6月27日、横浜で開催されたダライ・ラマ法王の
講演会に参加してきました。
ダライ・ラマは、年に1度か2度は定期的に来日しており、
実は去年の秋にも同様の講演会があり、
参加するつもりでしたが、あいにく会社の事務所移転日と重なり、
結局参加できずじまいで、今回ようやく参加しました。
第1部、第2部にわかれており、午前の第1部では、
仏法の法話で、「縁起賛と発菩提心」というテーマでした。
ちなみに、縁起とはものごとは単独で存在しているのではなく、
お互いが影響し合い、関連して成り立っているという仏法思想です。
会場自体がビックサイト並みの広さがあり、
来場者数が1万5千人でパシフィコ横浜のパイプ椅子が、ほぼ満席状態。
自分は一番格安なC席であったので、壇上は遥かかなたで、
ダライ・ラマが登壇しても、はっきり細部を確認することができず、
もっぱら脇のモニターで見ていました。
個人的にチベット問題を関心があり、ドキュメンタリー映画などをみながら、
自分なりに勉強、思索をしていて、亡命生活を続け、
フランスをはじめ、海外で絶大な支持をうけている本人にあってみたいという
気持ちがありました。
率直な感想として、彼自身、非暴力主義を貫き、権力と戦っているわけですが、
教団のトップとして、またチベットを代表する人物として、
非常に複雑な立場があり、彼1つの発言が非常に影響力をもっているわけで、
権力に屈しない内なる炎と、信者やとりまくひとへの包容力と慈悲というか、
厳父のような正しく人を導こうとする鋭さもあります。
ただ、それでいながら達観していて、小さい囚われや欲求がないのか、
午前、午後と休憩を含めれば7時間くらいあったのですが、
振舞いが気さくで、ユーモラスがあり、幾度も会場から笑いがありました。
午後が一般講演で、チベット問題について、言及することを期待していたのですが、
「『幸せの本質』~共生と共存の未来へ向けて~」というテーマで、
実際、一切チベット問題に触れることなく、終了していましました。
あとで別の人から伺ったのですが、今回の来日にあたり、そもそも政府が、
入国させるためのビザを発行するかどうか議論していて、
入国の条件が政治的発言をしないというものだったようです。
[ダライ・ラマ来日許可]
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0416&f=politics_0416_005.shtml
ここでチベット問題について記載するつもりはありませんが、
個人的には、法王としてのダライ・ラマよりも、ガンジーのように、
亡命し、権力と戦い続けるダライ・ラマというイメージなのです。
一般講演の内容を簡単にまとめると、
1つは、金銭的、または物理的な充足が必ずしも、
幸福と直結しないということ。
もう1つは、愛情、思いやりというものが、
幸福感を人に与え、そして自身も満たされていくもの。
両方とも関連していますが、子どもの頃に親、
とりわけ母親から愛情を受けて育つというのは、
非常に重要で、愛情を十分に受けているからこそ、
大人に成長しても、人に対し、愛情を与えることができ、
子どもの時に、愛情が不足していると、やはり精神的にどうしても、
満たされなかったり、卑屈になったり、人格が円満にならないケースが多いとし、
愛情、思いやりの連鎖をいろんな人と築きあげることが、
世の中を良くしていくという内容でした。
そして、誰にも悩みや苦しみというのはありますが、
それらも人に愛情、思いやりをもって接していく中で、
他人のことについて思慮するようになり、自身に関する悩みに
とらわれないようになるとも。
現在、彼も75歳であり、質疑応答において、
死後、誰が後継者、次世ダライ・ラマになるのかという質問も会場からあり、
それに対し、彼は、「(後継者について)私自身が口を挟むべきことではない」、
「これから先のダライ・ラマ制度を存続すべきかはチベットの民衆が決めるべきことだ」
と回答。
今回の講演においては、元気に振舞っていましたが、
年齢相応だけに、いつまで海外を巡り、講演を出来るかというのはわからず、
そう考えると、自分として、一生に一度はあっておきたい人物でありました。
自身、ダライ・ラマを崇拝しているわけではありませんが、
過去ではなく、現在においてもなお平和主義者としての彼に、
尊敬の念を抱かずにはいられないのでした。。