
『新潮45』のLGBTへのバッククラッシュ的な企画(「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」)が問題になっているわけだが,同誌では同時に「『野党』百害」と題した特集も組まれており,私はこの野党バッシングを杉田水脈擁護との抱き合わせで特集したところに,杉田発言の重大性を見るのである。明らかに2つの特集は連動,一体化している。つまり杉田水脈によるLGBT差別は政治と深く結びついているのである。
「『野党』百害」における野党バッシングは主に旧民主党の国会議員に向けられたもので,ネトウヨレベルの罵詈雑言で論評に値しないが,だがそんな低俗な記事をなぜ10編も揃えたのかと言えば,野党が提出したLGBT差別解消法案を何としても潰すためであろう。そして,罰則規定のない自民党案を通したいという意図が透けて見える。杉田水脈を擁護し,LGBT差別を固定化するために,自民党応援団が本誌に動員されて2つの特集が組まれたわけである。
杉田水脈を擁護する記事では,LGBTの権利を言うなら痴漢の「触る権利」も保障しろと言い放つ小川榮太郎の暴論が批判の的になっているが,おそらく,ああいう言葉の暴力としか言いようがない小川の記事を載せたのは一種の目くらまし,炎上商法であり,私たちにとってもっと警戒しなくてはいけないのは,藤岡信勝(新しい教科書をつくる会副会長)や松岡大悟(元参議院議員)の記事であろう。小川の記事に比べると一見まともに見えるが,決してまともではない。藤岡の記事に最もよく表れていたのだが,杉田を擁護する人たちに共通しているのは,「世代の継承による社会の持続」という観点から今の結婚,婚姻制度には手を付けてはならないとする保守的な考えである。松岡大悟にいたっては,家族を再生して強い国家(家族国家→天皇制国家→八紘一宇)を作ることまで唱えている。
要するに,今の婚姻制度を維持することで,異性愛カップルの婚姻を中心とする「家族」制度を守っていく,引いては(改憲によって)戦前の「家」制度,家父長的な家族制度を復活させる。最終的にはここに杉田擁護論は行き着く。そして,それはほかならぬ自民党改憲草案の家族観なのである。
戦前の「家」制度というのが,年齢や性別などで人を差別する心性を日本人に植え付けてきたことは明らかである。そういう負の歴史を顧みることなく,自民党は差別の温床である家族制度を再び作り直そうとしているのである。
改めて確認しておこう。杉田水脈は『新潮45』でこう書いていた。
LGBTカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない。つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。
多様性を受け入れて,様々な性的指向も認めようということになると,同性婚の容認だけにとどまらず,例えば兄弟婚を認めろ,親子婚を認めろ,それどころかペット婚や,機械と結婚させろという声も出てくるかもしれません。
私はこの杉田の発言に,自民党改憲草案の鋭利な先端を見る。そもそも自民党は,異性愛カップルの両親とその子からなる家族像を唯一の由緒正しい伝統として,そこから外れる存在を認めようとしてこなかったし,それは今も変わっていない。自民党やその系統の保守派は,杉田が述べた「子供を作らない」という理由を一つの根拠として同性婚を断固認めようとしない。婚姻は出産が目的であり,家族は世代を再生産していく装置である,という偏った家族観が自民党保守派の基本にある。そういう家族像から外れた人々は,まるで非国民で反社会的な存在であるかのように扱われ排除されてきた。杉田のLGBT差別発言は,こういう自民党の家族観を先鋭的に表現したものであり,自民党改憲草案の行き着く先を先取りしたものなのである。すなわち万一,自民党改憲草案が成立施行されるならば,「生産性」のない性的マイノリティや障害者,難病患者,高齢者たちは国家に負担をかけるだけの存在と見なされて抹殺される世界,すなわちT4作戦が実行されるディストピアが現実化するであろう。これが杉田水脈の差別発言が意味するものだ。
さて,『世界』10月号に載っていた岡野八代さんの「差別発言と,政治的文脈の重要性」は,政治的文脈の中で杉田の差別発言を読み解いており,この問題でいちばん的を射た論考だと思った。『世界』の今月号には他にも良い論説やルポがたくさん載っていて,『新潮45』とは違い,まだ良心が残っている雑誌だなと感じたが,特に岡野さんの記事は是非多くの人に読んでほしいと思った。その上で杉田水脈に議員辞職と謝罪・反省を強く求めていきましょう。そして,杉田の差別発言を擁護する特集を企画した『新潮45』には謝罪文の掲載と当該雑誌の自主回収,そして廃刊へと追い込んでいきたい。
私の危機意識とも重なっているのだが,岡野さんは杉田の差別発言が「日本政治の根幹に関わる重大な危機」を表していると見ている。つまり杉田の差別発言は,彼女個人の価値観というよりは,むしろ自民党に根ざす価値観であると見て,安倍自民党政治の文脈で杉田を批判しているのである。まさに安倍政権の下で押し進められた憲法破壊政治,すなわち人権の否定や国家主義的な政治状況の中で,国家権力を背景に杉田の差別発言は出てきた。その文脈をとらえることが重要である...。
差別とは,権力を背景に他者の価値を貶めること,つまり差別する側とされる側との間に権力という点で非対称な関係がある場合,そして,ある行為・発言が,歴史的・文化的に人に対する尊敬を欠いたものとして受け取られてきたものである場合,その悪質性が高まる。本小論が生殖をめぐる歴史と現状に触れたのも,「子どもを産まない」ということが,日本社会において慣習的にひと,とりわけ女性の価値をいかに貶める表現だったのかを確認するためである。(『世界』10月号p.149)

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