みなさんこんにちは。

今年度、主務を務めました、片岡颯真です。

引退ブログを書く日なんてまだまだ来ないなんて思っていましたが、4年間あっという間でした。

今回はそんな4年間を振り返りたいと思います。

小中高と国語が大の苦手でしたので、文章力は皆無、とりあえず長いですが、ご容赦ください。

 

※みなさんが僕をいじる時の鉄板ネタでもある学連についてはほとんど触れておりません。

 

 

 

大学1年の8月、

 

目標だった、体育会サッカー部への入部が決まった。

コロナ禍真っ只中で例年のようなセレクションはなく面接のみの形式だったがそれでも嬉しかった。

 

プロを目指していたわけではない。

 

高校試合に出れなかったことが悔しくて、

それではサッカーからは離れられなくて、

やりきったと思えるまでサッカーを本気でやって上を目指したかった。

 

 

入部当初意気込んだ理想と現実は大きく異なり、選手を辞めるまでの3年間、学生リーグはおろか、Iリーグにも新人大会にも公式戦には1試合も1分も1秒も出れなかった。

ただただ悔しかった。もちろん今でも悔しい。

 

次の日は練習に行けないとわかっていれば、練習後にトレーナーお願いして別メニューを組んでもらって行けない日の分まで、足が動かなくなるまで自分を追い込んだ。

上手くなりたくて、付き合ってくれそうな後輩を捕まえたり、1人で練習終わりに自主練もした。

 

それでも出れなかったのは、まだまだ努力が足りてなかったからだと、今年のAチームの14番を見れば分かる。パス1本のズレも、甘いコースのゴールも、一切の妥協を許さない。そういう人が試合に出れて、最後プロの世界に行けるのだと思う。

 

 

大学3年のシーズン終わり、

16年間続けたプレーヤーを辞めると決めた。

 

学連幹事長と主務をやっていくうえで、プレーヤーも続けるのは全て中途半端になる学連での経験を全てチームに還元したいと思っていた。

それが自分の覚悟でもあった。

 

これはよくみんなに話す理由ひとつ。

 

もうひとつは全く試合に出れないプレーヤーとしての自分に限界を感じて、プレーヤーとしての存在価値を見失ってしまったから。

入部時に意気込んだ、上を目指すということを諦めてしまった

一方で学連での活動や試合に出れない時のチームサポートを通じて、プレーヤー以上のやりがいを感じてい自分もいた。

だから決断できた。

周りからは、主務と幹事長は絶対に無理だと言われたこともあった。

でも絶対やってやろうと思っていた。

 

 

主務になってからは、

あまり言いたくはないがとにかく忙しい日が続き、オフである月曜が会議や業務で潰れてしまうこともあれば、土日は1日運営・半日運営+半日帯同なんてことも。

TimeTreeの更新や申請書類名簿・リストの作成学内への申請のためにキャンパス内を歩き回ったり試合前日は残って設営準備、当日は朝早く来て設営をしたり、「練習試合をしていただけませんか」とチームに連絡をしたり、とにかく色々なことをした。

 

同期「大丈夫?遊んでる?」「社会人やん」「もっと休めよ」と心配してくれる人もいて、

「自分で選んだことやから」とか「休みあってもすることないしなとか言って返していたが、正直辛い時もたくさんあった

メンタルをやられて、学連もサッカー部も辞めてしまいたいと真剣に考えたこともあ

小さなミスから大きなミスまで数え切れないほどのミスをして、数えきれないほど怒られた。

Aチームがミーティングをしてるすぐ側で怒られて

「ミーティングどころじゃなかった」

と選手たちに言われたこともあったほど

(全部自分が悪いのだが。)

 

それでも続けられたのは、

自分より頑張ってるマネージャーやトレーナー、学生スタッフがいて、全身全霊をかけて戦っている選手がいたから。

プレーヤーだった頃には見えなかったもの他の人の努力を見て、こんなことで辞めるわけにはいかなかったし、いい意味で、負けたくないと思えた。

チームが良くなるにはどうすればよいか

はもちろんだが、

「自分はどこまでやれるか」

ということも考えていた。

 

 

11月11日の最終節、

ホーム京田辺で行われた関西大戦。

 

学連幹事として会場運営をすることが決まっており、帯同できなかった

帯同できなくても、自分ができる最大限準備をしようと、マネージャーと話して、大学からパイプ椅子やブルーシートを借りて観客席を作り、同時間帯に練習するアメフト部にお願いして最大限のご協力を得た。

 

結果として、応援団含め約460人にお越しいただき、京田辺会場としては今季最多観客数を記録した。

11:30キックオフの4位・大院大が勝利したことで、同志社のインカレ出場はキックオフ時点で消滅していた。

選手たちがこのことを知っていたのかは分からないが、ただ勝利だけを目指姿を見て

1年間主務としてこのチーム関わることができて良かったと思えた。

 

 

最後にこの場をお借りして、

大学サッカーで関わった全ての方々に感謝を伝えさせてください

 

指導者・学連事務局・先輩方、

要領・効率、頭の回転が悪く、また仕事も遅く、たくさんご迷惑をおかけしました。

皆様にご支援ご指導いただけたことで、ここまで成長することができました。

本当にありがとうございました。

 

部員のみなさん、

TimeTreeの更新は遅いし、急な予定変更は日常茶飯事毎日毎日全体LINE何かしらの連絡、おまけにミスだらけ。

本当にごめんなさい。

ひたすらバタバタしている主務でしたが、そんな人がいたなと頭の片隅にでも憶えておいていただければ、それだけで僕の4年間に意味があったと思えます。

 

最後に同期へ

ここでは伝え切れないほど感謝しています。

3年間一緒にサッカーをしてくれて、

最後の1年主務に選んでくれてありがとう。

みんなの期待に応えられたかはわからないし、

もしかしたらみんなにとって僕は

「同志社の片岡」ではなくて「学連の片岡」

だったかもしれません

頭が堅くて、ルールにうるさくて、融通が効かない、やたらと連絡が多い、めんどくさいやつだったかもしれません

でもみんなが同期だったからこそ、ここまでやってこれたと思っています。

学生スタッフの4人には本当に助けられました。4人には支えられてばかりで、4人がいなければ主務の僕はどうなっていたことでしょう。

常にチームのために動き続け、努力をし続けるその姿に尊敬しているし、自分には到底追いつけないところにいます。

同期のみんな、本当にありがとう。

 

 

大学4年間、

選手主務・学連幹事長贅沢だと言わざるを得ないほどの経験をしこの道を選ばなければ出会えなかった人がたくさんいます。

振り返れば

「もっとできた」とか、「あれもできた」と思うような悔しい、嬉しいこと楽しいこと辛いこともたくさんありましたが、自分がしてきた選択に後悔は一切ありません

大学でもサッカーを続けること、同志社大学体育会サッカー部を選んだこと、そして主務になると決めたことも間違ってなかったと胸を張って言えます。

 

環境に恵まれ、

 

タイミングに恵まれ、

 

そして人に恵まれた4年間でした。

 

本当にありがとうございました

 

 

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 

やっぱり僕はサッカーが1番好きで、

まだまだ離れられそうにありません。

 

 

 

2023年度

同志社大学体育会サッカー部

主務 片岡颯真