心根
心根。
普段あまり使わない言葉。
心根。
始発駅となる電車の座席の向きを変えるときにいつも頭にこだまする言葉。
親の仇とばかりに乱暴に倒して席の向きを変える人もいれば、
最後まで手を離すことなく、静かに行う人もいる。
年齢、男女、職業の区別なし。
それは、ただ、心根の違い。
一見似ているが、心遣いや気配りとは異なる。
その証拠に、たとえ車内に誰もいなくても、心根のやさしい人は、
座席を変える動作がおだやかだ。それは、マナー以前の問題。
人に気を遣う理由がすべてではないのだ。
こんな人にめぐり会えると、朝から豊かな気持ちになれる。
しかし、現実はそうはいかない。
ガッシャン、バッタンと、耳をつんざく音を響かせて倒す人の方が多い。
なにしろ、駅員さんからしてそうなのだから。
私には信じられない。
駅員さんにとって、電車は職場そのものではないのか。
慈しみや愛着さえ芽生える場所で、
朝から心がささくれるような音を響かせて平気なのか。
電車のすべての車両の座席を変えるのに、スピードが求められるのは事実だ。
早く終わらせたいという気持ちもわかる。
しかし、乱暴に倒しても、静かに戻しても、時間に大差はない。
丁寧な動作の駅員さんを知っているが、彼が遅いなんて思ったことは一度もない。
今朝も、電車の中に、席の向きを変える耳障りな音が響き渡った。
ガッシャン、バッタン、ガッシャン、バッタン……。
この音を聞くたび、私の頭の中には、「心根」という言葉がこだまする。
ダーウィンの法則
この写真の中にカエルが写っている。
すぐにはわからなかった人、意外に多いのではないか。
無理もない。
うしろの壁の色とそっくりなんだから。
私だって、初めて見たときはわからなかった。
このカエル、数日前からここを動かない。
自宅のポストの上が、そんなに居心地いいのか。
またなんでこんなところを根城に?
玄関の灯りにエサとなる虫がたくさん集まってくるからだろうか。
最初にこのカエルを見つけた娘の話によると、
もともとはこんな白色ではなく、カエルらしい緑色をしていたそうだ。
ここで暮らすうちに、うしろの壁にあわせた色に変えたらしい。
きっと、危険から身を守るために変えたのだ。
白色の壁に緑のカラダでは、あまりに目立ちすぎるからね。
やるじゃない、カエルくん。
私は、ダーウィンの法則を思い出したよ。
「強いもの、賢いものが生き延びてきたわけではない。
変化に対応し、環境に適応できたものだけが生き延びてこられた」
コレって、会社にもいえることなんだよなあ。
変わるって勇気のいることだから、ついそのままでいたくなる。
でも、マズイと気づいた頃にはもう手遅れなのだ。
ぬるま湯につかっているうちに、ゆでガエルになってしまう例えもあったな。
これだって、自分のまわりの身近な変化に反応できないが故の悲劇だ。
今日は、カエルづくしの教訓の日になった。
いい勉強になった。
ケロッと忘れないようにしよう。
会社を創業したばかりの頃の、なんでもスポンジのように吸収した、
謙虚で柔軟性に満ちた気持ちにカエルのだ。
桑田さんのお見舞い
Yさんは、筋金入りのアートコレクターである。
そして、旅を愛し、日本の風景を慈しむ詩人でもある。
美意識のかたまりのようなお方だ。
ときおり、旅先から、心が洗われるような美しい写真を短いメッセージに添えて、
ケータイで送ってくださる。
数日前までは、北海道の夕張から一日に一つずつ便りが届いた。
その日は、珍しくケータイに電話がかかってきた。
出張の合間に、東京ミッドタウンで一人コーヒーを飲んでいるときだった。
私が最近ゲットした、写真家ジョック・スタージスの作品について聞きたいことがあるという。
ひとしきり私が質問に答えたあと、今度は私がYさんに聞いた。
「ところでYさん、今日はどちらに?」
「鎌倉です」
「一人旅ですか?」
「お見舞いなんですよ」
「わざわざ」
「ええ、桑田さんのね。大切な方ですから」
「どちらの桑田さんでしょう、紹介いただきましたか?」
「まだでしたね。でも岡田さんもよくご存じのはずですよ」
「はあ・・・」と私。
すこし間があって、Yさんがボソッとつぶやいた。
「サザンの桑田さんです」
「えっ!」
私は、あっけにとられて次の言葉が出てこない。
「退院されたんですよ、それで自宅にお見舞いに」
ちょっとYさん、待ってくださいよ。
そんなスゴイこと、淡々と言わないでくださいよ。
私は思わず心の中でそうつぶやいた。
詳しく詮索するのは下品なので、自分から質問するのは控えたが、
大学時代のクラブの先輩と後輩の間柄であることをYさんが教えてくれた。
その話はもうそれっきり。
今度は、Yさんの大好きな写真家ラリー・クラークの話になった。
Yさんが熱く語るラリー・クラークの話に相づちを打ちながら、
私の頭の中はサザンの桑田さんのメロディがずっと流れていた。
桑田さん、一日も早くよくなってください。
そしてYさん、
今度お見舞いに行くときは私も誘ってください。


