JRの東海道線に通勤快速があるのをご存知でしょうか。
東海道線はもとから停車する駅が少ないにも関わらず、
さらに通勤快速というのが存在します。
なかなか遭遇する機会は少ないのですが、
品川駅の夜8時台に運行しています。
品川駅から川崎駅まで、京浜東北線を利用すると4駅ですが、
東海道線だと1駅で到着するため、帰宅には、
東海道線を利用しています。
品川のホームで、停車していた電車に飛び乗り、
直後にドアが閉まり、発車しました。
乗ってから、ある違和感を感じ、それは、
この時間帯にしては、乗客が少なかったのです。
いつも通りに乗っていたのですが、アナウンスで、
次の停車駅は、横浜駅というのです。
よくみたら、それが通勤快速でした。
品川ー川崎 は約10分ですが、横浜までになると20分ぐらいになります。
その20分間、ノンストップで走り続けます。
例えば、新幹線とか長距離列車とか、そういうのを覚悟していれば
いいですが、都心の電車で20分止まらないというのはあり得ず、
東海道線の車両にトイレがついているのも、納得しました。
しかし、この通勤快速、本当に必要なのかというのが、
自分の疑問です。
恩恵を受けているのは、東海道線の平塚など遠くの駅に帰る人が、
あまり混まずに電車に乗れるということでしょうか。
社会人になってから、JRで通勤するということは、
川崎に越すまでなかったのですが、JRで通勤するようになってから、
いろんなJRに対する不満や疑問が湧いてしかたないのです。
夜、品川駅で下りの東海道線に乗るときは、
気をつけましよう。。
暑熱順化という言葉をご存知でしょうか。
しょねつじゅんか と読みます。
意味は身体が暑さに慣れるということです。
こういう自分は暑さが大の苦手、
夏は空調のあるところにしかいません。
この身体が暑熱順化すると、暑くても
あまり汗をかかなくなるようで、
そもそも暑い地方に住んでいる人は、
あまり汗をかかないようです。
この暑熱順化に能動的に慣れさせるためには、
持久力系運動が適しているらしく、ランニング、
自転車というのが上げられていました。
こういう自分も、学生時代はトライアスロンをやっていて、
バリバリ、ランニングも自転車もやっていましたが、
暑さが苦手であることに変わりはなく、
特に一番鮮明に記憶に残っているのが、フランス留学中の5月に、
友人とイタリア・ローマに行ったのですが、焼けるように暑く、
暑さが苦手な自分は旅先でバテてしまい、ほとんど何もできなかった
気がします。
反面、父親が山形出身なせいか、寒さには強く、
前のアパートでは2年間、ガスを通さずに、
真冬でもシャワーで水浴びをしていました。
真冬にシャワーで水浴びは過激ですが、
寒い分には頭が鈍化することはないのですが、
暑いと子供のように、すぐのぼせてしまうのです。
暑熱順化、いろいろ試してみたいと思います。。
しょねつじゅんか と読みます。
意味は身体が暑さに慣れるということです。
こういう自分は暑さが大の苦手、
夏は空調のあるところにしかいません。
この身体が暑熱順化すると、暑くても
あまり汗をかかなくなるようで、
そもそも暑い地方に住んでいる人は、
あまり汗をかかないようです。
この暑熱順化に能動的に慣れさせるためには、
持久力系運動が適しているらしく、ランニング、
自転車というのが上げられていました。
こういう自分も、学生時代はトライアスロンをやっていて、
バリバリ、ランニングも自転車もやっていましたが、
暑さが苦手であることに変わりはなく、
特に一番鮮明に記憶に残っているのが、フランス留学中の5月に、
友人とイタリア・ローマに行ったのですが、焼けるように暑く、
暑さが苦手な自分は旅先でバテてしまい、ほとんど何もできなかった
気がします。
反面、父親が山形出身なせいか、寒さには強く、
前のアパートでは2年間、ガスを通さずに、
真冬でもシャワーで水浴びをしていました。
真冬にシャワーで水浴びは過激ですが、
寒い分には頭が鈍化することはないのですが、
暑いと子供のように、すぐのぼせてしまうのです。
暑熱順化、いろいろ試してみたいと思います。。
先日、メガバンクに勤める高校の友人に会いました。
メガバンクからの出向で、1年間イギリスのバークレイズに勤め、
先月帰国しました。
いろんな話を聞いたのですが、特に興味深かったのが、
彼ら(イギリスの人)は、何をやるにしても、
枠組み(フレームワーク)を作ることに、ものすごく時間を割くそうです。
それはイギリスもヨーロッパであり、いろんな国、人種の人が集まる中で、
各人の考え方も当然異なるわけで、その土俵をまず作らないと、
議論が進まないという背景があると思います。
それを転じて考えると、欧米人はルール作りがうまい、
慣れているといえるかもしれません。
もちろん、彼らもルールを作るにあたり、
自分たちに不利になるようなルールは当然作らず、
少しでも自分たちが優位にたてるようなルールを作成します。
反面、日本は自らルールを作るということは、
もともと必要がないというか、そういう意識すらありませんし、
むしろ、決まったルールの中で、どういう解決策を見つけていくかが、
日本の優れている点といえます。
しかし、順序で考えると、まずルールを作る人がおり、
その後、そのルールの上で、日本人のようなプレイヤーが
参入するのであって、どっちが有利かといえば、
当然、ルールを作る人の方がスタート時点ですでに差があります。
例えば、国の法律にしても、立法権のある国会が、
一番権力があるわけで、国民はできた法律の中で、
法に従って生きていくしかありません。
その友人いわく、英語がビジネスにおける公用語となっているのは、
結局欧米人、特にイギリス、アメリカが優位な立場にたてるようになっており、
いわゆるグローバル化が進み、産業がクロスボーダーになればなるほど、
日本人は彼らのルールに従うようになっているのです。
これは自分が右よりの人間だとかそういう問題ではなく、
今後、日本が世界のビジネスに進出するにあたり、
重要な要素だと思うのです。
現在、日本で力があるのは、やはりメーカーですが、
それは、手先の器用さだったり、言語に依存しないというのもあります。
日本人が、今後世界のビジネスで活躍するためには、
プレイヤーとしてよりも、より上流工程に加わっていき、
自分たちでルールを作れるようにならないといけないと思うのです。
自分たちでルールを作れれば、その市場で優位に展開できるため、
一人勝ちの状況にもできます。
学校教育で、わざわざやる必要はないかもしれませんが、
例えば、解を導くための問題ではなく、いかに合理的で倫理性もあり、
かつ自分に優位なルールを作れるかというのを、
みなで出し合うというのもおもしろいかもしれません。
この点については、もう少し自分で思索してみます。。
メガバンクからの出向で、1年間イギリスのバークレイズに勤め、
先月帰国しました。
いろんな話を聞いたのですが、特に興味深かったのが、
彼ら(イギリスの人)は、何をやるにしても、
枠組み(フレームワーク)を作ることに、ものすごく時間を割くそうです。
それはイギリスもヨーロッパであり、いろんな国、人種の人が集まる中で、
各人の考え方も当然異なるわけで、その土俵をまず作らないと、
議論が進まないという背景があると思います。
それを転じて考えると、欧米人はルール作りがうまい、
慣れているといえるかもしれません。
もちろん、彼らもルールを作るにあたり、
自分たちに不利になるようなルールは当然作らず、
少しでも自分たちが優位にたてるようなルールを作成します。
反面、日本は自らルールを作るということは、
もともと必要がないというか、そういう意識すらありませんし、
むしろ、決まったルールの中で、どういう解決策を見つけていくかが、
日本の優れている点といえます。
しかし、順序で考えると、まずルールを作る人がおり、
その後、そのルールの上で、日本人のようなプレイヤーが
参入するのであって、どっちが有利かといえば、
当然、ルールを作る人の方がスタート時点ですでに差があります。
例えば、国の法律にしても、立法権のある国会が、
一番権力があるわけで、国民はできた法律の中で、
法に従って生きていくしかありません。
その友人いわく、英語がビジネスにおける公用語となっているのは、
結局欧米人、特にイギリス、アメリカが優位な立場にたてるようになっており、
いわゆるグローバル化が進み、産業がクロスボーダーになればなるほど、
日本人は彼らのルールに従うようになっているのです。
これは自分が右よりの人間だとかそういう問題ではなく、
今後、日本が世界のビジネスに進出するにあたり、
重要な要素だと思うのです。
現在、日本で力があるのは、やはりメーカーですが、
それは、手先の器用さだったり、言語に依存しないというのもあります。
日本人が、今後世界のビジネスで活躍するためには、
プレイヤーとしてよりも、より上流工程に加わっていき、
自分たちでルールを作れるようにならないといけないと思うのです。
自分たちでルールを作れれば、その市場で優位に展開できるため、
一人勝ちの状況にもできます。
学校教育で、わざわざやる必要はないかもしれませんが、
例えば、解を導くための問題ではなく、いかに合理的で倫理性もあり、
かつ自分に優位なルールを作れるかというのを、
みなで出し合うというのもおもしろいかもしれません。
この点については、もう少し自分で思索してみます。。