「性教育はエロいものだと思ってた」──高校生が自分たちで考える「人生の役に立つ授業」 | KMプロデュースのブログ

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これはYahoo!ニュース オリジナルで特集され、12月3日17:08に性教育の分野で取材・執筆活動を行うフリーライターの岡本耀(おかもと・よう)氏によって配信された記事です(一部要約しています)

 

 

「性教育」は単に性交や避妊について教えるのではなく、性の多様性を知って社会生活を送る上で必要なさまざまな知識を身につけること──。そんな理念で、1年生の総合学習で「性と生」を教える高校があります。授業を受けた生徒からは「高校の授業で多様性について学べてよかった」「人生が変わっていく」といった声が聞かれました。一体何が生徒を変えるのでしょうか?

東京都世田谷区にある私立高校の大東学園高校であった授業を取材し、今年卒業したばかりの生徒の声も聞いてみました。

この高校には「性を通して多様性や自分らしい生き方を考える」ことを大切にするのが目的で「性と生」という独自の総合学習というものが1996年から始まっています。これは1年生の普通コースと福祉コース合わせて約330人が受ける必修科目となっており、年25時間ほど設けられているそうです。なお、単位を取るにあたりテストといったものはなく、出席と年4本のレポートで単位認定とされます。

小・中・高等学校では保健体育などの授業の一部を使って性教育を行っていて、近年では産婦人科医や助産師を招いて「出前授業」をしてもらう学校も増えてはいます。そうした中で、大東学園高校のように授業内容が性教育そのものである「性と生」が必修科目となっているのは全国的にみてかなり珍しいそうです。それだけに生徒も最初は戸惑うもので、

 

「やりたくない」

「気持ち悪い」

 

と抵抗を感じたり、

 

「エロいのでは?」

 

と先入観が先にきたりします。ところが1年後になると感想が大幅に激変し、

 

「やってよかった」

「いやらしくない」

 

となったのです。何が生徒を変えていったのでしょうか?


そこで2021年6月、筆者は「性と生」の授業を見学する機会があって来校しました。そしてチャイムが鳴り、普通コース1年B組には男子25人、女子13人全員席につきます。ブレザーやシャツ姿が多いが、トレーナーやパーカーを着ている生徒もいます。

そして今回「性と生」の授業を担当する水野哲夫先生(当時68)が登壇して授業が始まりました。教室は少し心配になってしまうほど騒がしいままではありました。
今回の授業のテーマは「デートDV」でした。渡されたプリントに6コマのマンガが二つあり、どちらも付き合いはじめた高校生男女の話です。


①別の女の子と仲良くしている彼を見て、彼女が「浮気者!」と激怒する。そして「私以外の女子と話すの禁止!」と彼のスマホから勝手にLINEの連絡先を削除してしまう。彼は「好きだからしょうがないのかな」とつぶやく。


②彼が「エッチしよう」と言うが、彼女は「したくない」からはぐらかす。すると彼は「オレのこと好きじゃないのかよ!」と彼女を突き飛ばす。彼女は「好きだからエッチしなきゃいけないのかな」と悩み、彼もまた「オレ、おかしくないよな」と考え込む。


というものです。ここで先生がある問いかけをします。


「この人たちがなんで暴力に走るのか考えてほしい」

 

そこで生徒たちからは、

 

「思い通りにならない」

「自分に自信がない」

「相手を信用していない」

「独占したいから」

 

などの意見が出ました。
さらに先生はこう聞きます。

 

「LINEの連絡先を消されても、彼は怒っていない。なぜかわかる?」

 

と聞くと、生徒からは、

 

「好きだから」

 

の声がありました。

実は、

 

「それこそ『恋愛による勘違い』。好きだったらそうしないといけないと思ってしまう。この『恋愛による勘違い』も暴力の要因になる」

 

そこで、12個の「恋人同士ならこうしなければ」と思いがちなことを生徒に提示しました。そして生徒は「その通り」と思うものに◯をつけていくわけですが、比較的男女の差があった質問は、

 

Q1「深く愛し合っていれば、お互いの気持ちが分かるはずだ」

◯…女子1人:男子10人

 

Q2「恋人同士の約束事は何より優先するものだ」

◯…女子3人:男子11人

 

Q3「愛されるためには、相手の期待にこたえなくてはならない」

◯…女子0人:男子5人

この3つを挙げた時、

 

「実はこのアンケートの質問は、すべて『恋愛による勘違い』だと言える」

 

と告げると、教室の空気が少し変わりました。
この意図は、


「アンケート結果から『恋愛とはこういうものだ』という思い込みの仕方が男子と女子とで違っているということは言えると思います。この社会の中でドラマや映画、マンガなどの形で流通している恋愛に関する常識みたいなものの影響を受けて、ジェンダー(社会的・文化的につくられる性差、性別役割)の差をもって受け止められているでしょう。よってこのアンケートはまずこの違いに気づいてもらい、なぜなのか考えるきっかけを与えているだけにすぎませんが、考えるきっかけがあるかないかとでは大きく違うはずなんです。

 

ですからこの授業では生徒が意見を自由に言えて聞けるようにしてて、生徒が話をしているとその内容に耳を澄まします。騒がしいということは何かを考えている証明なので、ただ静かにしているよりずっといいんです。教員が考えを言うこともありますけど、これも結局はクラスの意見の一つでしかありませんからね」

そこで授業中、生徒の一人がこんな意見が出ました。

 

「ジェンダーがどうのって(よくこの授業で)言うけど、アンケートの最初で男女を選択させているよね」

 

というのがありました。この発言の意図ですが、「性と生」というの独自の教科であるため教科書ではなく、テキストとなる「学習資料集」が担当教諭らによって作られ、毎年改訂されています。そして一年生の最初に学ぶのは「性の多様性」であり、6月の時点で性は多様で一人ひとり違い、ジェンダーは「男らしさ」「女らしさ」というような性別役割のことと学んでいるのです。それを踏まえた上で、アンケートを男女別で取ることに疑問を呈したのです。そこで水野先生はこう切り返しました。

 

「学んだことが身についていますね。たしかに、このアンケートはジェンダーを明らかにする必要があるのか、という問いは大切です。その生徒は、教員の言うことも『本当にそうかな?』と思って聞いている。それはとても大事なことです。」



実は「性と生」の授業が始まる以前は、現在とはかなり違っていました。

この頃は生徒がコンドームを持っていると「不純異性交遊」をしていると決めつけていて、親も呼び出し付き合いをやめるように指導することで、生徒の生活改善へとつながるという考え方がありました。当然の話ですが、水野先生もそういう指導をしていました。

しかし、1980年代の終わり頃に考えを大きく変える出来事がありました。

 

 

「助産師になった卒業生に講演をしてもらう機会がありました。その慰労会で、彼女は『先生たちの指導は間違っていて、私たちを苦しめたと思います』と言いました。交際を禁止するだけで性について必要な知識を与えられなかったから、相談をすることもできなかった、と。私たちは非常に衝撃を受けました」

それだけではありません。さらに同僚の中でそのような生活指導を「間違っていると思うから」と行かなかった先生が多数いたのです。これにはショックを受けたそうです。

「性について間違った指導をすることは生徒の人権を侵害することだ、とその先生たちは気づいていたんです。自分が無知だからこうなった、ちゃんと性の学びをしないといけないと思いました」

こうして学校の体制が変わり、それまで理事長兼校長が決めていたカリキュラムや行事などを教職員自らが作成するようになったといいます。そこで性についての総合学習が若者に必要だということで、「性と生」を1年生の必修にすることになった。始めるにあたって、フェミニズムの活動家やジェンダー研究者を呼んで、2年間研修を行ったそうです。
そして1996年、6人の担当者が2人1組となり2クラスずつ担当する形で、「性と生」の授業が始まりました。水野先生は2年後から担当に加わりました。

「体の名称を言うことにまだ抵抗感があり、なかには1学期の間ずっと『ヴァギナ』や『ペニス』が言えず、『お股』と言っていた先生もいました。初めはやっぱりハードルが高かった。それでもなんとかやりましたよ」

当初は生徒たちも恥ずかしがっていたものの、すぐに大事なことだと理解しました。それは行動となって表れるもので、当時は「援助交際」や「ブルセラショップ」が問題になっていた時代でした。

「『女子高生の性が乱れている』という報道に対し、生徒たちから『なぜ買う側である男性の問題は扱われていないのか』という疑問が出てきました。『私たちは商品じゃない!』というテーマで文化祭に取り組むクラスもありました」

2003年から男女共学となり、「性と生」の授業を男女共に受けるようになりました(現在「思春期の体の変化」の授業は男女別になっています)。

体の仕組みが中心だった授業内容は2009年に、ユネスコ編『国際セクシュアリティ教育ガイダンス(以下、『ガイダンス』)』が出版されたことによって大きく変化し、2010年代からは人間関係や、社会の中の性と生の問題、そしてデートDVなど、性暴力を取り扱い、性の多様性を基盤に据えた「包括的セクシュアリティ教育」を行うようになりました。

現在、総合学習「性と生」を担当する教員は男女4人ずつ計8人いて、その中の水野先生は非常勤講師として「性と生」のみ教えていますが、他に専門の教員がいるわけではありません。基本的に有志で、国語や数学といった本来の担当教科と兼任しています。

授業のほかに週に1度の教科会もあって負担は軽くありません。その分は本来の教科の授業時間数を減らして調整される。


「性と生」の授業に影響を受けて、学校の規定を変える提案をした生徒がいました。3月に卒業し、大学で経済学を学ぶ麥倉達摩(むぎくら・たつま)さんは、3年生のときに「制服の男女別の規定をなくそう」と考えました。これも「多様性」について学んだことがきっかけでした。

これまで、

 

女子・・・スカートでもスラックス、ネクタイでもリボンでもよい、靴下は単色で無地のもの

男子・・・スカート・リボンNG、と決められ、靴下に規定なし

 

これらの規定を変えようという提案でした。これは、

「性的マイノリティでスカートをはきたくてもはけない子がいるかもしれないし、男女で着られるものが違うのもおかしいと思ったんです」
この要求は保護者・教員・生徒からなる三者協議会で認められ、今は自由に制服を選べてかつ、高価で重いコートの代わりにトレーナーやパーカーの着用許可も認められ、多くの後輩たちが安価で軽くて暖かい上着を着用しています。

「提案によって後輩の学校生活が便利になっていることがうれしいです。まだ性的マイノリティでスカートをはきたい子が、実際に着用している例があるわけではありません。でもそうなっても変な目で見られることは、『性と生』の授業があるので防げると思います」

麥倉さん自身も、小・中学校ではふざけて誰かを「菌扱い」したりすることを悪いと思ってなかったそうですが、「性と生」の授業を経てやってはいけないことを学び、理解しました。それから街で出会う障がいをもつ人たちのことも気遣うようにもなったそうです。
「無知であることが、いじめや差別につながると思います。高校の授業で多様性について学べてよかった」

同じく今年3月の卒業生、佐藤アキラさん(仮名)も高校時代、「多様性」に興味をもったのですが、直接のきっかけは「性と生」の授業ではなく、高校2年生のときに偶然ネットで見た動画でした。それは戸籍上女性だった人が性別適合手術を経て男性となり生活していくという内容だったのです。そのとき「性と生」の授業をもっとちゃんと聞いておけばよかったと少し後悔したといいます。

「高1当時は、妊娠や月経、勃起や射精などについてストレートに言われることに戸惑いがあり、授業を毛嫌いしていました」

卒業後は体育教師を目指して、多様性やジェンダー論も学べる大学へ進学した。

「『性と生』も担当している担任に悩みごとを相談したことで、教師という職業に興味をもちました。とくに性の多様性やジェンダーについては、思春期にいちばん悩むところだと思います。わからないと不安だし、病気じゃないかと思う人もいると思う。そういう相談も受けられる、生徒と信頼関係を築ける教師になりたいと思います」

 

 

「性と生」を担当するどの先生も授業を通じて、生徒とのコミュニケーションが増えていったそうで、佐藤さんのように、先生に直接相談をしに来る生徒もいます。「性と生」を担当して3年目の町井陽子先生(35)にも経験があって、

「授業のあとに『たぶん自分はDVを受けていると思う』という相談もありました。また、他の先生の『性と生』の授業を受けて、『婦人科に行ったほうがいいですか?』と担任の私に聞きに来ることもあります。授業がきっかけになって、周りの頼れる人に生徒は頼ってくれるようになります」

要するに、この授業がなかったら、この生徒は自分がDVを受けていると気づけなかったか可能性が高いことを意味するものでした。


「性と生」の授業の目指すところを、水野先生はこう語っています。

「授業の基盤になっている『ガイダンス』は、現実を一面的に見るのではなく、多方面から批判的に検討すること、その視点と分析の力量を身につける道筋を学習者に提供しています。そのため授業では人の考えを知りながら自分も知っていくようにする。そしてより良い行動選択が可能になるように力をつけていくのです」


大東学園高校では「性と生」の履修を終えた2年生が新1年生へ「先輩からのメッセージ」をこういう形で残したと言われています。

 



「性と生を学ぶことは間違った行いかそうでないかなど、自分で判断できるようにするためでも、相手を不快にさせない、困らせてしまわないためでもあります」

「これから1年間の授業を大切にしてしっかりと考えていってほしいです。そうすれば人生が変わっていくと思います」

「『性と生』とは私たちの人生そのものです。当たり前にご飯を食べたり、寝るように『性と生』も当たり前で身近なことなのです。これをしっかりと身につけることで、これからの暮らしがより豊かになることは間違いないでしょう」

 

 

これらを見て、皆さんはどう思われたでしょうか?

 

個人的にはこれまで、もし妊娠させて学生結婚とかなったのなら、教育委員会のトップから激怒されることを恐れていたと考える方が自然だったのでは?

そう感じています。だから「青少年健全育成」と銘打って、抑え込みにかかるという対策を考えたと察しています。

 

いわば教育委員会の保身そのものと結論付けて何ら差し障りないと思っています。だからこういう命に関わることを無知で済ませる行為は怖くて恐ろしいのです。