毛皮のヴィーナス | Electronic Dolphin Eats Noise

Electronic Dolphin Eats Noise

空論上の九龍城

2014年12月 @ シネ・リーブル神戸

参りました…

ポランスキー、まだこんなもん撮っちゃう?
完全に箍外れております。 


何と御歳81歳(2013年の映画なので、撮影時は79歳?)のポランスキーが放つ最新作は舞台のオーディションの体制を取った完全に二人だけの会話劇。
これが、抜群に面白く、更には突き刺さる! 


ある舞台の脚本家兼演出家(♂)と、そのオーディションに遅れてやって来た女優。

最初は冷たく追い返そうとしていたものの、その演技を見て一瞬で興味を湧かせしまったが最後、やがて立場は逆転し、舞台と現実は反転する。 


その舞台の内容と、実際のそのオーディション、そして互いの背景とが綯い交ぜになり合い、軈てそれらの線引きを越える事の快楽に囚われ出した頃、観てる我々もその線を越えてしまっている…って構成が、まぁ、お見事。


余りに巧み過ぎて、これは元から脚本に書かれているのか?それとも演技で越えてるのか?いやいや、果たして…

と、その混乱そのものがこの映画の本質なんだと理解し始めた頃には時既に遅し。


それぞれが互いにぶつける言葉…
♂側は、何故素直に演劇をそのまんま楽しまないのか?なんて事に終始するのに対して、♀側は、男と女のその鬩ぎ合いにおける深い命題に迄掘り下げていて、その辺りの違いにもニヤリと。 


またマチュー・アマルリックとエマニュエル・セニエがどちらも達者で唸るよね。

いつの頃か立場が反転する様。
入れ子状の構成を演じ分ける様。
マチューは所作(特に手)が美しいな。
セニエは幾つものペルソナ見せる。


当然あのマチュー演じる脚本家兼演出家にはポランスキー自身の想いも投影させてる筈で、それに対峙するのが奥様でもあらせられるセニエってのも面白い。
その捨て身の共犯関係。 


やっぱ、でも、こんなん観ちゃうと、ポランスキーは見て来た・味わって来た光景が違うな、ってのを実感するのだ。