樹門流占い師のトノサキです。
今回は日本史に影響を及ぼした人物
「徳川家康(とくがわいえやす)」をピックアップします。
徳川家康は今からおよそ400年前の戦国時代から江戸時代の武将です。
「江戸幕府」の開祖にあたります。
徳川家康の運勢型は「束縛されるのが嫌い、干渉されるのが嫌い」
マンネリを嫌い、“創っては壊す、“創っては壊す”という
クリエイティブな頭脳の持ち主で、革新派を代表する頭領運です。
鎌倉幕府の祖「源頼朝」、室町幕府の祖「足利尊氏」と同じ運勢型です。
三幕府の祖はいずれも同じ時代を動かす凄まじい運勢の
持ち主であったといえます。
徳川家康は1542年,三河国(愛知東部)岡崎城で生まれ。
幼少時代を織田氏(尾張清洲)・今川氏(駿河)の人質として過ごしたが
桶狭間合戦により独立、織田信長と同盟。
1573年、三方原の戦いで武田信玄に大敗するも、
1575年長篠で織田信長とともに武田勝頼に勝利し勢力を伸ばす。
織田信長没後の1584年、羽柴秀吉と対立し小牧・長久手で戦うが後に講和。
1590年、後北条氏滅亡後の関東に入封。1596年従二位内大臣となる。
1600年に関ヶ原の合戦で石田三成を破り、事実上天下を握る。
1603年に征夷大将軍となって江戸幕府を開いた。
また、大坂夏の陣、大坂冬の陣で豊臣氏を滅ぼし、戦国時代を終わらせた。
応仁の乱(1477年)以降つづいた戦国時代は終わりを告げ、徳川幕府15代260年の太平の時代を開いた。
※hatenaキーワードより抜粋
家康の人生はいつ命が絶えても不思議ではない
人質生活から始まります。
この時の名前は幼名で松平竹千代といいます。
「松平竹千代」という運勢を一言でいうと養子相です。
好むと好まざるにかかわらず「捨てられた子」の境涯となり、
同じ「捨て子の因縁」という運勢型であっても、
その結果は様々ですが、“風前の灯”的な生き方をします。
実はこれには理由があります。
「祖母の代で捨て子をした因縁を孫の代が清算しなければいけない」
という父母を介して隔世した遺伝子がそのような運勢を持ち、
人質になることで因果応報を受けているのです。
生まれた時には松平竹千代、
14歳で松平元信、17歳で松平元康、22歳で松平家康、
その後の25歳の時に朝廷から徳川姓を賜って徳川家康を名乗ることとなりました。
もしも「松平竹千代」の名のままであれば、
江戸時代は存在せず全く違う世の中になっていたはずです。
最後の付いた名前が徳川家康であったから、
260余年も続いた江戸幕府の初代となったのです。
最後の名前で結果が出ます。
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