ルールの考え方 | 道玄坂で働くベンチャー課長だったひと

道玄坂で働くベンチャー課長だったひと

Il n'est qu'un luxe veritable, et c'est celui des relations humaines.
Saint-Exupery(真の贅沢というものは、ただ一つしかない。それは人間関係の贅沢だ。
サン=テグジュペリ)
 

先日、メガバンクに勤める高校の友人に会いました。

メガバンクからの出向で、1年間イギリスのバークレイズに勤め、
先月帰国しました。

いろんな話を聞いたのですが、特に興味深かったのが、
彼ら(イギリスの人)は、何をやるにしても、
枠組み(フレームワーク)を作ることに、ものすごく時間を割くそうです。

それはイギリスもヨーロッパであり、いろんな国、人種の人が集まる中で、
各人の考え方も当然異なるわけで、その土俵をまず作らないと、
議論が進まないという背景があると思います。

それを転じて考えると、欧米人はルール作りがうまい、
慣れているといえるかもしれません。

もちろん、彼らもルールを作るにあたり、
自分たちに不利になるようなルールは当然作らず、
少しでも自分たちが優位にたてるようなルールを作成します。

反面、日本は自らルールを作るということは、
もともと必要がないというか、そういう意識すらありませんし、
むしろ、決まったルールの中で、どういう解決策を見つけていくかが、
日本の優れている点といえます。

しかし、順序で考えると、まずルールを作る人がおり、
その後、そのルールの上で、日本人のようなプレイヤーが
参入するのであって、どっちが有利かといえば、
当然、ルールを作る人の方がスタート時点ですでに差があります。

例えば、国の法律にしても、立法権のある国会が、
一番権力があるわけで、国民はできた法律の中で、
法に従って生きていくしかありません。

その友人いわく、英語がビジネスにおける公用語となっているのは、
結局欧米人、特にイギリス、アメリカが優位な立場にたてるようになっており、
いわゆるグローバル化が進み、産業がクロスボーダーになればなるほど、
日本人は彼らのルールに従うようになっているのです。

これは自分が右よりの人間だとかそういう問題ではなく、
今後、日本が世界のビジネスに進出するにあたり、
重要な要素だと思うのです。

現在、日本で力があるのは、やはりメーカーですが、
それは、手先の器用さだったり、言語に依存しないというのもあります。

日本人が、今後世界のビジネスで活躍するためには、
プレイヤーとしてよりも、より上流工程に加わっていき、
自分たちでルールを作れるようにならないといけないと思うのです。

自分たちでルールを作れれば、その市場で優位に展開できるため、
一人勝ちの状況にもできます。

学校教育で、わざわざやる必要はないかもしれませんが、
例えば、解を導くための問題ではなく、いかに合理的で倫理性もあり、
かつ自分に優位なルールを作れるかというのを、
みなで出し合うというのもおもしろいかもしれません。

この点については、もう少し自分で思索してみます。。