元映ホドロフスキー | Electronic Dolphin Eats Noise

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空論上の九龍城

モトマチセレクションvol.29 
カルトの王様/アレハンドロ・ホドロフスキー監督特集
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2014年8月 @ 元町映画館

元町映画館では三年半振りの再会。
な、ホーリー・マウンテン!
一本ずつでもラインナップ乱し捲りの特濃っぷりだった本日の四本立ても、結局ラストにぜーんぶ今作が持って行ってしまった!
私が映画に求めるものの98%が詰まっていた! 

残り2%はあのボカシに捧げる。

エル・トポの方のボカシっぷりにはチト笑てもた。


傑作ドキュメンタリー『ホドロフスキーのDUNE』&23年振りの新作『リアリティのダンス』と来てのホドロフ好き熱の極めつけ!
モトマチセレクションvol.29:“カルトの王様/アレハンドロ・ホドロフスキー監督特集”


先ずは『エル・トポ』と『ホーリー・マウンテン』を一気に堪能!

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40年の時の経過で今作の衝撃や濃厚さが薄まったか?だなんて危惧を先ず燃やしちまいな!
嘗ての映画は此処迄描けたのだ。
(いや、これは特例だけど…)


『エル・トポ』や『ホーリー・マウンテン』を初めて見たのは20年近く前で、まだまだ初心な映画好き故の打ちのめされる衝撃は未だ忘れられないですが、歳を経れば経るホドに、此処でホドロフスキーが挑んだ志の余りの高さに放心してしまう。いや、此処は放尿と言うべきか。


若い時分は、何故に此処迄ぶっ飛んだ映像や設定、展開作れる!?とクラクラしっぱなしでしたが、今だと、これがホドロフスキーのリアリティなのだとよく見えて来た。
ホドロフスキーのその出自、そして育ち故に、複雑怪奇唯我独尊に編み込まれたフィルター越しのリアリティ。


例えば、『エル・トポ』にはホドロフスキーと彼の息子がオープニングに出て来ますが、ホントにあれ七歳になった誕生日に撮影され、しかも砂に埋めているのはホントの母親の写真とお気に入りのオモチャ…
しかも父親とは殆ど会った事なかったとか…
そらトラウマなるわ!


あと『ホーリー・マウンテン』の後半部分はほぼドキュメンタリーなタッチで撮影されたとか。
あれ、集った面々のトラウマを映像化したりしてるそうだ。


そんな風に映画が現実を呑み込み、現実が映画を呑み込み…がホドロフスキー流マジック・リアリズムの真骨頂。
故に、世界の映画界が虚構に突き進んだ80-90年代、そしてリアリティの物差しが狂ってしまった2000年代には苦戦してしまったのかもしれない。


『エル・トポ』は当時の映画界への完全なるカウンターですが、『ホーリー・マウンテン』では、誰よりも逸早く映画の中心へと辿り着いてしまったホドロフスキー。その中心で愛を叫ぶでなく、ひっくり返しちゃうんだから参る。


しかし、ホドロフスキーはホドホドと言う事を知らない。
普通ならサラリと映しちゃうだけで済む様なカットですら、凄まじい手間暇掛けている。
『ホーリー・マウンテン』なんて、これだけで、通常の映画の濃度に薄めれば20-30本撮れるぞ。


例えば『エル・トポ』の馬や兎の死体。
『ホーリー・マウンテン』のあの高い塔。安売りキリスト像、睾丸コレクション、ラヴマシーン(笑)etc.
何もそこまで作り込まなくっても…
なんだけど、違うのだ。
ホドロフスキーはその過程そのものが重要なのである。

映画製作=意識の変革。


そー言えば、先日のミルクマンさんのトークショーではあの狭い会場大爆笑だったラヴマシーン…
今日はいまいち受けてなかったなぁ…


因みに、撮影中ドラッグで役者がハイになり過ぎて、撮影終了の“CUT”を理解出来ず、ホントに◯◯切りそうになっちゃったとか(怖)。


『エル・トポ』が公開されたのは1971年、『ホーリー・マウンテン』が1973年ですが、日本で劇場公開されたのは『エル・トポ』が1987年、『ホーリー・マウンテン』が1988年である。
それぐらいに日本では伝説的フィルムだったのだ。


そう考えると寺山修司って、当然海外での上映でホドロフスキーに出会ったんでしょうけれど、その貴重な機会が相当なショックだったんだろうなぁ。
『田園に死す』は1974年だ。

『書を捨てよ町へ出よう』の時点では多分ホドロフスキーに遭遇してないんでしょうが、奇妙に『ホーリー・マウンテン』とシンクロしている部分もある。
『書を捨てよ~』の方が先なんですが。
それは、当時の時代の空気でもあったのか?


『ホーリー・マウンテン』、あの膜を破って侵入して行く辺り…あそこのスクリーンに満ちる空間と、元映の特異な環境のシンクロがえげつなく心地酔い。
元映のあの低い天井と舞台に挟まれての横移動とか堪らん!最前列推奨。

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あと『ホーリー・マウンテン』観ると、俄然『落下の王国』観たくなる!

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元映で、初めて『ホーリー・マウンテン』 観てから三年半、元映は色々変わった。
私も色々変わりました。
でも、変わらないのは映画への愛かな?
次またホドロフスキーが帰還する時には少しでも成長した鑑賞出来る様になってたらいいな。


『ホーリー・マウンテン』、音響が凄く良かった!元映自体パワーアップしてるのもあるんだろうけれど、低音の響き方とか。


『サンタ・サングレ』、『エル・トポ』『ホーリー・マウンテン』の成功後、取り掛かった『DUNE』が頓挫し、折角撮り上げた『TUSK』も不本意な出来に…
な、不遇なホドロフスキーが辿り着いた一時のオアシス。

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むかーしレンタルして見た時は、唯のマカロニ・ホラーじゃん!と切り捨てたものの(クラウディオ・アルジェントが関わってるし)、 今改めて観たら、映画界から愛されたホドロフスキーが、その歩みを少し緩め、こちら側にニコリと微笑んでくれた作品だったのだなと。


そもそも『エル・トポ』からしてマカロニ・ウェスタンの意匠を巧みに着こなした作品だった訳で、ジャンル映画への独特の偏愛は『サンタ・サングレ』でも奇妙に表出している。
アルジェント譲りの殺人シーンのカメラワークとか、あの頃よく見掛けた精神病棟オープニングとか…


『サンタ・サングレ』、今回同時上映の『エル・トポ』『ホーリー・マウンテン』に比べると、ちとデジタル特有の粗さが目立ちはするものの、ソフト化の際、上下を無残に切り捨てられた今作の本来の姿に会える上映はポイント高い。


しかし、それ故にラスト近くの物語が一番のピークを迎えた際に、思わず上部からのマイクが映り込んじゃってるのが確認出来てしまうのはご愛嬌。
一瞬なので観逃すな!


『サンタ・サングレ』はしかし、その規制フォーマットにみっちりと詰め込まれたホドロフスキーの作家性、そして趣味性は、全開でない分解り易い。
例えば象への溺愛振り。
或いは余りに唐突な透明人間へのシンパシー。
あと去勢の意味するところ。


『サンタ・サングレ』のエンドロールでクレジットされているマルセル・マルソーは、彼の師であり、その活動初期のパートナーでもあるフランスのパントマイム・アーティストの第一人者。
パントマイムはホドロフスキー作品の重要な要素として頻出している。


『エル・トポ』には息子ブロンティス・ホドロフスキー、『サンタ・サングレ』にもこれまた息子アクセル・ホドロフスキーとアダン・ホドロフスキーと、家内制手工業の様相を呈しておりますが、『ホーリー・マウンテン』のあの9人の中には元奥さんがいるとか。
どの人だろ?


息子達に自らの生い立ちが濃厚に塗り込められた/書き換えられた物語を演じさせる事で、過去を・現在を・未来を肯定させるって事では『ヴィオレッタ』を、そして自らや役者陣のトラウマを映画として表出させ対峙させるって事では『アクト・オブ・キリング』を先取りしている。