ピンク音符モヤモヤっとした心をスッキリさせたい ピンク音符



 『心の開放のお手伝い』
のんびり ゆる〜くいきたい
カウンセラー目指して練習中の 
ひとみです。





社会に出る。そして、母になる
〜私のしんどい生き方20代から30代前半の私〜

続きです。


ちょっとその前に
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生きることがこんなに辛いと、 
思わなかった。怖かった。 


 公的な安心安全な場に逃げました。



 でも、家を出ても、安心なんて
出来るはずもなく、常に恐怖と隣り合わせ。
携帯の着信が怖かった。 
着信の数が物凄かった。
 不安と恐怖心と、疲労。そして、
元気な子ども達。



 私、自分自身が分からなくなっていました。
大好きなはずの子どもなのに、
そばに居て欲しくない。一人にしてほしい。
ホッとした安堵と、恐怖からの反動の
ヒステリック。 


わけが分からなくなっていました。


精神科を勧められ、行った時には、
既に酷い鬱状態でした。



人目を気にして生きてきて
恐怖と不安は、隣り合わせ。
毎日毎日、
どうやって生きるか
どうやって死ぬか、そればかり
頭をよぎりました。 
息子2人を乗せた3人乗り自転車で、
交通量の多い道路に突っ込もうか、
川に飛び込もうか、
こんなこと毎日考えて。


 死んだら楽になる・・・。 



それしか考えられなかった。 
追い込まれていました。


仕事は、幸いなことに籍はそのままで病欠を
いただいていました。 



 安全な場でしばらく過ごし、また1から、
幼い息子2人と鬱で情緒不安定でヒステリックな私の、
3人での生活が始まりました。 


3人での生活。それはそれで大変でした。。




 人に頼る、甘える事が苦手な私。 
さらに自分をしんどく、苦しくさせました。
 人に『頼る』『甘える』って、
どうしたらいいの…。仕方が分からない。
知らない。
 頼れない。弱い部分を出せない。



 そんな私は、逃げて、安心出来る生活を手に
入れても、また夫に連絡を取ってしまいました。


DVを受けた女性の典型的な行動…だそう。 


不安で、心細くて、頼りたくなって、
受け止めてくれるかも…、
もしかすると…分かってくれるかも…
 変わるかも…
そんな思いが、繰り返される。

負のスパイラル。

私もその繰り返しをたどりました。




一時の優しさ。そして・・・。 
繰り返される現実。
そこから、何度も転々と住む場所を変え
生活しました。




 だいぶ色々端折ってます。
ちょっと、あちこち入り混じっているかも。



その時は、それが最善だと思うのです。  
しんどくて、どうしたらいいのか、分からなくって。 助けて欲しい、けど言えない。 
それを何度も何度も繰り返すばかり。


そんな生活、送っていました。 




 人は変われると、信じていました。 
子どもが成長するように、大人だって変わる。変わることが出来る。 
そう思っていましたが、
自分を変えることが出来ても、
人を変えることは出来ない。 
本気で『 変わる。』そう思って行動しない
限り、変わることはない。 


根っこが同じだと、変わらない。
変えられない。
そのことを、
心のことを学んで知りました。


経験と学びで、わかりました。
 20年かけて知ることが出来ました。 
私の大きな学びです。



 助けて欲しいのに、助けてと言えない 
辛いのに、辛いと言えない 
自分を誤魔化して、周りばかり気にして
自分を傷つけ、人を傷つけながら生きていた、私。 



情緒不安定で、怒り散らしていた私だけど、
息子達は私の傍に居てくれました。
支えてくれました。



死にたいと思いながらも、
死ねなかった。 
しんどくて苦しくても、




 生きたかったんです。 
 笑っていたかったんです。
子ども達と一緒に。


それを、最近知りました。
そう思って私は生きてきた
ということを、最近知りました。
椎原さんの本を読んで気づきました。



私は生きたい
私は生きる
って。





 そんな20代〜30代前半を過ごしてきました。
長くなってしまいましたニヤニヤ



 


 ドロドロの私の振り返りにお付き合いいただき、ありがとうございます。 

いつかのスカイツリー。毎日、綺麗です💕



色んなこと盛りだくさんな私の人生。
ですが今は、

心のことを学び楽しいです♪
子ども達との生活が、楽しくて幸せです🍀










 最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。(❁ᴗ͈ˬᴗ͈))