16世紀、ローマ法王によって、それまでのユリウス暦から改められ、現在、世界の多くの国が・・・・・ | KMプロデュースのブログ

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今週の問題

16世紀、ローマ法王によって、それまでのユリウス暦から改められ、現在、世界の多くの国が用いている、その法王の名前にちなんだ名称が付けられている暦は何でしょう。


選択肢
・コプト暦
・グレゴリウス暦
・アケリス世界暦

・ゲセン暦

・ダリアン暦

正解…グレゴリウス暦

解説

1873年(明治6年)1月1日、日本で太陽暦として採用されたというグレゴリオス(グレゴリオ)暦は、ローマ教皇であるグレゴリウス13世がユリウス暦の改良を命じ、1582年10月15日金曜日からイタリア・スペイン(ポルトガル含む)・サヴォイ公国・ポーランド・リトアニア共和国で行用されている暦法で、グレゴリオス暦を導入した地域ではユリウス暦(旧暦)に対比して新暦と呼ぶ場合があります。よって紀年法はキリスト紀元(西暦)を用いています。
平年で1年365日としていますが、400年間に(100回ではない)97回の閏年を置いてその年を366日とすることによって、400年間における1年の平均日数を365日+(97/400)日=365.2425日(365日5時間49分12秒)としています。この平均日数365.2425日は実際に観測で求められる平均太陽年(回帰年)の365.242189572日(2013年年央値)に比べて約26.821秒長いだけなので、ユリウス暦に比べると格段に精度が向上したと言えます。


制定に至る背景ですが、キリスト教徒にとって復活祭は特に重要な祝祭日として知られていますが、新約聖書においてイエス・キリストの処刑と復活の記事は、太陰太陽暦であるユダヤ暦に基づいて記述されていて、イエスの処刑日は過越祭第一日目の二サン月(春分の頃に来る太陰月であり、メソポタミア文明の暦においては伝統的に正月)15日(共観福音書)とあります。一方ローマ帝国領では紀元前45年に、ユリウス・カエサルによって制定された太陽暦であるユリウス暦を採用していたため、ローマ帝国領に住むキリスト教徒で復活祭をいつ祝うか問題になっていました。
他方でエジプト暦の伝統を持つアレクサンドリアの教会ではディオクレティアヌス紀元、コプト暦およびメトン周期を用いて季節(太陽年)と月齢(太陰月日)を独自に計算して季節と月齢を合わせる基準日を設け、メトン周期を用いて太陰年と太陽年の差を修正しながら各年の「ほぼ同じ季節に該当する太陰月日」を計算していくと擬似的な太陰太陽暦を編纂するのと実質同じになるという考え方です(コンプトゥス)。ユダヤ暦ニサン月は春分の頃に訪れる太陰月であるから春分日を基準として、春分後最初の太陰月14日のすぐ後の日曜日を復活日としています。
ただそれでもユリウス歴は暦年の平均日数を365.25日、実際の太陽年は約365.24219日であることから、春分日が毎年ずれていく問題がありました。こういった経緯で復活祭日が定められましたが、結局はユリウス歴と太陽年のズレが問題視されました。復活祭日が太陰月日(月齢)に準拠する方法で定められていると、ユリウス暦3月21日の月齢次第で復活祭日の季節が1ヶ月前後してしまったり、16世紀後半になると3月21日の春分日は実際の春分日から10日間弱ズレが生じていました。

そこでローマ・カトリック教会は対抗宗教改革の一環として改暦委員会に暦法改正を委託し、賛成・反対の立場から大きな論争になったと言われています。


そこで、ユリウス暦の約1240年間の運用によって蓄積された約10日間のずれをどのように修正するか、1584年以降の40年間にわたって閏日を設けないことで、40年÷4年=10であることから10日間だけ暦を進めるか、もしくは1582年の最も適当な月に10日間を省くかどちらかの案が出ました。その結果後者が採用されたのですが、どの月から10日間省くかという議論で、宗教典礼日が最も少ない10月が教会への影響を最低限にとどめられるからという理由で決定しました。

こうして改暦委員会の作業の末に完成した新しい暦は、1582年2月24日にグレゴリウス13世の教皇勅書として発布されることになりました。これはユリウス暦1582年10月4日木曜日の翌日を曜日連続させつつ、グレゴリオ暦1582年10月15日金曜日とすることを定め、イタリア・スペイン・ポルトガルなどごく一部の国で実施されました。

 

グレゴリオス改暦が議論され始めていた1560年頃には平均太陽年が約365.2422日であることが知られていました。

(365.25日 − 365.2422日)× 400年=3.12日/400年

であるから、ユリウス暦における置閏法(400年間で100回の閏年)に比べて400年間に3回の閏年を省けばかなり近くなることが分かるため、400年間に97回 (=100−3) の閏年を置くこととして、1年の平均日数を365.2425日=365日5時間49分12秒(正確には31556952秒)としました。


365日+97/400=365.2425(日/年)…… グレゴリオ暦による1年の平均日数


400年間の日数は、

365.2425×400=146097日

であり、7で割り切れます(146097÷7=20871週)ので、グレゴリオ暦は曜日も含めて400年周期の暦になりますが、人間の寿命がそもそも100年なので、扱う事はほぼ少ないと思います。

400年間における閏年の回数の差
ユリウス暦    閏年100回+平年300回=400回
グレゴリオ暦 閏年97回+平年303回=400回


400年間に3回の閏年を省くには様々な方法があり得ますが、3回の平年がなるべく均等に分布することと、わかりやすく記憶しやすいことを考慮して、

 

「西暦紀元(西暦)の年数が100で割り切れるが、400では割り切れない年は平年、

これ以外の年で西暦年数が4で割り切れる年を閏年とする」

 

というルールが採用されました。これも100で割り切れる年は400年間に4回あって、400で割り切れる年は400年間に1回だけであることから、ユリウス暦では閏年になる3回分の年をグレゴリオ暦で平年にすることができるのです。

ですから100で割り切れる年のうち、西暦1600年・2000年・2400年は400で割り切れるため閏年、西暦1700年・1800年・1900年・2100年・2200年・2300年・2500年・2600年・2700年は400で割り切れないため平年ということになります。


1752年にはイギリス帝国全域が、1753年にはスウェーデンの独自暦だったスウェーデン暦を廃止してグレゴリオ暦へ完全移行し、全てのプロテスタント諸国がグレゴリオ暦を導入される運びになりました。

各国のグレゴリオ暦導入年月日
1582年12月20日 - フランス王国 後に中断(フランス共和暦)
1583年1月1日 - ベルギー、オランダのカトリック諸邦(フランドルとベルギーの一部では、1582年12月21日の翌日(12月22日)を1583年1月1日としたため、1582年のクリスマスはありません)
1583〜1587年 - ドイツ、スイス、ハンガリーのカトリック諸都市
1700年3月1日 - ドイツのプロテスタント諸都市、デンマーク
1752年9月14日 - イギリス帝国(後のアメリカ合衆国など当時の植民地すべて)
1753年3月1日 - スウェーデン(フィンランドを含む)
1867年10月18日 - アラスカ(日付変更線がアラスカの東側から西側へ移動されたために金曜日が2回連続で繰り返されています)
1873年(明治6年)1月1日 - 日本(明治改暦)
1896年(建陽元年)1月1日 - 大韓帝国
1912年(民国1年)1月1日 - 中華民国(建国とともに採用、同年2月12日の清朝滅亡とともに国内全域で正式な暦となる)
1918年2月14日 - ソビエト・ロシア(1929年10月1日にソビエト連邦暦に移行した)
1923年3月1日 - ギリシャ
1940年6月27日 - ソビエト連邦(1929年10月1日より採用されていたソビエト連邦暦から復帰した)
1941年 (2485タイ太陽暦年)- タイ王国
2016年春 - サウジアラビア

 


グレゴリオス暦はユリウス暦に比べはるかに精度が高いですが、誤差が完全解消されたわけではありませんので、現在も世界暦への改暦提案などがしばしばなされています。

 

 

 

 

コプト暦はエジプトで採用されている太陽暦で、アケリス世界暦とは1930年代に世界暦協会のアケリスによって現在暦法改良案として提出された暦法ですが、国際連盟や国際連合で否決されたために1956年4月30日をもって協会が解散しました。

ゲセン暦はSF作家であるアーシュラ・K・ル=グィンの『闇の左手』で扱った架空の暦で、ダリアン暦は火星における暦法です。