であってはならない。懲戒権は削除すべきだ」と述べた。

 児童福祉法と児童虐待防止法を改正し、体罰禁止を明記すべきだとも強調した。」(平成31年2月18日 共同通信配信)

             引用終わり

 

自分自身が愛の鞭ばかりを受けて育ってきたせいか,「子供の成長に必要な教育は,体罰や暴言,暴力であってはならない」なんて極めつけの綺麗ごと,もしくは理想論を大真面目に言われても首を傾げてしまう。

 

横道へそれようとする子供の襟首をつかんでも正道へ引き戻す,人としてしてはならない事をした際に火が出るような勢いと激しさで叱りつけるのは,いずれも愛情がなければできないことだ。

 

この子が将来どうなろうが知ったこっちゃないと思えば,可愛いわが子を,あるいは児童生徒を,本気で叱らないのは当然だ。

 

もちろん,感情だけで激高してしまい,急所を外すことも手加減も一切せずに無残な死に至らしめてしまうのは論外で「躾」や「教育」の名に値しないが,

 

いつの頃からか,鵜の目鷹の目で「暴力はいけない」と愚かな監視社会を作り,指導に当たる親や教師が委縮するように仕向けている者達は,

 

内申書やレギュラー選抜権を握られて弱い立場の児童生徒に「俺はどんな処分でも受けるぜ」などと見苦しく相手の足元を見ながらうそぶき,愛情の裏付けのない「卑劣な暴力」をふるって澄ましている教員と,保身一途にそれを見て見ぬふりしている校長や,

 

逆に,教育者の権威も雲散霧消で,逆ギレした生徒から他の生徒の面前で殴る蹴るの暴行を加えられ,ねじ伏せるわけにもいかずに逃げるしかできない教員が直面する事態を解決できる「処方箋」を一度でも具体的に示せただろうか?

 

示せはしない。

 

そのくせ,教育勅語だ修身だと聞いた途端に,パブロフの犬よろしくワオワオと吠えはじめ,やれアナクロだ戦前回帰だと頷きあっては,考えさせる道徳教育だの,教科化されたから評価がたいへんだなどと寝言を撒き散らす。

 

多くの諸外国と違い,いまだに共産党を非合法化もせず,言いたい放題やりたい放題でのさばらせていることもあるし,足掛け7年かけた戦勝国アメリカの言いつけ,つまりは「占領政策」が骨がらみになっていることもあるだろう。

 

アメリカ目線の「植民地向け新修身」に歯向かう奴は非国民だ!焚書坑儒だ!といつまでもわが世の春を謳歌するつもりらしいが,そうそういつまでもうまくは運ばない。

 

かつて,戦わずして屈服する道を選ばず,乾坤一擲の大戦争を引き起こした日本の誇りは,完全に葬り去られたようでいて滅んではいない。

 

犯罪件数が減少していますなんて得意顔で報道されても,個々の事件の鬼畜にも劣る残虐性が高まっているおぞましさと異常さは国民の胸を揺さぶり始めている。

 

山火事からわが子だけは守ろうと,羽を広げてヒナを守って自分は焼け死んでいく母キジの姿にも大きく劣る母親達の出現を,日本人はいつまでも放置してはいない。

 

教育勅語からも修身からも学ぶべきは堂々と学ぶべきだ。世界に比類なき一君万民の国体と,人としての基本的な素養を愛情をもって叩き込む子供時代を取り戻すための「覚悟」が政府にないのだから,

 

国民はそれぞれの持ち場から根気よく声を上げていかなければならない。

 

征服者とその飼い犬達は国民が諦めるのを待っている。

 

それは,拉致被害者家族が死に絶えるのをひたすら待ち,領土侵略でも抗議するふりだけして,あとはひたすら宗主国アメリカ様にクンクン鼻を鳴らしてちぎれるほどに尻尾を振るだけの醜悪で恥知らずな植民地総督府の姿勢を見れば誰にでも解る。

 

まだ敗戦から74年。日本人は,悲しき命を積み重ねながら生まれ変わり死に変わって独立自尊を必ず取り戻す。

 

まずは愛情溢れる理性的な体罰復権からである。

 

    聖なる海で戦った者達の「雲の墓標」を忘れはしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれは,村山内閣の「謝罪決議」に対していてもたってもいられず,鹿児島の片田舎から空路で東京に行き,僅かでも抗議の意思を示そうとデモに参加した折のことだった。

 

例によって例のごとく国内マスコミは完全にデモを無視し,沿道のカメラはZDFやBBCを始め海外メディアばかりだったし,

 

故 東條由布子氏が書き残したところによると,NHKディレクターの夫君は「あんなデモなんかバリューがないんだよ!」と言い放ち,10人も集まらない反日集会を例によって全国ニュースで流したのだったが,

 

首都は,折からの寒波でかなり寒かったが,13個梯団ほどは編成でき,おおよそ4000人以上でシュプレヒコールを上げられた良い?デモだったように記憶している。

 

それはまあ,「帆に風無きは寂しかりけり」だけれども,コバンザメ記者クラブが無視する中を,これだけ全国から集まれたのには,わが国に消え残る独立自尊の希望の片鱗が垣間見えた思いはした。

 

その夜,あらためて出かけるのも面倒だと,泊まったホテルのバーで一人グラスを傾けていると,デビ夫人にとてもよく似た「往年の美人」がずいぶんときこしめされた御様子でフロアを横切ってきて,

 

「隣に座っても?」というサインを瞳と仕草で優雅に示すと,微かなサムサーラらしき(微妙にノートは人によって変化するから)香りだけをお供に,頷いた私の隣に腰を下ろした。

 

手の甲はもちろんのこと,うなじの線にも首筋にも,隠しようのない老いが忍び寄ってはいるけれど,誰しも生きていればこうなるんだよなあ,女が年を取るのは早いとはこういうことかあ・・・なんて,30代半ばの私が妙に清らかな!?気持ちになっていると,

 

彼女はポツリポツリと,これまで訪れた外国の話や,自分を通り過ぎていった男達との思い出を,シガリロの煙を緩やかにくゆらせながら記憶の引き出しをひとつずつ開けて聞かせてくれるのだった。

 

彼女に勧められるままにアクバビットやカルバドスを干しては,またシングルモルトのスコッチに戻る流れを繰り返していると,なんだかアルコールに手足の関節を優しく揉みほぐされていくようで,私は知らず知らず「魔のちゃんぽんトラップ」にかかりそうになっていた。

 

「ねえ あなた,イイ男のカテゴリーを知ってる?」と,彼女は面白そうな様子でいきなり聞いた。

 

「はあ?いやまったくその・・・見た目と金ですか?それともフェロモンの噴射?量かな?あるいは主砲の口径?」と,私が要領を得ない返事をすると,

 

「主砲って何?違うわよ。教えてあげるから覚えときなさい。あのね,ひとつは都合のイイ男,次は本当にイイ男で,最後はどうでもイイ男なのよ」

 

「はあ~」と私が絶句していると,彼女はバーテンダーに目配せして最後のシガリロをもみ消し,万札を五枚カウンターに置くと「このひとにもう少し飲ませてあげて」と微笑み,

 

「これからの人生で,あなたは何番目に入るのかしらね」と優しく私に言うと,現れた時と同じようにして,チークでも踊るような足取りでフロアを横切って消えていった。

 

 

国賊村山に抗議したあのデモの夜以来,私は当然ながら女性にとって第三カテゴリーに分類される男として人生を歩んでいる。

 

 

遥かな旅路の途中で,おおげさな口ひとつ叩くでもなく,それぞれの立場と責任において黙々と日本国の一隅を照らしている尊敬すべき同志達に各地でめぐりあえた。

 

彼らはもちろん第2カテゴリーに属するわけだけれど,そういった生き方への憧れと尊敬だけは,世に棲む日々を終えるまで胸中深く秘めていこうと思っている。

静かな酒場には,青白い炎を上げる志がたゆたっていることがある。