クラーク博士と教え子たち&ボヘミアン・ラプソディ&おまけ&レディオガガ♪ | 祝福神~ご縁に感謝♪

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4人の両親を看取って、なんだか淋しい日々です。これからは小林正観さんの言葉「祝福神」(7つの言葉)…「うれしい、楽しい、しあわせ、愛してる、ありがとう、ツイテル、大好き」の言葉を言いながら明るく年を重ねていきたいです。みなさんとのご縁に感謝です。

 正観さんによると…。

 

●クラーク博士の来日

 

 明治時代、日本が欧米各国からかなり遅れていると認識した明治政府は、多くの外国人専門家を招きました。

 

 明治8年(1875年)、ドイツの地質学者・ナウマンが招かれました。ナウマンは、糸魚川―甲府―富士に至る大きな谷を「フォッサ・マグナ」(大地溝帯)と名付けた人で、小型の象を「ナウマン象」と呼ぶのは、彼の名前からとったのです。

 

 25歳で来日したナウマンは、2年後に東大地質学教師となり、明治政府に「地質調査所」設立を提案して設立させたのでした。

 

 明治9年にはクラーク博士が来日しました。

 翌明治10年にはモースが来日しています。

 モースはアメリカの動物学者で、横浜から東京へ列車の窓から大森貝塚を発見したことで有名です。東大の生物学科の初代動物学教授となり、明治12年まで生徒を教えました。

 ダーウインの進化論を日本に紹介したのもモースで、滞在中は動物学だけでなく、考古学や日本の古い文化財などにも興味を示して研究、帰国後は博物館の館長になったほどの幅広い学識の人でした。

 

 明治8年、9年、10年と、日本に大きな足跡を残した人が3人も連続して来日しているわけですが、なかでも、明治9年来日のクラーク博士は、人間の‟生き方”について影響を与えた教育者です。

 クラーク博士は1826年に、アメリカのマサチューセッツ州アッシュフィールドに生まれました。高校の教師ののち、ドイツに留学し、帰国後、母校のアマースト大学の教授になりました。

 1867年にはマサチューセッツ州立農科大学の学長になっています。わずか41歳での就任です。優秀な人だったのでしょう。

 それから9年後、北海道開拓使・黒田清隆の招きで、札幌農学校学校創設に教頭として参加することになりました。

 

 

(写真はネット画像です)

 

🎥私の好きな映画🎥

 

 

85作目 「ボヘミアン・ラプソディ」

 

 

 

 

その1 ドラゴンの涙

 

 ブログ友達さんがボヘミアン・ラプソディを観に行かれた方が多く、ネットの評価もとてもよかったので、ちょっと興味をもちました。いつもやさしいお友だちのご主人がこの映画に誘っても興味ないと聞いて、「あらま、うちのドラゴンはどうかしらん?」と聞いてみると、「観たいとのこと」。へー、びっくりでした。(でも私が言わなかったら、絶対に観に行かないね。たぶん…行動力のないドラゴンです)私自身は、クイーンは、知っていたけれど、あまり若い時には興味がなかったですね。洋楽は好きだったのですが…。でもミーハーなので、流行っている映画は観に行きたくなっちゃって…。

 

 すると、映画を観終わって、私も感動!ドラゴンはうっすら涙を浮かべていました。地方の映画館なのですが、(私たち以上に高齢の方たちが多かった…)ほぼ満員でした。パワーのある映画でした。

 

 でもドラゴン、18歳からの長いお付き合いですが、初めてクイーンのファンだったと知りました。不思議ですね。今まで聞いたことがなかったよ。あらためて、変な人だな…と思ったふくでした。それにしても映画を見て涙ぐんでいるドラゴンを初めて見ました。不思議な映画です…。

 

 

その2 フレディ・マーキュリーと猫

 

 主人公のフレディも育った家庭環境から病気までいろいろなエピソードがあるのですが、いつも時々映画のスクリーンを和やかにしてくれたのが、猫ちゃんたちでした。フレディは、大の猫好きだったみたいです。ロックは嫌いな方でも猫好きな方は見ても損はないですよ♪

 ネコ好きの人に悪い人はいないと思っている私です。

 

 

その3 女友達

 

 フレディのバンドへの愛(家族にも似たような愛情)も感動したのですが、私は最初の頃のパートナーの女性と、ずっと最後まで友情を続けていたことに感動を覚えました。フレディは、同性の恋人ももちろんいるのですが…。

 でもこういう愛情っていいな…。憧れるな…。女性は、結婚して、子どもができても、ずっとフレデイへの友情は大切にしていたの…。フレディも彼女を死ぬまで大切に思っていた…。フレディの優しい愛を感じた映画でしたよ♪

 

 

☆お友だちのツイキャスから~気に入った曲☆

 

その1 「スイートメモリーズ」 松田聖子

 

失った夢だけが 

美しく見えるのは何故かしら 

過ぎ去った優しさも今は 

甘い記憶 Sweet memories ♪

 

作詞は、大好きな松本隆さん、作曲は今はなき大村雅朗さんです。

スイートメモリーズは、切ないけれど思い出があるだけでも人生が豊かになるよね♪

 

 

その2 「ラブ・スコール」 ~ルパン三世の音楽 フジコちゃんのテーマ曲? 奥井雅美

 

Love squall it's my Love
もう逃がさないわ
予告もなく つかまえるの
この愛のスコールで

だけどあなたの 心は風
いつの間にか すりぬける♪

 

なんか遠い昔…聴いたことがある、懐かしいメロディーね。

ルパンか…。う…ん、私の大好きなお友だちもルパンに似ているかもね…♪

でもすごい博識です。自分の無知をいつも思い知らされます…。

いろいろ教えてくれて、ありがとう♪少し賢くなった気分です♪

 

 

 

その3 「Say Yes」  チャゲ&飛鳥

 

君があふれてる
言葉は心を越えない

とても伝えたがるけど心に勝てない
君に逢いたくて逢えなくて寂しい夜♪

 

もうこれは名曲♪

チャゲ&飛鳥の一番のっていたころの曲ですね。

いい歌をいっぱい作っているのね。

飛鳥さんの声も甘くてマイルドで実にいいのだけど…。

 

 

その4 「ツイてるね ノッてるね」 中山美穂

 

♪ツイてるね ノッてるね 

星ほどもいる男と 女がめぐり逢う 

理想の愛はひとつきりなのに♪

 

なんとなんと大好きな松本隆さんの作詞とは…今まで知らなかったね。

聖子ちゃんに書かれた詩とは雰囲気がまったく違うね。

その人のイメージで書いていたんだろうね。

今思えば、ミホリンもいろいろな歌を歌っていますね♪

 

 

その5  「昴」 谷村新司

 

♪我も行く 心の命ずるままに 

我も行く さらば昴よ 

 

ああ いつの日か誰かがこの道を 

ああ いつの日か誰かがこの道を 

 

我は行く 蒼白き頬のままで 

我は行く さらば昴よ 

我は行く さらば昴よ ♪

 

なつかしい歌ですね。20年以上前に台湾に行った時に、朝の街の公園でおじいちゃんたちが太極拳をしながら、この歌がかかっていたのを思い出すよ♪

壮大なイメージの昴、名曲ですね。

 

 

 

 

♪私の好きな歌♪

 

410曲目  「Radio GaGa」  QUEEN

 

 

こちらは、映画のラストシーンにもなったバンドエイドのライブです。

本物です。映画は、実にうまく表現されていましたよ。

そっくりです。

 

私がクイーンを初めて知った曲は、このレディオガガですね。

レディーガガはクイーンが好きだったから、この名前にしたと聞いています。

私もこの曲は好き♪

 

昔、試験勉強をしているとき、よくずっと深夜ラジオを聴いていました。

そのときに流れてくる歌がやはり80年代のJPOPと洋楽かな?

今は、お友だちがツイキャスで流してくれる…、まるでラジオのよう…。

仕事で疲れた体と心が癒されます♪

ありがとう。お友だち♪遠いところから…幸せです♪

 

今日も見ていただいて、ありがとうございます。

今週は長いね~♪

毎日追いまくられていますが、あと二日がんばりましょう!

次回は、土曜日にお会いしましょう♪

ごきげんよう…。またね♪