「蓼喰う虫も好きずき」という言葉がありますが、「蓼喰う虫」という長編小説を書いた作家は? | KMプロデュースのブログ

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今週の問題

「蓼喰う虫も好きずき」という言葉がありますが、「蓼喰う虫」という長編小説を書いた作家は誰でしょう。

 

選択肢

・小山内薫

・芥川龍之介

・山本有三

・菊池寛

・谷崎潤一郎

 

正解…谷崎潤一郎

 

解説

弟である精二が作家で、のちに英文学者(早稲田大学教授)になったという谷崎潤一郎(1886~1965)は、明治末期~昭和中期に活躍した日本の小説家です。

初期は耽美主義の一派とされ、過剰なほどの女性愛やマゾヒズムなどのスキャンダラスな文脈で語られることも少なくないものの、漢語や雅語から俗語や方言まで使いこなす端麗な文章と、作品ごとにがらりと変わる巧みな語り口を得意としています。

特に『痴人の愛』、『春琴抄』、『細雪』など情痴や時代風俗などのテーマを扱う通俗性と、文体や形式における芸術性を高いレベルで融和させた純文学の秀作によって世評高く、「文豪」「大谷崎」と称されました。

ほかにも、ミステリー・サスペンスの先駆的作品、活劇的な歴史小説、口伝・説話調の幻想譚、果てはグロテスクなブラックユーモアなど、娯楽的なジャンルにおいても多く佳作を残しています。

 

 

谷崎倉五郎と関との次男として現在の東京都中央区日本橋にて誕生したのですが、長男・熊吉が生後3日もたず亡くなったため、次男なのに出生届に「長男」と偽られたことがありました。

母方の祖父・谷崎久右衛門は一代で財を成した人で、父は江澤家から養子に入ってその事業の一部を任されていたのですが、祖父の死後事業がうまくいかなくなって進学が危ぶまれた時期がありました。ただ散文や漢詩といった文才がとても優れていたため、谷崎の才を惜しむ教師らの助言で、住込みの家庭教師をしながら現在の日比谷高等学校へ入学することができました。そして高校一年のときに『厭世主義を評す』を執筆、周囲を驚かせ、「神童」と呼ばれるようになりました。

そこであまりの天才ぶりに、当時校長先生だった勝浦鞆雄から一旦退学し、第二学年から第三学年への編入試験(飛級)を受けるよう勧められましたが結果合格、おまけに学年トップの成績を修めたそうです。

他の学科も優秀で、卒業後は第一高等学校に合格して入学、校友会雑誌に小説を発表しました。


1908年に一高英法科卒業後に東京帝国大学文科大学国文科へ進むも、学費未納のため中退を余儀なくされます。在学中は和辻哲郎らと第2次『新思潮』を創刊し、処女作の戯曲『誕生』や小説『刺青』を発表しました。この時から永井荷風によって『三田文学』誌上で激賞され、文壇において新進作家としての地歩を着々と固めていきました。

以後は『少年』、『秘密』などといった諸作を書きつぎ、自然主義文学全盛時代にあって物語の筋を重視した反自然主義的な作風で文壇の寵児となりました。

関東大震災後は関西に移住し、長編『痴人の愛』では妖婦ナオミに翻弄される男の悲喜劇を描いて大きな反響を呼びました。

続けて『卍』、『蓼喰ふ虫』、『春琴抄』、『武州公秘話』なども発表し、大正以来のモダニズムと中世的な日本の伝統美を両端として文学活動を続けていきます。こうした美意識の達者としての谷崎の思想は『文章読本』と『陰翳禮讚』の評論によって知られていきました。

私生活でも2度の結婚・離婚を経て、1935年(昭和10年)に、元人妻の森田松子と3度目の結婚をして充実することになりました。

太平洋戦争中は、松子夫人とその妹たち四姉妹との生活を題材にした大作『細雪』に取り組み、軍部による発行差し止めに遭いつつも執筆を続け、戦後その全編を発表しました。ちなみに登場人物である二女「幸子」は松子夫人、三女の「雪子」は松子の妹・重子がモデルです。

高血圧に晩年は苦しみましたが、『過酸化マンガン水の夢』(1955年)を皮切りに、『鍵』、『瘋癲老人日記』といった傑作を発表、 1950年代には『細雪』、『蓼喰ふ虫』が英訳され出版、そのほとんどがノーベル文学賞候補だったのではないかと言われました(実際は受賞していない)。

最晩年の1964年6月には、日本人で初めて全米芸術院・米国文学芸術アカデミー名誉会員に選出されるなど、数々の作品を残しました。

 

 

 

小山内薫の代表作は『大川端』、『息子』など、

芥川龍之介の代表作は『羅生門』、『杜子春』、『河童』など、

山本有三の代表作は『女の一生』、『真実一路』、『路傍の石』など、

菊池寛の代表作は『真珠婦人』、『父帰る』などがあります。