社会人スタートの街
東京出張で訪問先の最寄りの駅で降りる。
地下鉄銀座線外苑前駅。
着くまで気づかなかったが、この駅は私が新卒で入社した会社、
株式会社オズマピーアールの最寄り駅でもある。
懐かしくなってちょっと訪ねてみた。
会社はとうに移転したと聞いているが、ビルは健在だ。
エントランスの雰囲気など、むかしのままだ。
うれしくなる。
訪問先に向かう道すがら、よくランチで通ったパスタ屋も見つけた。
競争の厳しい飲食店で今も続いているなんて、スバラシイ。
またうれしくなる。
そして、すこし歩くと、見覚えのあるファッションブティックの看板が目に飛び込んできた。
当時の私の給料では靴下ぐらいしか買えなかったが、店のことはよく覚えている。
二十数年前にタイムトリップした気分だ。
こんなステキな街で働いていたのに、人生の中でいちばん心に余裕のなかった
時代なので(新人の頃はみんなそうですよね)、街の行動範囲は極めて狭かった。
いまさらながら、そのことに後悔している。
しかし、南青山で社会人の第一歩を踏み出した思い出は、
私の記憶に深く刻み込まれ、何年経とうと色褪せることがない。
当時は辛かったことも、一生懸命がんばった達成感が記憶に残っていれば、
いつか、自分の人生にとってかけがえのない財産になるのだ。
インタビューの心得
取材の仕事で大切なのは、まずは取材対象者の話を聞くこと。
そんなのは当たり前だという声が聞こえてきそうだ。
取材に限らず、打ち合わせもそうだ。
仕事の相談で呼ばれたわけだから、まずは相手の話に耳を傾けることが大切。
そんな当たり前のことをどうして私がわざわざ書くのか。
自分への戒めである。
私はおしゃべりが過ぎでしまうタイプなのだ。
さすがにこの歳になると、もうそんな失敗はあまりないが、
それでもテープ起こしのときに、インタビュアーの私の話が長く感じられるときは、
自分に腹立たしくなる。
「いつまでしゃべってんだ!このオヤジ」と自分に悪態をつく。
ICレコーダーから聞こえてくる自分の声をかき消してしまいたい衝動に駆られる。
先週から続いた怒濤の取材ラッシュでは、そんなことはなかった。
よしよし、それでいい。
しかし、最近、あらたな悩みが……。
取材対象者に興味がわきすぎて、質問責めにしてしまうことがある。
しまいには、その日のテーマと関係ないことまで聞く始末。
もちろん、相手の話しぶりを察知して無理強いはしないが、
話が盛り上がりすぎて、予定の時間をゆうに過ぎてしまうこともある。
忙しい芸能人の場合、付き添いのマネージャーがソワソワしだす。
そして、恐い顔して時計を睨みはじめる。
もともと芸能人のインタビューは時間があまりとれないので、
テーマから外れた話をしている場合ではないのだ。
おっと、過去に例外が1つだけあった。
お芝居の仕事で名古屋にみえていた俳優の左とん平さん、
インタビューを申し込んだら「鍋でもつつきながらゆっくりやろうよ」と
おっしゃってくださったのだ。
うれしかったなあ。
オフレコの話もたくさん聞けたし。
この日ばかりは、
付き添いのマネージャーさんも、一度も時計を見なかった。
かぶと虫救助
かぶと虫を見つけた。
そいつは、道の上で仰向けになってもがいていた。
なかなか自力では起きあがれないようだ。
かぶと虫はメスだった。
オスだったら、立派なツノを利用し、カンタンに起きあがれそうな気がした。
いや、かえって邪魔になるのかな。
クルマにひかれては大変と、すぐに助けてやったのだが、
実は、かぶと虫に触ることができなくて、反転させるための小枝を探した。
カナブンを触ると防御のために臭い液を出すことは経験で知っている。
だから、子どものときもカナブンを触るときは慎重になったものだ。
しかし、かぶと虫は、そんなことがなかったと思う。
それなに、オヤジになった私は、かぶと虫が触れなかった。
ショックだ。
家内や娘にはうまく説明できないが、大げさに言えば、
オトコとして生まれたアイデンティティを1つ失った気がする。
何の特にも役にも立たないが、昆虫好きはオトコの“勲章”なのである。
養老孟司先生も 福岡伸一ハカセも昆虫好きを公言して憚らない。
昆虫を愛するココロを大人になっても失っていないのだ。
『ファーブル昆虫記』を初めて読んだのは、小学3年生の9歳のときだった。
交通事故にあい長期の入院生活を余儀なくされたベッドの上で夢中になって読んだ。
叔父からお見舞いの代わりにプレゼントされた『ファーブル昆虫記』は、
私に昆虫をとる楽しみのほかに、昆虫について調べる喜びを教えてくれた。
あの日、私は誰よりも昆虫が好きな小学生だった。
それなのに、先日の私ときたら、かぶと虫を素手で救えなかった。
虫に触れなくなったオトコは、さみしい。




