創価学会 内部アンチ -7ページ目

つねに勝負

聖教新聞を読むといつも「戦時中の新聞か!?」と思ってしまいます。
つねに勝負勝負、勝利勝利と・・
学会活動っていつもこんな感じで煽り立てられます。
“異常にハイテンションな人達”の“報告大会”です。
のんびりできません。
というか、のんびりすることがまるで悪いかのようです。
確かに人生には勝負しなければいけないときもありますが、メリハリが大切でしょう。
つねに勝負しなきゃいけない学会活動は心休まるときがありません。



5日の新聞の『わが友に贈る』に


忘恩の輩を見下せ!


とありました。“忘恩”とは“恩知らず”みたいな意味かな。
“忘恩の輩”とは日顕、山崎(脱会者や内部アンチも?)など学会にとって裏切り者のこと。


人を見下す行為って最低では?


はっきり“見下せ!”と書いてあります。


人間を敬うのが学会の教えなんじゃ・・


しかも“忘恩”って恩着せがましい。

はやくも財務

数日前になりますが、はやくも財務の申し込みがありました。


はやっっ

まだ半年も先なのに・・
去年は夏の終わりごろだった気がするのですが、今年は初夏?


それにしてもムカついたのは
「財務申し込む?」って言葉がひとこともなく

「はい、これ申し込み用紙。判子押しといてね」と申し込んで当然とばかりに渡されたことです。
過去に財務の集いという記事でも書きましたが、私は今年の財務は申し込むつもりでした。ですから申し込む?ってきかれても申し込んでいましたが、
建前では財務は自由のはず。

だったら申し込むかどうかきくのがスジでは?
信心に確信を持ち、あきらかにバリバリ活動してる人にならわかりますが、私は最近は会合も結構休んでます。活動いやがってるんだろうなって空気は感じ取ってるはずです。
正直、強引だなと反感を抱かずにはいられませんでした。


しかも、やり方が汚いのは会合の最中に渡してきたことです。他の人はもうもらっている模様。
私が断ればそこにいる全員で責めるつもりだったんじゃ・・
(なんで、申し込まないの!?魔が入ったの?、福運逃げるよ、あとで倍になって返ってくるよ、等)
考えすぎでしょうか?



現状バリ活はみんな財務しています。
「そんなことない、財務してない活動家もいる」と言う学会員さんもいるかもしれませんが、それはレアケースだと思います。普通はみんな財務してます。
私は活動家でも財務しない人がいてもいいのではないか?とおもっています。
もっと自由でもいいのではないか、と。
そうすることで気軽に活動がはじめられるし、活動家もふえるとおもうんですが・・
(仏道修行なので気軽にはじめられては困るのかもしれませんが。でもそんなこと言ってる場合じゃないぐらい人材不足では?)

建前では財務は自由ですが、活動家になると強制に近いものがあります。
(だから申し込む?って言葉もなかったんだとおもいます。)
活動家で財務しないと非常に居心地が悪くなるでしょう。周りはみんなしてるんですから。
結局非活になってしまうとおもいます。


やはり創価学会は宗教ビジネスだから?


今回のことも学会は成果主義ですから、地区の財務申し込み数を減らしたくなかったので、私に対して強引な手段に出たんだとおもいます。
しかし、そういうことをやってると信心に不審を抱く会員さんがでてくるのでは?
信心に確信を持っていない会員さんがこういう強引な手段をとられると
「学会ってやっぱりおかしい」

となり組織から離れる結果となります。
(私の場合、信仰も持っていませんし、組織も信用してないのでどんな手段を取られても一緒ですけど)
組織から離れるだけでなく、信仰心も殺してしまいかねない。


日蓮仏法の信仰を殺すというのは、学会のいう“謗法の者”とやってること同じじゃないですか?
成果や数字ひとりひとりの会員さんの信仰、どっちが大事がよく考えてから行動してください。
宗教ビジネスだから信仰心を殺そうがどうでもいいってこと?
結局学会は自分で自分の首を絞めてるのでは?
ひとりひとりを大事にしていたら、下の会員さんが反感を抱くような強引なやり方はしないはずですが・・

ダイサク・イケダの日

数日前の新聞のトップに


アメリカネバダ州が宣言 5月3日を『ダイサク・イケダの日』に


ってかいてあった。


ダイサク・イケダの日』って・・