何て至福な三本立てを堪能出来たのだろう。
今更なれど60年代ゴダールやばいわ。
“ゴダール/新世紀の起源”中の最初期の三本を堪能してまいりました!
そして参りました…
昨年辺りからジワジワとゴダールを劇場で対峙し始めたのですが(勿論レンタルなんかでは見てた)、今日のはちょっと特別!
今日観たのはラインナップされてた全九本中、60年代の『はなればなれに』『恋人のいる時間』『中国女』の三本。
ゴダールの全貌なんて未だ未だ見えて来ないけど、彼にとっての60年代がどれ程後の彼自身と、映画界そのものへと大きな影を落としたか…
『はなればなれに』
早くも物語る事から遠く離れ、ダブミックスの如き、写ってる物、そこで展開されてる物への、客観的視点と指摘が、映画を、高速で、内から・外から解体しつつ、誰よりも深く、結局物語ってしまう。
ビリー・ザ・キッドの件からしてもうビンビンに感性撃たれてしまう訳ですが、十分間のカウント、一分間の沈黙、そしてあのダンス!ダンス!ダンス!
プログラムピクチャーへの愛憎を、高速で追い越しつつ、結局愛だけ残して走り去る。
『恋人のいる時間』
ヌーヴォで観逃してた『はなればなれに』と『中国女』がどうしても観たくって、その二本に挟まれてた『恋人のいる時間』もついでに観ちゃえ!だったけど、これが一番好きかも?
あのゆったりとしつつも、グルーヴ感じさせるカメラと編集…
手へのフェティッシュな眼差し、らしい言葉遊び、弧を描く様な横移動etc.
男と子供、その狭間で揺れ動きつつも、止めれぬ愛と快楽について。
の考察。
何と言っても主演のマーシャ・メリルの魅力に尽きる!
あのクールな眼差し。の奥に燃える貪欲な愛。を感じさせる佇まい。
何度か出てくる両拳で、両頬をトントンと、何かを確かめる様に行う仕草が矢鱈めったら可愛くって爆死…
あれ観る度にもっかい観ても良い!
あのレコード掛けてる時の旦那との追いかけっこも可愛いな。
あと鏡の前で雑誌を参考に延々流行りのバストへと修正してるとこも好き!
映画館➡ホテルでの逢引きでの無言のチームプレイも可笑しい。
あの後半のネガポジが反転した様なとこって、あれ、元から?それとも何らかのトラブル?
(って、ギョッとしたんだけど、元かららしい。)
で、問題の『中国女』。
やっと見れたぞ!むかーし、TVでやってたのをチラ見してほほぉー、これは…と頭抱えた記憶あるんだけど(多分どっかに録画残ってる)、そりゃこのタイトル、YMO好きとしては念願の劇場上映でしたよ。
※『東風』は昨年元映で、『気狂いピエロ』はTVで押さえてます。
ゴダールに観る前から愛着あるのはやっぱYMO、そしてピチカート・ファイヴ聴いてたからなんだろうなぁ。
ここから政治の時代へと歩みを進め、去年の元映で特集されてたジガ・ヴェルトフ集団との諸作品へと突入する訳なんですが、勿論そんな側面が普段使ってない頭の領域刺激しつつも、矢張り『中国女』に関してはそのヴィジュアルの快楽指数が高い。
あの原色…強烈な赤!赤!赤!
当然また別嬪もいれば、痛烈な寸劇もあり。
初期ゴダール観てると、初期ウォン・カーウァイへの影響強く感じますねぇ~
特に『はなればなれに』なんか、直接・間接的に。
カーウァイには一度フランスで撮って欲しいよね。
KAVCではちょっと前にベルトルッチの60年代三部作観てた訳ですが、今回のゴダールの60年代の三本と照らし合わせると面白いよ。
ベ『殺し』1962年
ゴ『はなればなれに』『恋人のいる時間』1964年
ベ『革命前夜』1964
ゴ『中国女』1967年
ベ『分身』1968年
ベルトルッチがどれだけ『中国女』に感銘受け打ちのめされたのか…
それはサージェント・ペパーズ聴いてしまったブライアン・ウィルソンを彷彿とさせる。
ベルトルッチの『ドリーマーズ』での『はなればなれに』へのストレートな愛なんて、2003年になってみてやっと表明出来たのだろう。
しっかし、やっぱゴダールもっと観なきゃならんな。順を追ってね!
まぁ、のんびりと。
ジガ・ヴェルトフ集団での作品は去年のWOWOWでの放送を録画してるんで、そこに辿り着くべく50年代~60年代の作品を押さえて行こう(どうやって?)。
そっから一気に現代へと突っ走るべし。
兎に角膨大だし、短編が結構多くて道は険しいなぁ…
でも50年代~60年代作品に関しては割と見てるんだよな。



