今回の引退ブログを担当します、生命医科学部の石原次郎です。最近は、卒論のため大学と実家を行き来する、そんな生活です。引退してから2ヶ月ほど経ち、キャンパスで部活ジャージを着ている後輩が眩しく見えてきました。本編がだいぶ長くなったので、余計な前置きはせず、もう始めていきます。それでは、いってらっしゃい!(そういや、引退してから少しだけ大阪にある某テーマパークでバイトしてます。是非来て下さい。全力の笑顔で待ってます。)


小学生の時に、ガンバジュニアで「スタメン争い」を経験してから、勉強を言い訳に中高は強豪チームを避けてきた。大学も近辺の国公立に進学し、伸び伸びとサッカーをしようと、高校サッカーを引退したその日から考えていた。塾の自習室ブースのパソコンで、ずっと志望大学の体育会のブログを読んだりして、入部することをワクワクしていたのも懐かしい。しかし、センター試験本番の入試の国語で史上最低点を叩き出し、国語の比重が大きい国公立が厳しいとなった時、私学の同志社に行こうと思った。正直、大学でも体育会に入ろうとしていた自分にとって、私学にはなるべく行きたくなかった。だって、当時の自分にとって私学の体育会から連想するものといえば、スポーツ推薦のマッチョで多分みんなサッカー上手いから。そんな厳しい環境でサッカーをしたくなくて、サークルに入ろうかと少し迷ったけど、もしかしたら通用するんじゃないかな、とそんな思いもあり入部を決意した。なので、自分にとって大学サッカーは「向き合う場所」でした。

入部当初は新入生チームに配属された。また、その中で紅白戦をする際でも、自分は数少ないベンチ外の1人で、(自分は200人近くいる部員の中で1番下なんだ)と驚いたことを鮮明に覚えている。けど、これまでのサッカー人生から、多少なりとは自分に自信があったため、そこまで落ち込む事はなく、まあ大丈夫かなと思っていた。その自信通り、2回生のシーズン終わりまでに、D、C、Bチームと昇格して行くことができた。自分はよく周囲からラッキーボーイ(ゴール前でボールが自分の所によく転がってきたり、Iリーグの後半ATにハンドで決めたり)と言われることがあり、自分もそれを自覚してる節があった。そのため、いつかひょんなことからAチームに上がり、たまたま途中から試合に出ると、スーパーゴールを決めるものかな、と正直考えていました。

3回生で経験したBチームは、全国の舞台で活躍していたり、国体のメンバーが数多くいて、経験した事ない程のレベルの高さや、美尾さんのプロっぽい練習も、とっても楽しかった。その中でゴールを決めたり、メンバーに入れたり出来たのは純粋に嬉しくて、個人的に充実したサッカー生活を送っていた。ただ、前述した「Aチームに上がって、試合に出てスーパーゴールを決める」が出来る大学サッカー生活のピリオドまで、刻一刻と近づいていることも少なからずは実感していた。

3回生の冬に始まったラストシーズン。カテゴリー発表でAに名前があることを少し期待したけど、Bチームだった。まあでも、何が起きるか分からないしなあと、とりあえず未来の自分に期待した。けど、その自分は全然期待通りにしてくれず、ボールがとにかく収まらないし、前シーズンよりも走れないしパスも繋がらない。この頃はとにかくサッカーが上手くいかず、楽しくないのでグランドに行きたくなった。楽しくない2時間のサッカー練習をするために、実家ーグランド間に往復4時間。計6時間、バイトする方が間違いなく生産性あるのにな。Aチームどころか、カテゴリー落ちしそうだなと感じた頃、土日の梅田やサークル活動を横目にグランドに向かっている時は、体育会に入部したことを心底後悔した。1回生からほぼ毎日部活動に費やした6時間は、「Aチームに上がって、試合に出てスーパーゴールを決める」その時の喜びでやっと回収出来る気がするけど、それが無理そうなら残りの引退まで6ヶ月間、時間無駄だし辞めて、リゾートバイトでもしようと考えた。スマホで調べると、北海道の富良野に、自然に囲まれながら、のんびり、各地から来た大学生と一緒に働けます!みたいな求人があって、真夏に暑い中サッカーするより、こっちの方が有意義だな、何より夏の北海道良いな、と考えたりしました。

今思えば、(偉そうに語りますが)自分の思い通りにならなくなった時にその人の真価が問われるのかな、なんて思います。この時の自分は、明らか自身に原因があるのに、何も努力やアクションを起こさない事に違和感を感じることさえ出来ませんでした。思い通りに行かない時こそ、自分にベクトルを向けて取り組むべきだったなと、今ブログを書く中で実感しました。この事は、これからの自分にも言い聞かせたいと思います。

辞めてリゾートバイトへの選択はまさの神アドバイスによって絶たれ、引退まで駆け抜けることを決めました。(詳細は忘れたけど、かなり胸に来ることを言ってくれました)そこから、約6ヶ月間、変動はなくBチームで10月14日の引退を迎えました。ラストシーズンは、サッカーに関してはサッカー人生の中で1番上手くいかなかったけど、楽しさ、充実度、もっとこの時間を過ごしていたいランキングで言えば、今までのサッカー人生でぶっちぎりで1番でした。金沢遠征の夜ドライブや、試合帰りのラーメン、黒木りょうとたくさん行った練習終わりの住道。Bの同期やたくさん話しかけてくれた後輩、みんなと過ごせた時間は本当に最高でした。B呑み発熱で参加できなかったのは、本当に悲しかったです。企画待ってます。

卒論残り38ページで10日前締め切りの、眠れない夜にこのブログを書き始め、気付けば丁度朝の7時になっていました。このブログを書きながら部活の時を思い出すと、グランドまでの坂道や、グランド着いてからトレーナーさんと喋りながら靴紐結んでると、マットを持ってぞろぞろ集まる同期、挨拶して来てくれる後輩、集合の号令がなり、気だるそうに集まって練習し、でも始まれば目の色を変え、終わればアイシングしながら座って喋る。そんな日常が本当に恋しくなってきて、1日だけ、またそのシチュエーションを体験してみたい。とか練習、試合でここで絶対勝つ!というような熱くなることが、引退してから卒論、バイト、遊びだけのサイクルにおいて無いなと気付いて、貴重な体験だったんだ、と実感します。最近はそんな日々の写真を眺めながら良かったなあとノスタルジックに浸ることが多いです。なので、(相手が不快にならない程度に)引退後のためにたくさんの思い出を写真に収めて欲しいな、と思います。

以上になります。だいぶ長くなりましたが、(本当はもっと書きたいことあったけど)ここまで読んでくれた方、本当にありがとうございます。今日はこの後、大学の図書館に行って爆速で卒論を書いていこうと思います。ちょっぴりキャンパスで部員に会えることを期待しようと思います。