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~俺もないけど心配するな~

デュープラー英語学院の代表、hisasueの気ままなブログ

 
読者はそろそろ「こいつはどんだけ仕事やってんだ」と呆れ始める頃だろうか(笑)

呆れた読者に更に追い討ちをかけるようで申し訳ないが、実は他にも「展示会事務局」をやったり、「英会話サークル」をやったりしている。

世の中には、一つの仕事を専業で継続している人の方が多いかもしれないが、私のように複数の仕事に分散させている人も少なくないだろう。

私は割と前からマルチビジネス(複数の仕事を同時に行うこと)にメリットを見いだすタイプだったように思う。

専業一本にも、マルチビジネスにも、当然ながらどちらにもメリット・デメリットがある。

専業一本ならば、マルチに仕事していては決して得られない経験値・熟練度・人脈などが得られる。収入も増え続けていく可能性が高い。

しかしその一方で、一旦その仕事がつまづくと、全てが止まってしまうというリスクもある。

今の世の中、どんなビジネスであっても、それだけで安泰などということは滅多にない。そういう意味ではマルチに仕事を分散させておけばリスク回避になる。

まあ、ドラクエの転職のように、複数の職業を経験しておいた方が強くなれそうだな、というシンプルな理由も私の中にはあるようだ(笑)

しかし、専業一本で辛抱強く、うまく生きている人も多い。私にはそういう辛抱強さがないのかもしれない。

結局マルチビジネスか専業一本かというのは、個人個人の人生スタイルによって決まるものなんだろう。


私は英語教師という仕事以外に、国際会議の事務局という仕事もしている。

国際会議というのが何のことか分からない人も多いだろうが、カンタンに言えば「世界中から人が集まって論文発表をする」というものだ。

私が今請け負っている国際会議は2つあり、どちらも電波や電磁波を使った技術に関する国際会議である。

1つは来年の9月に富山で開催され、もう1つは来年の12月に横浜で開催される。

国際会議の準備には、通常2~3年という期間が必要となるので、今は既に忙しい時期にさしかかっていると言える。

そういう国際会議を開催するに当たり、対外的な窓口となったり、準備の際の事務業務を行ったりするのが「事務局」である。

私は、英語教室を開く前に3年間出版社に勤めていた。この会社で7~8つの国際会議を担当した経験がある。

この経験から、今でも当時の上司の手伝いとして、国際会議の仕事に携わっているというわけだ。


事務局の仕事内容は、基本的にパソコンに向かうものが多い。メールのやりとりはもちろん、資料を作ったり、ホームページのシステムを作ったりするのが大部分を占める。

国際会議なので、対外的な表記は全て英語となる。英語を他人に教えるのが本業の私にとっては、唯一、英語力を自分の為に使うことができる仕事と言える。これがなかなか楽しい。


国際会議の仕事をしていると、世界には様々な英語があることに気づかされる。

アジア、オセアニア、中東、ロシア、アフリカ、ヨーロッパ、南米、北米と様々な国から人が集まって、唯一の共通言語である「英語」を使って論文を発表したり議論したりする。

英語を教える上で、一体何が大切なのかを身を持って知ることができる。
教科書や文法書や辞書だけでは知り得ない英語の実態が、国際会議にはある。


例えば私の教室では、北米発音を基準とした音読・発音指導をしたり、文法の基本を徹底的に指導する。

世界に様々な英語があるのは事実だが、一番通じやすいのが北米発音であり、また一番誤解を少なく伝えられるのが基本文法に忠実な文章であろうということも、国際会議の仕事を通じて感じることだ。


そう言うと「アメリカ英語帝国神話だ」と批判する人もいるが、実際に北米発音で通じないことの方が稀だ。

それは国際会議でなくても、旅行や海外出張でも同じことだと思う。

通じにくい発音でブロークンな英語で良いのは初級レベルのうちであって、上達するに連れてブロークンでは間に合わないと感じるようになるのが普通だろう。

どうせ英語を学ぶなら、通じやすい発音で、通じやすい文の作り方をはじめから学んだ方が良いではないか。

英語を教える上で、どのような英語力が世界で必要とされているかを教師が知ろうとすることはとても大切だ。

国際会議の仕事は、そういう貴重な機会を私に与えてくれるのだ。

〈さらに前回の続き〉

今日、高校で物理を教えている私の知り合いに「人に分からせる」という意識があるかどうか尋ねてみた。

すると彼は、次のように語ってくれた。

「高校生には『分からせる』という意識では教えていない。物理を本当に理解しなくても、物理の面白さは感じられるし、もっと言うと問題を解くこともできる。だから分からせられなくても良いと思う。そりゃあ、分かってもらえたらいいとは思うけど。」

「ただし、大学の学部レベルや大学院レベルになると、ちゃんと物理を分からせなければならない。ちゃんと物理を理解していないやつが橋を作って、それが落っこちるなんてことがあってはならないからね。」


なるほど、と思った。

実践が伴うものと、そうでないものでは、教える側も教わる側も、意識の程度が違ってくるのは当たり前だろう。

「分からせる」というのは、とどのつまり、教師のエゴだとは思う。だけど、それくらいの真剣さを持って指導する気持ちは忘れてはならないとも思うのだ。

「成長させる」もそうだ。
どんなに英語が苦手だという人を相手にしても、「絶対できるようにさせるぞ!」という意気込みは、程度の問題はあれども、必要なんだと思う。