ピンク音符モヤモヤっとした心をスッキリさせたいピンク音符
  

『心の開放のお手伝い』 
のんびり ゆる〜くいきたい
 カウンセラー目指して練習中の 
ひとみです。





 子育てと鬱病と、大震災〜30代の私〜 
の話です。






ちょっとその前に
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転々とした生活から定まった生活へと 
少しずつ変化したものの、 
鬱の症状はそのまま。   


突然泣いて、気分がどん底に落ちたり、
怒り散らしたり、 
気持ちの振れ幅が大きい毎日。



 身動きが厳しいしんどい生活よりは、
いいですが、これはこれで、しんどかった。



 私を毎日見ていた息子達も辛かったと
思います。 


 子育てが辛く、
施設に預けることも考えました。
役所の担当の方に家に来てもらい、
息子達と面談をお願いしました。
けれど、息子達は断り、私といる事を
選びました。


『ママと一緒がいい。』


我に返ったとき、泣きました。
息子達に感謝。
私が1人になっていたら、今ここに居なかったと思います。


息子達に、感謝。


 

 その後から、
鬱症状が酷い時は サポーターさんに
お願いし、
夕ご飯や洗濯、子ども達のお世話を 
お願いしました。 

 仕出しの宅配弁当なども利用して。


 頼ることに、抵抗が無かった訳では
ありません。
ですが、自分の力だけでは、どうも
出来なきなかった。
頼らざるを得なかった。 



お願いしてよかった。
何より私が、安心出来ました。 
大人が居てくれる安心感が、
こんなにも大きいと思いませんでした。


 人に頼ることで得た安心感
改めて知りました。


 1人で全部背負わない。



 人に頼る事、助けてもらう事は、
ダメじゃない。悪ではない。 
 3人の生活と、私の心の安定を大事に
しました。 


色んな心の壁を少しずつ乗り越えました。 



 そんな時を過ごし、復帰プログラムで
職場復帰しました。

心のバランスって難しい。 
ちょっとのことで気持ちがグラついたり、
しぼんでしまったり。


 復帰と病欠を何度か繰り返しました。

 

 耐える、頑張るということが
どれほど自分に負担をかけていたのか… 
症状は、抜けませんでした。 


 その間、保育園から児童館に異動し、
仕事に就いては病欠になり…復帰して…
を繰り返し、
最後の復帰プログラム終了間際に、 



東日本大震災に直面しました。 
仕事中に起こりました。


 東京も大変な事態でしたが、 
東北が、地元が、危ないことを知りました。
私の実家は、岩手県陸前高田


 地元が津波で壊滅状態と知り絶望
しました。


そして、
 両親が経営する会社が海の近くにあったので
ダメだ…と絶望的でした。



ですが、数日後、
ニュースで消防団員姿の兄を見つけた時は、
涙が出ました。
そこでやっと安心したのを覚えています。



 その後、家族が無事なことを知り安心しました。
それと同時に、知り合いや友達が
たくさん亡くなったことを知りました。


 東日本大震災については、また別の時に
綴ろうと思います。



 地元が大変。 
私には何が出来るのか 
自分が出来ることやらないと。 


その一心で、がんばりました。 
 地元を思い、ひたすら出来ること頑張りました。



 地元の役所で働いていた知り合いは皆、
市民の命を守り、命を失ったことを聞きました。 

私も同じ公務員として、自分が出来ることを
しよう。と、仕事に取り組みました。 


 そして、震災をきっかけに鬱は治りました。


 とにかく、必死で生きました。





 誰にも予想できない状態
 誰にもどうすることもできない状態




 今と似ています。
 今、この社会情勢で、私が出来ることは、
何か。 


 その中でも懸命に働いてくださる方への 
感謝。 
そして、家にいること。家で過ごすこと。




 振り返りをしながら、色んなこと
考えさせられます。 
いい機会を得たと思います。




 子育てと鬱病と、大震災の時の話でした。 

 私の振り返りにお付き合いいただき、ありがとうございます︎。


今、何をすべきか。
自分には何ができるのか。
今、向き合う貴重な時間です。






 最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。(❁ᴗ͈ˬᴗ͈))