こんにちは、ASAKOです。
この世界は、本当に自分が考えているようなものなのでしょうか?
この世界は、本当に自分が考えているようなものなのでしょうか?
以前、地下鉄に乗ろうと地下道を歩いていたときのこと。
ものすごい怒鳴り声。
男性です。
誰かとケンカしているようなのですが、相手の声が聞こえないので、誰か警備員の人などに注意されて、それに文句をいっているのかと思いました。
150メーターくらい歩いていくと、その人を発見。
携帯電話に向かって怒鳴っていました。
まわりの人は、平然としています。
その男性だけが、携帯相手に激怒して、怒鳴り散らしてる。
そんな光景に違和感を覚えました。
自分が今いるのは、静かな駅。
あの男性が怒鳴っている携帯電話の相手は、今、ここにはいない。
同じ場所にいるのに、彼の感じている世界と、
私の感じている世界は全く違うんだろうな。。。
と思いました。
自分の見ている世界を自分で気がつくことは、ちょっと難しかったりします。
どう考えても、自分は間違ってない、相手が間違っていて、世間的にも常識的にも許されない、と思うことも、
私は何のとりえもない不幸な人間だと思うことも、
私が励ましてあげないと、あの人はだめになると思うことも
その中にどっぷり入り込んでいるのは、自ら望んでのことですが、
たくさんある可能性の中から、それを選択しているのは自分です。
それにハっと気がついたときには、「あれ?今まで『これが現実』と思っていたことは何だったの??」とビックリします。
自分、かわいそう。。。と涙ダーっと流していたら、次の瞬間、あれっ?不幸な自分でいたいと思っていた自分がいたんだ。。。と気がついたり。
私はこれを、「不幸なお姫様ゴッコ(悲劇のヒロインごっこ)」と名づけ、娘に大うけされました。
悲劇のヒロインの味わいは、まるで、やめられない止まらないカッパえびせんや、ポテチのようなもの。
「あー、これ食べると太っちゃうー。でも、止められないの!この味、この食感、うー。やめられない。わたしって、バカバカ!(モグモグ)」
たくさん食べて食べて、食べ飽きたとき「はー、もういいや」ってなるかもしれません。
それともずっと続けるか。
でも、やっていることに気がついて、それが嫌ならずっとは続けられないかも。
好きならずっと続けてもOKですね。
あるいは、それが嫌なら今やめるか。
その選択は全てあなたがにぎっているのです。
それともずっと続けるか。
でも、やっていることに気がついて、それが嫌ならずっとは続けられないかも。
好きならずっと続けてもOKですね。
あるいは、それが嫌なら今やめるか。
その選択は全てあなたがにぎっているのです。