6月にDU BOOKSより翻訳版が刊行されましたが、これがまた面白いだ。
Trevor HornはThe Bugglesのメンバーとして歴史的名曲「Video Killed The Radio Star」で1979年にデビュー。
その後は主にプロデューサーとしてYesやMalcom McLaren、ABCに Franky Goes To Hollywoodに Art Of Noise、Seal、そしてt.A.T.u.やBelle and Sebastianといったアーティストたちに関わり大きな成功を記録してきましたね。
この自伝ではそんな華やかな軌跡の裏の見えぬ場所でどんなことが起きていたのか?をそこまで書きますか!?レベルで綴っております。
いやはや結構怖い話もあったり…(汗)。
さて、The Buggles「Video Killed The Radio Star」はあのMTVが一番最初に流したMVとしても知られてますね。
音楽のプロモーションがラジオからビデオへと。その新しいメディアが古いメディアを駆逐する状況は歌詞で描かれた世界と見事リンクしてMTVの登場を鮮やかに印象づけたのでした。
※このMVの監督は後に『レイザーバック』(1984年)や『ハイランダー 悪魔の戦士』(1986年)を撮るRussell Mulcahy
さてここかは話は脱線。このThe Buggles周辺には非常に有能でユニークな才能が集っていた事をまとめてみましょう。
まずはオリジナルメンバーでありながらデビュー時には袂を分かち、何なら先に「Video Killed The Radio Star」をリリースしていたBruce Wooley率いるThe Camera Club。
この曲を先にリリースしていた事は知ってましたが、この件で一悶着あったってのは今回の書籍で初めて知りました。
さて、このThe Camera Clubには後にソロミュージシャンとして、はたまたプロデューサーとして活躍するThomas Dolbyがいました。
Thomas Dolbyと言えば1982年のヒット曲「She Blinded Me With Scinece」や、矢野顕子氏や坂本龍一氏とのコラボで知られてますね。
※ちなみに矢野顕子氏のファンだったThomasは1stアルバムのレコーディングに彼女を招きますが、同席していた坂本龍一氏に“君はSAKAMOTOを知ってるか?”と尋ねたそうです
坂本龍一✖️Thomas Dolbyが音楽面だけでなく映像面でもコラボした名曲「Field Work」(1985年)!
The Bugglesの準メンバーには今や映画音楽家の大家Hans Zimmerが在籍していました。
「Video Killed The Radio Star」のMVでは若き彼の姿も確認できます。
Hans Zimmer、彼の映画音楽家としての本格的なキャリアは1988年からですが、それ以前の1984年には『O嬢の物語 第二章』のサントラ盤に2曲提供しているのを確認できます。
またHans Zimmerはニューロマンティック界の貴公子Zain Griffとも関わってまして、HansとWarren Cann(Ultravox)のプロジェクト“Helden”でZainが歌う話もあったとか。1982-1983年にレコーディングされていたそのプロジェクトの作品は結局完成されることはなかったのですが(Hansが映画に関わるようになって興味が薄れたのでは?とZainは回想)、2022年にZainがそのプロジェクトの音源をベースに新たに作り直したアルバム『The Helden Project//Spies』を日本でリリースしております。
※ちなみにZainが高橋幸宏氏とレコーディングしていた時にスタジオに居合わせていたHansはそのドラムの音作りに衝撃を受けたとか
The Bugglesの準メンバーに日本人がいた事も押さえておきましょう。
後に沙羅のメンバーとして活躍するジミー中山(中山純一)氏がその人。
沙羅はジミー中山氏と「キッスは目にして」(1981年)のヒットで知られるThe VenusのJimmy(那須博)氏で結成されたテクノポップユニット。1984年に唯一のアルバム『2-Play Issue』をリリースしております。
※写真は2008年のリイシュー盤
この沙羅に関しては売れなかった上にあまり情報もなく日本のテクノポップ史でもまったく語られませんが、プログレッシヴなその音楽性は当時の日本のテクノポップ界の中でもズバ抜けてユニークな音楽性だったのではないでしょうか?
The Bugglesに関わっていただけに機材面でも充実していたようで(1000万儲けたなんて話もあり)、同時期にデビューしたTM Network(結構近い音楽性)の小室哲哉氏は中山氏から高価な機材を借りていたそうです。
そうそう、ライナーノーツにある「Video Killed The Radio Star」のキックドラムは中山氏がマイクを叩いていた音ってエピソードは小室氏がTK Music Clampで坂本龍一氏と対談した時に披露してましたね!多分中山氏から直接聞いていたんでしょう。
さて、このジミー中山氏、The Bugglesから離脱して1981年にロンドンでAlison + Clonesを結成しております。このバンドはジミー氏の帰国に連れ添い来日、Alison + Phonikと改名して日本のロンドンレコードから1982年にシングルをリリースしてデビューしました(残念ながらバンドは売れず、結局リリースはこのシングル1枚のみ)。
ここにメンバーとして在籍していたのが1983年にThe Hit Paradeを結成するRaymond WattsとMatt Moffatt。
Raymodとは勿論今年の来日公演も記憶に新しいPigの彼である。
※沙羅のライナーノーツでは若き彼らの日本での青春が垣間見えます
RaymondがKMFDMに参加するのは1984年。Pigとしての1stのリリースは1988年。彼が日本のAlfaで3rd『The Swinning』を録るのが1993年、VictorのXEOで『Sinsation』を録るのが1995年、間の1994年にはBuck-Tickの今井寿氏とSoft Balletの藤井麻輝氏のユニット“Schaft”に参加して1st『Switchblade』をリリース。
2001年にもBuck-Tickの櫻井敦司氏と今井寿氏やKM FDMの Sascha Konietzkoと組んだSchweinとして1st『Schweinstein』をリリース。
こんな流れでインダストリアル界の貴公子として日本でも高い人気を集めました。
※ただ日本ではThe Hit Paradeが先に国内盤出ていたのもあり、あの小山田圭吾氏はインダストリアル界隈より先にRaymondとは知り合いになっていた模様
Raymondがなぜこうも日本の音楽界で高待遇だったのか?は長らく疑問でもあったのですが、売れるずーっと前からの人脈や絆が大きかったのかも?ですね。






















