ベルトルッチ 初期三作 | Electronic Dolphin Eats Noise

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空論上の九龍城

2013年6月。


ベルトルッチ…初期三作…えげつない程おもろいやないか!

舐めてかかって、すんません!


『分身』も『殺し』も『革命前夜』も、あのベルトルッチ驚愕の70年代前夜な訳だし、そのタイトルもだし、で、勝手に小難しそうなのを想定して、構えて挑んでたんだけど、『分身』早々で、えっ!?コメディ?なぐらいの、常軌逸した暴走にガードは崩壊。あとはもうどうにでもして!って掌でゴロゴロ~

ベルトルッチのこの三本は『分身』が1968年、『殺し』が1962年のデビュー作、『革命前夜』が1964年ね。
で、1970年には『暗殺のオペラ』撮ってる訳だ。
今日のこの流れもまた良し。彼の中でのイタリアへの、映画への愛憎の変化を、その落差に測れる。

『分身』は何とドフトエフスキーが原作なんだね。
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原作をどの程度踏まえてるかは残念ながら判断出来ないけど、映画でのあのしっちゃかめっちゃか具合は異常(笑)。
デビュー作『殺し』にはまだ漂ってたイタリア映画臭から遠く離れて…僅か六年でこれは凄い!

タイトルバックからしてゴダールまんまで、本編始まってからもヒア&ゼア凄まじいラヴコール(苦笑)。
まぁ、勿論それだけで終わらないですし、そこから更に踏み外す程の狂気スレスレのテンションは観応えたっぷり。
あの洗濯機のとこでの、思わずカメラフレームイン(ですよね?)とか!

あのドライヴのとこは笑ったなー

火炎瓶の件とかヤバい。
あの学生と映画撮ろうとする辺りのノリはまるで“We Can't Go Home Again”だ!と思ってたら、ニコラス・レイの名前出て来たりで吃驚。


あの高く積まれた書物群は色々深読みも出来るけど、それ以上に視覚的に萌える。

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一転してデビュー作『殺し』にはロッセリーニやパゾリーニの臭い濃厚ですが、勿論そこで終わらない野心的な構成がお見事。

一見羅生門スタイル?と、思いきや、そうでもなく、様々な側面から問題炙り出す技巧に酔う。


で、『革命前夜』だ。

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これが一番好きだな。
ってか、今まで未だこんな好みな作品に出会えてなかったとは!
頭から終わりまで終始悶えてました~


まぁ、アドリアーナ・アスティの美しい事…劇中何度絶句した事か…

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始まって暫くは前作『殺し』の流れ受けた様なムードながら、アドリアーナ・アスティ演じるジーナが登場してからは一転、一気に華やかに、いやゴダールになる(笑)。
でも、行きつ戻りつなんだよね。
凄く作品そのものがイタリアの過去と現在の狭間で宙ぶらりん。ベルトルッチ自身も。


『殺し』でイタリアの現在と向き合い、『革命前夜』でイタリアの過去と対話しつつ、『分身』で革命に身を投じた訳だな。


でも、革命の同志はいない…な『分身』のあの姿は哀しい…

『革命前夜』にインサートされる映画談義にはニヤリだよね。
劇中でゴダールの『女は女である』観に行かせてアンナ・カリーナを大絶賛させたり、アントニオーニの『赤い砂漠』観逃すなよと言わせたりetc.
『分身』でのオデッサの階段のまんま引用とかさ。
ベルトルッチ可愛い!


『殺し』も『分身』もそれぞれに見応えたっぷりな、まさに“ベルトルッチの若気の至れり尽くせり”ですが、やっぱ、個人的には『革命前夜』を推したい。

もう既に、もっかいメロメロになりたい。


ベルナルド・ベルトルッチアーリー・イヤーズ

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