松竹120周年祭『晩春』
2015年12月 @ 神戸国際松竹期せずして原節子さんの追悼となってしまった上映でしたが、作品はその強度で以って悲しみを越え今もスクリーンで活き活きと再生する。
私的にも小津再考な2015年の気分の〆となった上映でした。
今作以後の作品をここのところ観る機会に恵まれていたので、それらで繰り返し描かれ、洗練・深化されて行く画や台詞、モティーフ等々におっ!となりつつ、まだまだ模索してる感じもあったりと、非常にスリリングに堪能。
この後の作品だとこの辺削るよなとか、こう言うのを膨らまして行ってるよなとか、不純な観方ではあるんだけど、記号的な作り込み方の一方で、それがシステマティックに陥らないで、ドラマとして機能するのは何故かな?と。
僕らは小津(や、その他の巨匠達)を観る際に、当然ながら出来上がった評価の中を掻き分けてその才能や作品に触れざるを得ない訳で、そうなると自分の眼がね、どうしても不純や不能になっちゃう時があって…
でも、当然ながら最初から完成された才能や、完璧な芸術家なんてのはいない。
取っ掛かりとしては、そんな出来上がった評価を参照しなきゃ闇雲ではあるのだけれど、そっからどう諸々のノイズをキャンセリング出来るのか?
なんてのを、今作以後の作品を秋に観た上で、ここに辿り着いて思った。
故にこれ以前の監督作品をそろそろ観て行かなきゃ!
あの二人でツーリングしてる画のモダンな雰囲気が好きだったな。
あとは、能帰りの親子のギクシャクした距離を感じさせた帰り道のショットが堪らない。
ラストはなぁ…実は笠智衆に慟哭させる予定だったなんて話を見掛けましたが、それをしなくってもこんなにエモーショナルに撮ってるんだ!って驚きあったんだよね。
これ以後の作品だとあんな風には撮らなくなってるよね?
いやはや、その辺も引っくるめてスリリングだわ。