ダイエット
一週前の日曜の夜、体重を測ったら
人生最高記録を更新していました。
今年に入ってから、出張、会食、飲み会の連続で
自宅で食事をしたのは皆無。
運動もほとんどしていなかったので
予想はしていたものの
実際にその数字を目の当たりにしたときは
さすがにショックでした。
そこで私は三か月以内に3kgの減量をすることを
フェイスブックで宣言して
ダイエット生活を開始しました。
ダイエット生活といっても
毎日のように会食や飲み会の約束は入っているので
自分の意思で制限するしかありません。
まずはビール抜き、炭水化物抜き。
揚げ物、スイーツ等は極力避けて
腹八分目。
そして一日おきに走る。
たったこれだけのことを意識して実行しただけで
一週間で4kgの減量に成功しました。
ベスト体重まではあと1㎏なので
この調子で一気に突き進みます。
正直、こんなに早く結果が出るとは
思っていなかったので
自分でもビックリしています。
この年齢になると
食べたものがそのまま脂肪になってしまうので
30代までと同じような生活をしていると
確実に太ってしまいます。
私は元々そんなに太る体質ではありませんが
45歳を過ぎてからは
常に身体や体重をチェックして
なんとかこれ以上太らないように
努力しないといけないと思っています。
見栄えの問題ももちろんですが
健康のことも考えています。
食を仕事としているので
食べる機会も多いし
お酒を飲む機会も多いです。
帰宅も夜遅いので
早起きして走ることも簡単ではありません。
でもそれは自分が勝手に決めていることであって
努力次第でどうにでもできることなのです。
私の周りには頑張り屋さんがたくさんいます。
独自の方法で15kg以上のダイエットに成功して
起業したくらじゅんちゃん。
運動が大嫌いだったはずなのに
50歳目前にしてフルマラソン初挑戦して
完走した親友ののりちゃん。
海外メディアの取材が決定してすぐに
英会話教室に通って3か月で英語をマスターし
見事にテレビ取材を英語で乗り切った
日本発酵文化協会のまきちゃん。
仕事っぷりもイイ女っぷりも完璧なのに
トライアスロンで入賞しちゃって
ますます自分力をあげているAPのじゅんちゃん。
・・・・
それ以上頑張らなくてもじゅうぶんステキって人に限って
自分に鞭打って頑張っています。
でも本人たちはそれが幸せなんだと思います。
私はプチダイエットを決心するたびに
周りに宣言するようにしています。
すると必ず
「え~っ!痩せる必要ないのに・・・」とか
「それって私に対する嫌味??「とか
「我慢する方がストレスたまって良くないよ」とか
いろいろ言われます。
時に敵を作ったり
反感を買ったりすることもあります。
でも私は宣言することによって
自分にプレッシャーを与えた方が
達成しやすいのでそうしています。
仕事でも人間関係でも
「これでいいや」と思って
現状に満足してしまっては
それ以上の幸せを得ることはできません。
欲望のままに過ごすことは
とても憧れではありますが
その見返りの責任をとるのは
自分自身なのです。
なんとなく自分では努力しているつもりでも
結果がでなくては努力が無駄になってしまいます。
数字は嘘をつきません。
私は体重を通じて
人生のバロメータをチェックするようにしています。
あと1kg頑張ります!!!
経営者として必要な能力
1997年 恵比寿「201号室」をオープン
1999年 恵比寿「続201号室」をオープン
2001年 中目黒「村上製作所」オープン・・・
2012年 麻布十番「ナポレオンフィッシュ」のオープンまで
弊社は15年間で延べ10店舗をオープンしました。
その内、立ち退き等で撤退が3店舗
経営不振での閉店が2店舗
現在は残りの5店舗が存在しています。
特に店舗数を増やそうということを
目標にやってきたわけではありません。
流れに逆らわず行動した結果が
たまたまこうだったと感じています。
20代で9回転職した私が
なぜ飲食店経営は
16年も逃げずに続けることができたのか?
今思えば、現状から逃げまくって転職ばかりしていた時代は
意識していませんでしたが
飲食店を経営するための準備だったと認識しています。
私は逃げることは決して悪いことではないと思っていますが
その逃げの本当の意味は
一つの場所や事柄に留まることではなく
状況や環境によって柔軟に対応することなんだと
気づきました。
一号店の「201号室」は現在「中村玄」という店名です。
16年間で5回業態変更しています。
二号店の「続201号室」は現在は「クラブ小羊」です。
14年間で3回業態変更しています。
飲食業界では一般的に
業態変更は失敗の結果と思われがちですが
失敗は失敗と素直に認めて
敏速に行動することの方が
最終的に成功に繋がるということを
自然に学ぶことができました。
子供時代の10回の引っ越しと
20代の9回の転職で身についいた能力は
一番目に柔軟性とスピードです。
他に特別な能力を持っていなくても
この能力さえあれば
大概のことは対応できます。
二番目に人の役割を見抜く能力です。
環境が変わる機会が多い場合
瞬時に関わる人の役割を見抜かないと
自分の立ち位置が決められません。
ほとんどのケースは
自分が何をやりたいかという前に
その空間が心地よいか苦痛かによって
身の振り方が変わってきます。
最近このことについて
ちょっとした気づきがありました。
私は最近和太鼓のお稽古を始めたのですが
年齢も環境も様々な人達の集まりです。
和太鼓は最もチームワークが必要とされますが
仕事ではないので
けっこう皆さん、やりたい放題、言いたい放題。
和太鼓とは関係のないところでいざこざがあったり。
でも客観的に見てみるとおもしろいことに気づきます。
文句は言うけれど意見は言わない人。
やたら仕切りたがる人。
空気が読めない人。
いざというときにまとめるのが上手な人。
他人にやたら興味がある人、逆に全くない人・・・・
なんとなく自然と役割分担ができているのです。
これは仕事にも使えると思いました。
人の役割を客観的に見抜くことができれば
置かれている状況にいちいち苦痛にならず
本来の目的を達成するための準備がしやすいのです。
三番目に人との違いを受け入れる能力。
現在弊社で運営している店舗の名前は
「中村玄」 「クラブ小羊」 「月世界」 「豆種菌」
「ナポレオンフィッシュ」です。
この店名は私が決めているのだと思われていますが
そうではありません。
弊社には会長がいてほとんど会長が決めています。
会長はまさに人と違った能力を持っている人で
たまにちんぷんかんぷんなこを言いだしたり
時に突拍子もないことをやらかしたりするので
周りから煙たがられるときもあります。
でも私は、この人と違った少々変態的な能力を
信じているので
他から反対されても会長の考えを重要視しています。
実際、会長の発想は流行る前は周りから猛反対をされますが
流行ってしまうともてはやされることが多々あります。
私に必要なのは自分が斬新な発想をすることではなく
人とは違うけれど素晴らしい感性を
受け入れる能力だと思っています。
オンリーワンで生き残り、流行をつくりあげるためには
経営者自身がそういった感性を持っているか
そうでなければ周りの面倒臭いことを
受け入れる能力が必要なのです。
私は特別素晴らしい能力を持っているわけではないので
環境を変えることで身についたこれらの3つの能力を意識して
仕事をするようにしています。
逃げた結果の「続201号室」
1997年、恵比寿に「201号室」をオープンした私は
最初の一年間は365日一日も休まないと決めて
大晦日も元旦も店を開けて店に出ました。
ちょうど一年たったときには
料理長との亀裂に限界を感じて
「逃げる」ことを選択しました。
一年間でかなりの顧客はついていたので
私はいなくても店は回るけれど
料理長がいなければ回らない・・・
幸いにも店を任せられる友人もいたので
店を維持させるために
私が現場を抜けることを決断しました。
一店舗しか運営していないのに
オーナーが現場を抜けるなんて
わがまま極まりない!!
借金も抱えているのに
なんて優雅なんでしょう。
このときは意識していなかったのですが
「逃げの美学」の本質をおさらいしてみました。
ここでのポイントは
リスクは逃げても逃げなくてもあるということです。
このような状況のとき
私が現場から抜けなくても
選択肢はいくつかあったはずです。
①他の料理人をさがす
②料理人がいなくても運営できる業態に変更する
③自分が料理をする
すぐに思いつくのはこの三つです。
実は女性の飲食店のオーナーと
料理人とのイザコザはよくある話で
大抵の女性オーナーは③を選びます。
ほとんどに女性オーナーは
お料理が得意で独立されたパターンが多いので
それでも成り立つのですが
私の場合は
「逃げの延長が独立だった」ので
別にお料理が得意でもなく
20坪の店で料理を作ってお客様からお金をいただくなんて
自信はこれっぽっちもありませんでした。
だから今まで通り
手っ取り早く逃げたのです。
私にとっては①も②も③も逃げる以上のリスクだったのです。
その後とった行動は修行に出るということでした。
このまま逃げ続けるわけにもいかないので
なんとなくその場しのぎで料理でもできるようになっておけば
なんとかなるだろうという考えでした。
なんだか独立する前も後も
たいして変わらない発想で
やはり人は簡単に変わらないと自覚した瞬間でもありました。
年齢や立場を隠して六本木の和食屋にもぐりこんだのですが
この店の社長でもある料理長がとても包容力のある方で
この人には嘘をついてはいけないと思い
クビになること覚悟で
すべてを打ち明けることにしました。
そうしたらなんと!
すべてを受け止めてくれて
私には時間がないことも理解してくれて
短期間で料理の基本をたたき込まれ
経営の相談までのってくれるようになったのです。
この社長がいなかったら
今の私はないと言っても過言ではありません。
何年も料理を仕事としている料理人の方には
本当に申し訳ないと思うのですが
私はこの社長の元で半年足らずで料理の基本を教えていただき
一号店から逃げて修行を始めた一年後には
2店舗目をオープンする結果なりました。
2店舗目の店名は「続201号室」
これもまた恵比寿のビルの2階で、もちろん看板なし。
メニューに価格表示なし。
8坪の部屋の中におでんの屋台をおいて
いざとなったら私一人でも運営できるようなおでんバー。
料理長とぶつかったことがトラウマで
人を使うことの難しさを痛感したため
今後そういうことがあり得る可能性も視野に入れた結果
自分の居場所を求めたのです。
一号店の「201号室」から逃げていた一年間
私は自分の居場所って一体どこなんだろうということばかり
考えていました。
自業自得ではありましたが
本当につらかった・・・・
そんなときに救われた言葉が
「そんなに頑張らなくてもいいんじゃない」って言葉だったのです。
http://ameblo.jp/e-e-co/entry-11500177714.html
お客様の存在欲を満たす店作りで成功したのに
自分自身の存在欲は決して満たされていなかったのです。
そのときの私の存在欲は
ただ存在価値を高めるだけではなく
実は弱くてちっぽけな自分という存在を
一人でもちゃんと見ていてくれる人がいるというだけでも
存在欲は満たされるのです。
このことは後に
私の経営論の源になっているような気がします。
その頃にはぶつかった料理長は辞めていて
信頼できる人に任せて
売上はなんとかキープすることができました。
人を信じて任せるということを覚えたのもその頃でした。
2号店も大成功。
私とアルバイト一人でじゅうぶんすぎる売上でした。
その二年後には3店舗目、4店舗目と
オープンするのですが
まだまだ私の波乱万丈経営人生は続くのです。