何があっても大丈夫
ジャーナリストの櫻井よしこ氏の
半生を綴った著書
「何があっても大丈夫」
というタイトルを本屋で見つけた時
引き寄せられるように手にとり
あっという間に読んでしまった。
なぜなら
「何があっても大丈夫」という言葉は
私の人生における究極のテーマだから。
人生の大先輩である櫻井氏に
私が意見できる立場ではないのは
十分承知の上だが、
彼女の凛とした雰囲気を形成したのは
間違いなく
「何があっても大丈夫」と言い続けた
彼女のお母様の影響が大きかったのであろう。
複雑な家庭で育った櫻井氏に対して
要所要所でお母様は常に前向きな言葉を投げかけ、
それをしっかりと受け止めて成長した
彼女の背景にはとても共感できるものがあった。
「人間はみんな神様に愛されて生まれてきたんだと。
人間ほど恵まれて生まれてきた存在はないでしょう。
使えば使うほど知恵を出してくれる頭脳を与えられている。
努力すればするほど磨かれる才能も、
ひとりひとりに与えられているでしょう。
どんな人も幸せになるために生まれてきたのよ。
幸せはね、みんなの前にあるの。
見つけることが出来るかどうか、
それは気持ち次第なの。」
「チャンスは、与えられたときに素直に受けとめなさい。
前に進むようにと背中を押されたら進めば良いのです。
どうしても仕事がいやだったら別だけれど、
いやかどうかは、実際に仕事をしてみないと分からないものよ。
新しい可能性は挑戦から生まれてくるのよ。
自分には出来ないとか、能力を超えているとかいう発想は
しない方がいいとも思うの。
別の人にできてあなたに出来ないなんてことはないんですから。」
「他人の評価を変えることはできないけれど、
あなたには自分を証明することが出来ます。
だから、自分に対する他人の評価に気をとられる必要はありませんよ。」
などなど、なんて愛情溢れる力強い言葉なんだろう。
目の前にある幸せを見つけて
与えられたチャンスを素直に受け止め
自分を信じてさえいれば、どんなことも乗り越えられる。
そして、そのことを共に喜び
応援し合える家族やパートナーや仲間がいれば
本当に「何があっても大丈夫」なんだと思う。
起こってもいないことをあれこれ心配するから
大丈夫じゃなくなっちゃうんです。
目の前の幸せに気づかないから
不幸なんです。
人を信じることができないから
自分を信じることもできなくなってしまうのです。
自分を信じることができないから
人を信じることもできなくなってしまうのです。
私の好きな言葉に沖縄弁の
「なんくるないさ~」という言葉があります。
「なんとかなるさ」という意味ですが、
これは決して諦めや投げやりな言葉ではなく、
あれこれとできることを自分なりに一生懸命尽くしたからこその
言葉なんです。
目の前にある幸せを見つけて
与えられたチャンスを素直に受け止め
自分を信じてさえいれば、
大丈夫じゃないことなんて何もないはずなのです。
「何があっても大丈夫」
こんな風に思えるようになったら
人生楽しくて仕方ないですね。
ゆるさの強み
弊社イイコの就業規則は
最低限のルールがあるだけで
細かい決まりは何もない。
今まで、スタッフに恵まれていたのか
私と同じゆるいタイプの人間がたまたま多かったのか
大きなトラブルになったことはない。
だから私は誰になんと言われようが
このゆるい体制を結構気に入っていた。
ところがさすがに
社員の数も増えてくると
いろんなタイプの人間がいるわけで
社員全員と同じ感覚のゆるさを共有することが
困難になってくるような気がしている。
だから事細かに規則を決めることが必要なのかもしれないと
思いつつも何かモヤモヤしているものがあった。
そのモヤモヤが
先日、信頼できる社会労務士の方とお話することによって
スッキリした。
一言で言うと
「ゆるさ」にも「強み」があるということだ。
本心ではないのに
がんじがらめに規則を決めてしまうと
身動きできなくなってしまう。
規則というものはきちんと守っている者に対して
高い評価をする材料のひとつではあるが
自身の判断で規則を破ることこそが
実は会社に利益をもたらしたり
斬新なアイディアに繋がったりすることもある。
この判断基準がとても難しく
規則があることによって
逆に悪用したり抜け道を潜り抜けるスベを
考えることに集中する人もいるはずだ。
すべてはバランスの問題であり
ひとつの規則にしてしまうことは困難である。
私たちの目的は
「半歩先の食探し」をベースとし
「外食によってお客様の存在欲を満たす」ことであり
社員の就業規則を決めることではない。
いかに任せやすい環境を作り
社員一人一人の人格や責任感を尊重し
結果を出した者に対しては
それ相応の敬意をはらう。
その気持ちが伝わらなければ
自然に離れていくし、
それはそれで仕方ないと思っている。
残っている者こそが
自由と規律のバランスをきちんと理解できている
ということも確信している。
社労士の先生に
「今すぐ就業規則を見直しなさい!」
とアドバイスされることを覚悟で相談したのに
逆に「ゆるさの強み」について
教えていただいた。
何も実践しないうちから
架空の話に基づいて
なんでも数字で解決するやり方が
どうも私には合わない。
だからいつまでたっても弊社は零細企業なんです。
それでも目の前にあることを
丁寧にひとつずつ解決していけば
自ずと答えは出てくるのではないかと信じている。
自分の背丈に合わせて地に足のついた事を
確実にやっていこうと決めました。
ありがとう。
いつも感謝の気持ちを忘れずに。
できるだけ言葉に出して
「ありがとう」って言おう。
頭ではわかっていても
心がないと言葉に出ない。
頭ではわかっているから
仕事上やたまに会う友人に対しては
言えるのに
なぜか一番近くにいる人には
なかなか言えない一言。
それが「ありがとう」
「ありがとう」の反対は「当たり前」
このことを意識するようになってから
当たり前だと思っていることは
実は「ありがとう」の連続なんだということに気づいた。
毎日一緒にいると日々の感謝が
当たり前になってしまって
ついつい「ありがとう」を言うことをさぼってしまいがち。
我が家の一日は
「ありがとう」で始まり「ありがとう」で終わる。
何気ない平凡な一日にも
「ありがとう」はいっぱいある。
少しだけ早く旦那さんより起きる私が
まずすることは洗濯。
洗濯している間にシャワーを浴びて
洗濯を干し終った頃に
旦那さんが起きてくる。
「おはよう」の次に旦那さんがかけてくれる言葉は
「洗濯してくれてありがとう」
そして旦那さんがシャワーを浴びている間に
簡単な朝食を作る。
二人で朝食をとった後の旦那さんの言葉は
「ごはん作ってくれてありがとう」
朝食後、旦那さんが洗い物をしている間に
私は身支度をする。
そして出かける前に
「洗い物してくれてありがとう」
夕食は仕事やお付き合いで
別々にとることが多いので
早く帰った方が
洗濯ものをたたんで、掃除をする。
これは、ほぼ旦那さんの役目になることが多いのだが。
帰宅すると
「洗濯ものたたんでくれてありがとう」
「掃除してくれてありがとう」
そして寝る前には
「今日も一日ありがとう」
「一緒にいてくれてありがとう」
何でもない一日ですが
それでも「ありがとう」は7回くらいある。
傍から見れば
くだらない「ありがとう」かもしれないけれど
言葉に出すことでとっても幸せな気分になれるのです。