他媒体リライトシリーズ。どこに出稿したものか失念しました。
子どもはみんな天才
1歳でひらがなが読めたり、3歳で英単語を100個知っていたりすると「凄い!天才!」と叫びたくなりますね。
でも本当にそうなのでしょうか?
つまり真の天才なのかということです。
テレビに凄い少年少女が出演したりしますが、この時期の子どもは上手く導いてやれば、そうした力を発揮するものなのです。
たまたまそうした環境にいたり、親が面白がってサポートしたりする子に、そうした力が備わるのです。
事実孫羊が幼児期に通っていた七田式の教室では、発表会でこうした光景は普通に見られるものでしたから。
1歳でひらがながよめたら凄いですが、小学校1年生では当たり前です。
つまり、成長したらみんなが追いつくような事柄では天才とは言えないでしょう。
これらは知性の技能としての側面です。
真の天才は技能ではなく、発想や着想、新しい理論を打ち立てるもの。
幼い子はみんなこのような「天才かも」という時期を過ごして、さらに成長していきます。
すると、年長や低学年になり色々と叱ることが増えてしまいます。
子どもを叱るときの心得
最近は、子どもを叱るときにもしっかり理由を説明することが推奨されています。
そうでないと、子どもは人格を否定されたような気になり、反省を次の行動に活かすことができないからです。
もちろんこれは正しいと思います。
しかしながら理由の説明の仕方が問題です。
大人は子どもを叱る時にもつい、相手が子どもであることを忘れてしまいます。
ですから、理由を説明する場合にも、大人に話すようなやり方をしてしまいがちなのです。
大人の論理で理由を長々と説明しても子どもには全く伝わりません。
馬の耳に念仏とはよく言ったもので、耳に入る声を遮断して叱られる時間がすぎるのをひたすら待つのです。
というのも、大人の話は長くて理解不能だからです。
せっかく理由を説明しいるつもりでも、全く伝わらないのなら意味がありません。
子どもに叱られている理由を話すなら、それを理解させることが大切です。
そのためには一方的に話す態度を改めなくてはなりません。
子どもの目を見て、どこまで話についてきているか確認しながら話しを進めます。
目が泳ぎ始めたら、理解できなくなっているので、説明のしかたを変えます。
また目を見るだけでなく、途中で確認することも大事です。
「わかったの!」と強く言えばわかっていなくても「うん」と頷いてしまいます。
ですから冷静に「ここまでは、わかったかな?」と確かめます。
さらに、わかったかどうかの確認だけでなく、「なぜ?」「なにを?」「いつ?」などについて子どもにも話させます。
「なんで、これをしたらいけないのかな?」
「いつ、それをするのかな?」
のように。
言葉のキャッチボールをすることで、お互いに理解が進むのです。
子どもの勉強を見てやる時の心得
さて、ここまでは叱る場合を例にあげてきましたが、実は勉強も同じです。
子どもがどこまで理解しているかを確かめながら学習を進めないと、進度ははかどっても理解が追いついていかないことになります。
すると、学習したはずなのにまたできなくなっている、なんてことに。
子どもが幼くなればなるほど、この理解度の確認が大切になります。
幼児向けの教材も作っているのは大人なので、問の表現が子どもに通じないことがあります。
例をあげます。
「りんごを1人に2つずつ配ったら、いくつあまりますか?」という問題なら、「1人に2つずつ」とはどういうことか、「あまる」とはどういうことかが解らない子どもは少なくありません。
子どもの理解度に応じて、言い換えをする必要があります。
例 「花子さんに2個、太郎さんにも2個、いる人みんなに2個配るってことだよ」「くばりおわったときに、だれにも渡さなかったりんごがいくつあるかが、あまるってこと」
「ここにあるりんごを、あなたに2個、ママにも2個というふうに、みんなに配るのね。そうしたら、くばらなかったりんごはいくつになるかな?」
ですから、子どもと話をするときには、子どもの精神年齢に合わせた言葉を選びながら、短いながらもきちんとしたセンテンスで語りかけるようにしましょう。
「あなたは、このおもちゃが珍しくてさわってしまったのね」
「だけどこれはAちゃんのものでしょう?」
「もしもあなたの大事な◯を、Aちゃんが勝手に使ったらどんな気持ちかな?」
「自分がされたら嫌なことは、他の子にしないようにしようね」
繰り返しになりますが、子どもの目や表情の動きをよく観察して、通じているのかどうかを確かめながら話すことで、子どもの理解度が高まるのです。
こうして親子のコミュニケーションですれ違いをなくしたいものですね!(羊)