リスク。
価値観の違いって大きく分けると
何をリスクと感じるか
もしくは
リスクが好きか嫌いかってことだけのような気がする。
ウィキペディアによると
リスク (risk) の定義にはさまざまあるが、
一般的には、「ある行動に伴って(あるいは行動しないことによって)、
危険 に遭う可能性や損をする可能性を意味する概念」
と理解されている。
ある著名人が言ってたな。
「最も大きななリスクは
何も行動しないことだ」
って。
激しく共感。
リスクが良いか悪いか
リスクをどう捉えるかは
本人の価値観であって
リスクをはったから偉いとか
はらなかったから偉くないとか
そういう問題ではないのだ。
同じ出来事でも
ある人にとっては
もの凄くリスキーでも
ある人にとっては普通だったりする。
私はリスクが好きな性格だと思う。
経営者にはリスク好きが多い。
安心とか安全とかって言葉より
危険とか野望とかって言葉の方が好きな人は
リスク好きである。
でも「リスク=何もしないこと」
という捉え方をすると
一体リスクって何なんだろう?って
思えてくる。
スポーツ選手や
登山家や冒険家
お笑い芸人や役者・・・
こういった立場をリスキーだと感じるか
サラリーマンやOL
公務員や専業主婦・・・
こういった立場をリスキーだと感じるか
後者はある意味
安定していてリスクが低い立場だと
思われがちだが、
考え方によっては非常にリスクが高い。
自分の意志だけではどうにもできないことも多く
安定した収入があったとしても
精神的なリスクが伴うのではないだろうか?
私は20代で9回転職した。
安定した収入よりも
精神的リスクの方が苦痛だったから。
その結果、行きついたところが
独立・起業だったのである。
16年前のことだ。
今でも安定した収入も約束されていないし
保証されているものは何もない。
でもリスクと向き合うことによって
安定した精神状態を手に入れることができたような気がする。
今はこんな風に思う。
一番のリスクは他人に委ねること。
そして
他人を信頼すること。
かなりのハイリスクだが
リターンも大きい。
こんなことも学べた16年でもあった。
このたび
転職ばかりのだめだめOLが
16年間飲食業を続けたことによって
得たことを伝えるセミナーを
5月18日(土)に開催することになりました。
人前で話すことが異常に苦手な私ですが
きっかけを作ってくださいました。
倉持淳子さん とお話ししているうちに
私には伝えるべきことがあるのではないかという気分になり
伝えることにより、自分も成長できるということに
気づきました。
話術のない私ですが
想いが伝えられるセミナーでありたいと思います。
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数字と記憶の関係
一か月前の出来事だが、
買い物をするとき、値札を絶対に見ないと
豪語している方に出会った。
普通そんなこと言われると
セレブぶりを自慢しているようで
なんだか鼻につくもの。
でも、この方の発言は
そんな嫌なかんじではなく
とても深いものを感じたのだ。
なぜならば
値札を見ない理由というのが
「記憶に興味がないから」と言う。
記憶に興味がないから
数字を覚える意味がないと言う。
その時私は
その言葉の裏に隠されている心理に
勝手に共感して
その後ずっと勝手に分析している。
その分析結果とは・・・・
まず、「記憶に興味がない」という名言には
大賛成だ。
だって過ぎ去ったことを意識して記憶するという行為は
無駄な行為であって
記憶するべきことは
勝手に体が覚えているものである。
よっぽど特殊な脳みその持ち主以外は
きっと脳みそのキャパシティには
限界があるので
記憶しなくてもいいことまで記憶すると
新しい発想が生まれてこない
つまらない人間になってしまう。
ましてや数字となるとなおさらだ。
記憶しなくてもいい数字を記憶することによって
つまらない失敗を引き起こす原因にもなるような気がする。
仕事には絶対的に数字がついて回る。
売上はもちろんのこと
利益率とか原価率とか損益分岐点とか・・・
この仕事をやっていると
そんな言葉が嫌でもついて回る。
ところが実際、
これらの数字を把握している会社が
イケテイルかどうかは別問題のような気がする。
独立希望の方や同業者の方に
この辺の数字のことをよく聞かれる。
正直、数字を記憶していれば
教えてあげることはできるけれど
その数字を伝えたところで
その会社の状況や業態によって
数字だけで判断することは
極めて難しいのである。
そんなややこしいことは
税理士さんに任せておいた方が
前に向かう仕事ができるのではないかと
常日頃思ってしまうのである。
私は異常に記憶力がなく
数字に弱い人間である。
それでも一応15年間
会社を持続している。
その間何度か危機はあったものの
記憶力がないために乗り切ってきたことも事実だ。
何かの試験に合格するためとか
全財産が一万円しかなくて
一万円で一ヶ月生活しなくてはいけないとか
特別な理由がない限り
数字の記憶ってほとんどが無駄なような気がする。
現実に今まで弊社は10店舗オープンしてきたが、
オープン費用は全く覚えていない。
状況や業態やシチュエーションによって様々だし
その行動をするために
いくらかかるからやるとかやらないではなく
やりたいからやる。
シンプルにそれだけのことなのではないだろうか?
もう少しだけ詳しくお話しすると
たとえば飲食店のおける原価率は30%くらいと言われているが
そのお店の特徴を出したり
お客様を喜ばせるためには
原価率80%のものがあってもかまわないし
誰も知らないような特別なものが仕入れることができたら
原価率10%でもかまわない。
数字の記憶や先入観よりも
感覚ではじき出した方が
結果的につじつまが合ってたりすることって
結構多い。
いくらだから買うのではなく
欲しいから買う。
安いから買うのではなく
必要だから買う。
あのときはいくらだったのに
今回は高いのでやめておこう。
とか
貯金がいくらあるから
海外旅行に行こう。
とか
数字の記憶から入ると
とても受動的なお金の使い方になってしまうのではないか。
弊社の店はオープンしてから5年くらいは
メニューにいっさい価格を入れていなかった。
価格を見てから食べるものを決めるのではなく
本当に食べたいものを食べて欲しかったから。
なぜメニューに価格を
入れるようになったのかは
話が長くなるので
ここでは触れないが
今でもその考えの基本は貫き通したいと思っている。
楽しい飲食をするためには
個々のメニューの価格を気にせずに
食べたいものを食べて
飲みたいものを飲めばいい。
最終的なお会計が
高いと感じようが
安いと感じようが
記憶の中に比較するものがなければ
純粋に楽しい時間を過ごせるような気がする。
要するに数字や価格というのは
マニュアルや記憶の中にあるのではなく
感覚の中のとどめておいた方が
楽しく幸せな人生を送れるような気がする。
なんだか支離滅裂な理論になってきたような気もしないではないが
私の頭の中ではなんとなく解決できた。
もちろんこの理論は誰にでもあてはまるわけではないが、
少なくともある程度自由にお金を動かせる立場にいる人や
そういった可能性がある人は
少しだけこの支離滅裂な理論を考えてみてほしい。
もしかしたら
買い物するときに値札を見ないと言ったその人は
想像以上に単なる金持ちなのかもしれない。
でも理由が
「記憶に興味がない」というところに魅力を感じて
どうしても分析してみたくなったのである。
そういう私はどうかというと
過去の売上や決算書の数字や預金高や借金額は
ほとんど記憶していませんが
買い物するとき値札は見ることがほとんどです。
そんなに頑張らなくてもいいんじゃない。
今から15年程前。
独立して一年目。
物凄く辛い時期がありました。
ありったけの貯金の使い果たし
借金をしてオープンした恵比寿の店舗。
奇跡的に一月めから利益を出し
支払いも借金返済も滞ることなく
料理長にも人並み以上のお給料を支払うことができた。
最初の一年は休まないって決めていたので
365日大晦日も元旦も休まず
毎日店に出ていた。
店舗経営とは何かというようなことも深く考えずに
オープンした店だったが
それなりに無我夢中でやっていただけなのに
周りからは心無い中傷もあった。
「毎日儲かって仕方ないでしょう」
とか
「オヤジ(パトロン)からいくら出してもらったの」
とか。
挙句の果てには一緒に頑張ってきた料理長からも
「ババア(私のこと)一人で儲けやがって」
とか。
一番の相談相手だった相棒も敵に見えてきて
周りに経営者の友人もいなかったので
本音で話せる機会もなかった。
仕事ばかりしていたので
プライベートでもそんなに幸せな出来事はなかった。
お陰様で金銭的な苦労はなかったが
精神的にはかなり参っていた。
今思えば贅沢な悩みなのだが
その当時は本気で辛かった。
そんな時、救われた一言があります。
「そんなに頑張らなくてもいいんじゃない。」
その言葉をかけてくれたのは
私が最も尊敬する女社長で遠い親戚でもある。
20代で9回も転職した私だったが
なぜか独立直前の4年間は
彼女の会社に勤務し続けることができた。
彼女の元で仕事をしたからこそ
独立心が強まり、実行できたのだと思っている。
今でも何かに迷ったとき
彼女だったらどう判断してどう動くだろうと
想定して行動することも多々ある。
そんな彼女の一言だったからこそ救われたのだ。
一緒に仕事をしていた4年間と
独立してからの1年間の私を見ていてくれたからこそ
自然にかけてくれた言葉だったのだと思う。
あの頃の私にとって
「頑張れ」
という言葉よりも
「そんなに頑張らなくてもいいんじゃない」
というこの一言がどんなに有難かったか。
この一言がなかったら
私は潰れていたかもしれない。
自分なりに限界以上に頑張っていたからこそ
私のことをわかってくれている人からの言葉だったからこそ
勇気をもらうことができた。
あれから15年。
私はあの頃の彼女の年齢になっている。
私は苦しんだり迷ったりしている
社員や友人に対して
気のきいた一言をかけてあげることができているだろうか。
相手の本質や状況をわかっているからこそ
かけてあげられる言葉。
相手を思いやる気持ちがあるからこそ
かけてあげる言葉。
タイミングを間違えないでかけてあげる言葉。
まだまだだな・・・
私はそんな気のきいた言葉をかけてあげられるような
素敵な大人の女性になりたいと思うのであります。