昨日のアクセス数が1800近い異常な数だったので,何事かと思ってアクセス解析を見てみたら,3年ほど前の「杉田水脈の講演会中止はパリ市民の勝利である」という記事にアクセスが集中していた。なるほど,杉田水脈の総務政務官抜擢に対してはSNSでも非難囂々なので,その流れでこの記事が誰かの目に留まり拡散されてしまったのだろう。自分の過去記事を再掲している人をよく見かけるが,私は恥ずかしくてそんなことはできない。時折,全部消してしまいたい気分になるのだが,この際ヤケクソで,過去に杉田水脈について書いた記事を集めて,下にリンクを貼っておいた。
杉田水脈については随分書いたので今さら書くのも気が乗らないのだが,前回記事で書いた宗教右派との関連で一言指摘しておきたいと思う。それは,杉田が欧米の宗教右派と極めて近い家族観を持っているという点である。杉田は『なぜ私は左翼と戦うのか』(青林堂)の中で次のように述べている。なお本書は,杉田が衆院選に落選して,国会議員ではない時期に書いたものなので,結構自由に自分の考えを書き連ねているように見える。
まず,「男女平等は,絶対に実現しない妄想だ」ということです。
というのも,男性に子どもが産めるのでしょうか。赤ちゃんに授乳ができるのでしょうか。これらは絶対的に不可能です。こうした性差による役割分担は神様がおつくりになったもので,人間がこれを否定することはできません。
そもそも子どもを産むために男女が一緒になるのは自然の摂理です。性差があってこそ互いに惹かれあい,結び付くわけです。
(杉田水脈『なぜ私は左翼と戦うのか』青林堂p.136)
そして,杉田は父性が力を持った家父長制的な家族像に郷愁を抱き,そうした家族を基礎にした国家の再生を夢見ているようだ。すなわち,それは天皇を家長とする家族国家観=「国体」イデオロギーの焼き直しにほかならない。
そもそもエンペラーと呼ばれる存在は他にはいません。国際プロトコールに従えば,天皇陛下の席次はローマ教皇と同じで,英国のエリザベス女王よりも上だそうです。こんな国は日本以外にあるでしょうか。中国や韓国がいくら頑張ったとしても,たとえ大きな国力を持ち,軍事力を増強しても,天皇陛下がいらっしゃる日本には叶わないのです。
(中略)
そのような天皇陛下の存在が,日本および日本人の統合の根拠となっていることは実に素晴らしいことで,日本人としておおいに誇ってよいと思います。
(同書p.163~p.164)
(天皇陛下の存在や)靖国の心と同じく日本人にとって最も必要でかつ最も重要なことは,親と子の情愛を基本とした家族だと思います。両親が互いに尊重しあい,子どもたちをいつくしむ。・・・そして絆を深めていく。かつての日本はそうした家族が基礎となって,国家を構築してきました。
(中略)
そもそも昔の日本は夫が外で働き,お金を稼いで妻にわたし,家計のやりくりをしていました。ところが女性が社会に進出して経済力を持つと,そうした役割分担が崩れ,男性の役割が小さくなっている部分があるのです。
(中略)
日本が復活するための鍵は,「父性の復権」に他ならないと思います。
(同書p.168,p.172,p.178)
戦前の大日本帝国は,万世一系の家長とその赤子が絆を深めていく「永遠の家族」であったわけで,杉田の家族論はまさにここに向かってバッククラッシュする。日本の差別構造の根底に天皇制があり,したがって天皇を家長とする家族国家というものが,女性や性的少数者に対する差別を構造化し,永遠に再生産するものであることは言うまでもない。
今日,ちょっと考えてみたいのは,杉田水脈の差別性がどこから来ているのか,という点である。前回紹介した金子夏樹さんは,杉田がかつて『新潮45』の寄稿文で使った「生産性」という用語が拡大解釈されて,家族をめぐる議論から逸脱してまったとし,「生産性がない」という言葉には「出産しない(できない)ことへの否定的な意味は含まれていない」と言っている。
だが本書を読む限りでは,杉田は出産できるかできないかを,人を評価する上での基準としているように見える。子どもを作らないような家族やカップルは,社会や国家にとって有害な存在として否定的・差別的にとらえられている。だからLGBTQの権利や同性婚など,多様な家族の形は絶対に認められない。杉田は本書の中で,性的役割分担の重要性や男性には子どもを産めない,といったことを繰り返し強調しているが,杉田にとっては産めるか産めないかが絶対的な評価基準なのだ。それを『新潮45』では「生産性」という用語を使って表現した。「生産性がない」=「子どもを産めない」LGBTQや同性婚はいない方がよいとなる。やはり,これはLGBTQや子どもを持てない人に対する酷い差別表現だと私は思う。出産絶対主義こそ,杉田レイシズムの根源にあるものだろう。
宗教原理主義的な古めかしい家族観を抱き,それを国家の基礎に据えてナショナリズム的な家族国家にバッククラッシュしようとする杉田にとって,こういう差別表現や表現煽動は永遠に終わらない旅だろう。
最後に,国連の女子差別撤廃委員会について述べた杉田の発言を引用してみる。
また委員会ではとんでもない発言を聞くことがありました。「日本には琉球民族,アイヌ民族,在日,部落という4つのマイノリティ差別がある。特に女性には大変な差別がなされている。日本には最近,ヘイトスピーチというのがあって,その人たちは酷い攻撃をされている」というものです。
これは日本に住む日本人からすれば,大変な違和感があります。
(同書p.146)
日本にはびこる沖縄差別・アイヌ差別・在日差別・部落差別,そして女性差別を指摘した発言に対して,杉田は「とんでもない発言」だと言い,「大変な違和感がある」とも言っている。私は杉田の違和感に大きな違和感を持つのだが,こういう差別に真面目に向き合おうとしない人物を政府の要職に就けるということが,どれほど深刻で絶望的な事態であるかを考えてほしい。すなわち,こういったマイノリティ差別や女性差別は日本にないものとされる。そして戦前的な家族国家にバッククラッシュする・・・
⚠注意: アメンバーや読者,メッセージ,コメントなどをブロックされている人は,当ブログにしつこく付きまとうことはやめましょう。




