樹門流占い師 外崎:日本史探訪「豊臣秀吉」その1 | 占いブログ 魂ゆら占い 二代目樹門幸宰

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ブログを通してより多くの皆様に樹門流占術のご理解の役に立てればと思います。

樹門流占い師のトノサキです。




今回は日本史に影響を及ぼした人物


「豊臣秀吉」をピックアップします。




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豊臣秀吉は今からおよそ400年前の戦国時代の武将です。


織田信長が本能寺の変でなくなったあと、


結果的には信長の後継者として日本を統一した人です。




出は百姓ですが彼が天下人になれた要因は


1.時代の根底に下の者が上の者を倒す下克上の風潮があったこと。


2.能力さえあれば出世ができた織田信長に仕えたこと。


3.織田信長が天下統一半ばで横死したこと。


4.織田信長の有力な後継者、長男 信忠も信長とともに横死したこと。


5.知恵と人たらしと言われた巧みな話術があったこと。


などが考えられます。




派手好みや快活で当時の人にも人気はあったようで、


現在でも出身地の名古屋では太閤さんの呼び名で呼ばれていて


名古屋駅前には太閤通りなどゆかりの地が沢山あります。




しかし、あまりイメージにはないかもしれませんが


実際には残虐なことも数多く、


特に1590年に小田原の北条氏を滅ぼし、


天下に敵らしい敵がいなくなった頃からその傾向が顕著になります。




例えば自分に子種がないことを悟り、後継者を甥の秀次とするも


数年後側室淀が秀頼を生んだことから甥を疎ましく思うようになり、


秀次をはじめ、側室、子を含む約40名を処刑。





さらには秀吉最大の失政でもある2回にわたる朝鮮出兵があげられます。


北条氏を倒すまでの秀吉は念入りに敵の情勢を調べ、


いたずらに兵を消耗することはなく、


「戦わずして勝つ」という戦争理念のようなものがありました。





 しかし、朝鮮出兵は「明(当時の中国の国名)を征服するので


朝鮮の国王に明への道案内をせよ」という乱暴なものでした。


現在も同様の気分ですが朝鮮(北朝鮮と韓国)は中国「明」を


兄貴分的な位置とする宗主国(属国ではありません)であって、


秀吉に同意はできず抵抗、結果的に秀吉は朝鮮に侵略します。




朝鮮や中国の関係も調査せず、戦略は一切なく、


やみくもに切り進めといわんばかりの方法です。


晩年の秀吉は人物的にあまり好ましくありません。




当時の秀吉臣下の武将はせっかくの日本天下統一した事実にも


かかわらず戦争をする意義が見出せず、厭戦気分が充満していくことになります。


この厭戦気分が(次の天下人になる)徳川家康の存在を有利にしていきます。




秀吉亡き後、徳川家康が関が原の戦い(1600年)で天下の覇者になり、


さらに後年、秀吉の息子秀頼は徳川家康によって


大坂の役(1616年)を起こされ自害し、ここに豊臣家は滅亡します。




次回の後編に続きます。


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