~俺もないけど心配するな~ -20ページ目

~俺もないけど心配するな~

デュープラー英語学院の代表、hisasueの気ままなブログ

最近、メディアの報道などで、「○○率が、昨年の55パーセントより7ポイント上昇し、今年は62パーセントとなりました。」のような表現を耳にするようになった。

この「7ポイント」の部分を「7パーセント」としてしまうと明らかな誤りとなるのは分かるが、だからといって、どうして「ポイント」という言葉が使われるのか、どうにも解せない。

私は「ポイント」という表現をこのような場合に使うということを、小学校でも中学校でも高校でも習った記憶がない。

おそらく、ここ数年で「自然」と使われるようになった表現ではないだろうか?(学校の教員の方がいらしたら教えてほしい。)

ちなみに、英語では、上の例文は次のように表現される。

The ** rate last year was 55 percent, but it increased by 7 percentage points, and it is 62 percent this year.

このように、日本語で言う「ポイント」は、英語では「percentage point」というように表現されるのだ。

で、「percentage point」という言葉を辞書などで確認すると、日本語では、正式には「パーセントポイント」と言うらしい。

これまた、私には腑に落ちないところだ。

「percent」を「パーセント」という日本語に置き換えるのは分かる。

しかし「percentage」を「パーセント」という日本語に置き換えるのはいかがなものだろうか。

「percent」は、元々は「per cent」であり、つまりは「100に分けたうちの~個」という意味だ。

例えば、「10 percent of the people」は、「その人々を100グループに分けたうちの10個」ということになる。

しかし、「percentage」は、「100に分けた場合の割合」のことであり、「10 percentage」のようには決して表現されない。

"What is the percentage?" "It is 10 percent."

このような会話が成り立つのである。

間違っても、"What is the percent?" "It is 10 percentage."とはならない、ということだ。

「percentage」を日本語にするならば、そのまま「パーセンテージ」とするか、「百分率で示した場合の数値」とすべきである。

ところが、「percentage point」は、日本語では「パーセントポイント」というようになっており、これが日本語の正式な表現として認められているというのだ。

つまり、「percentage point」は、日本語では一般に「ポイント」と表現されるが、これは本来は「パーセントポイント」と表現すべきだ、ということになってしまう。

でも、そうではない。

「percentage point」は、「パーセントポイント」とすべきではない。

「percentage point」は、「パーセンテージポイント」と表現するべきだ。

ましてや、これを省略して「ポイント」と表現するなんて、横着にもほどがある、と個人的には思う。

気象予報の表現でも、昔は「ミリバール」と呼ばれていたものが、今は「ヘクトパスカル」になっている。こんなみょうちくりんな表現だって、国際標準に合わせて、という理由で使われるようになってしまえば定着していくのだから、「ポイント」だって「パーセンテージポイント」とそのまま言っても良いのではないか。

すると、冒頭の例文は、次のようになる。

「○○率が、昨年の55パーセントより7パーセンテージポイント上昇し、今年は62パーセントとなりました。」

パーセントもポイントも、元々は「英語」なのだから、元々の英語の「意味」を尊重すべきだと思う。
もしくは、英語を使わずに、堂々と日本語で表現し、

「○○率が、昨年の5割5分より、百分率数値で7上昇し、今年は6割2分となりました。」

とすれば良いのではないか?

日本人よ、好き勝手に、テキトーに英語表現を日本語風にアレンジしないでくれ!
ホントに、こういうことの真相を調べなくてはならない方の身にもなってくれ!


以上、英語教師の嘆きでした。


ども、お久しぶり!(軽い切り口)

既にご存じの方もいらっしゃることだろうが、私の英語教室、デュープラー英語学院 が、今年の10月1日で開校10周年を迎える。

やった~!
パチパチ~!

2001年10月1日から初めて、丸10年が経つ。

丸10年。

まるじゅうねん、ですって!

すごいよね。歴史を感じちゃうよね。(自分で言うな)


思うに、私は今まで、これほど長い期間、何かを継続できたことはなかった。

新卒で入った先物取引の会社は半年で辞めちゃうし(これは辞めて良かったけど)、

その後でバイトでやった配膳の仕事も半年で辞めちゃうし、

その後に入った英語塾の会社も、8ヵ月で社長と喧嘩して辞めちゃうし、

その後に入った出版社も、まあ、これは3年以上は続いたけど、結局辞めちゃったし。


1つのことをこんなにも続けられないヤツが、よくも「10周年」などという、結構自慢できちゃうような記録を達成したもんだ。

我ながら、自分で自分を褒めたくなるぞ!
うん、よくがんばった! あっぱれだぞ!


それで、10周年に間に合うように、これまで「文法書」の改訂版を作成してきた。

この作成に取りかかったのは、たぶん、2007年頃だったと思う。

つまり、作成にたっぷり4年の歳月を費やしたのだ。

・・・

・・・

・・・長かった。

まあ、途中、国際会議の仕事が2個も入って、文法書どころじゃなくなって(おい!)、想像以上に時間がかかってしまったのだ。

それが、先週、ようやく完成し、印刷所へ入稿した。
今は、ただ納品を待つのみ!

この文法書は、ふっふっふ、自分で言うのもなんだけど、結構な力作だ。

あ~、早く完成品を見たいな、楽しみだな。

何しろ、10周年に間に合って良かった、良かった。


~・~・~・~・~・~

今朝、私の英語教室のビルオーナーから電話がかかってきた。

この時、私はまだ自宅にいた。


オーナー: あの、今日は教室開けますか?

私: はい、夕方には開けます。

オーナー: 実は、hisasue さん(私のこと)にテナントに入って頂いて、10周年ですよね?

私: はい、そうですけど。

オーナー: お祝いにと思って、お花を買ってきましたので、入り口のところに置いておきますね。

私: !!! え~っ! あ、はい、ありがとうございます!!



思えば、このオーナーがいなければ、今の私の教室もないことになる。

当時28歳の私は、出版社を辞め、自力で英語教室を立ち上げようと、あちこちの不動産を歩いて回った。

松戸駅周辺の不動産をいくつも回りながら、28歳の小僧が脱サラして事業を立ち上げようなんて、「そんなの無理でしょ、長続きしないでしょ」という目で見られても仕方がなかった。

どこの不動産屋も、まともに物件を紹介してくれなかった。

ところが、松戸駅前にある有田商店 さんは別だった。

このご主人が、本当に気持ちの良い方で、28歳の私にも真摯に対応して下さった。

それで紹介されたのが、今のビルオーナーだ。

このオーナーも同じく気持ちの良い方で、以来、本当にお世話になっている。


もう、あれから10年も経つのか…。

色々あったな。

最初は、思うように生徒が集まらなくて、本当に不安だらけの日々だった。

もちろん、今だって不安だらけなのは変わらない。

だけど、少なくとも、10年も続けることができたのだ。

これも全て、有田商店さんやオーナーさん、それから、教室立ち上げ時に色々とご支援下さった知人・友人の皆さんのおかげだ。

さらに、最もお礼を言うべきは、私の未熟で、やたら厳しい授業に耐えて下さった数々の「生徒」の皆さんだ。

中には、私の理不尽なくらい厳しい授業に耐えかねて途中で辞めてしまった人もいる。

そういう方々には、本当に申し訳ないことをしたと思う。

10周年を迎える今、あの10年前の頃の気持ちに戻って、心機一転、やり直すくらいの覚悟を持とう。

そして、もう少し、優しい教師になりたいなっと。



新しい文法書のタイトルは「読んでつながる英文法」だ。

納品予定は9月14日頃だが、すでに本校のウェブサイトでは販売受付を開始している。

次は、オリジナル「文法問題集」と「物語テキスト」を作成するぞ!


次の「20周年」まで、引き続き頑張ろう!

皆さん、引き続き応援よろしくお願いします!






<前回の続き>


南三陸町の歌津中学校体育館では、「物資の配給」が行われている。

私とK氏は、ボランティアとして、その物資の仕分け作業の仕事を割り当てられた。

午前中は、特に混み合うこともなく、淡々と時間が過ぎていった。


正午になり、各自持参した昼食をとることになった。

しかし、そこは「物資」が豊富に置かれている作業所である。

中には、賞味期限の切れたカップ麺などがかなり残っていた。

徳島県から派遣された県職員の役人さんが、「賞味期限が切れていてよければ、ここにあるカップ麺を食べて下さい」と言って下さった。

しかも、既にやかんにお湯が沸いている。

そういうことなら、と私は自分が持参したウィダーインゼリーやカロリーメイトと交換に、そこにあった「わかめラーメン」を1つ頂いた。

賞味期限といっても、ほんの数日前なので、全く問題はない。

私はそういうことはあまり気にしない質だ。

~・~・~・~・~・~

しかし、それにしても、仕事内容があまりにも手持ちぶさたすぎる。

安全靴もゴム手袋も不要。

防塵マスクもカッパ上下も不要。

私は絶対に無理はしないと心に誓って来たものの、少しくらいは無理をしてしまうだろうと覚悟もして来たのだ。

話を聞いてみると、南三陸町災害ボランティアセンターにボランティアが集まるのが午前9時なのだが、この歌津中学校の体育館に物資を運ぶトラックが到着するのが午前8時半頃なのだという。

つまり、物資の搬入の時点では、ボランティアスタッフが5人いても手が足りないほどなのだ。

ところが、ボランティアセンターから人が派遣されてくるのは9時以降なので、10時から始まる「物資の支給」だけでは、ボランティアスタッフにやってもらう仕事がほとんど残っていない、という状況らしい。

う~ん、この状況は、このままで良いのだろうか?

もちろん、ボランティアに来る人たちは、私もそうだが、誰もが「何でもやります」の精神で足を運んでくるわけだ。

ただ、誰にどんな仕事を割り振るか、またどんな段取りで仕事をするかは、すべて現地のスタッフの指示に従うべきなので、希望通りの仕事をさせてもらえる保証はないし、それはそれで、そういうものだと思う。

しかし、もし、10時以降は、物資仕分けの仕事にはそれほど人数が必要ないのだとしたら、その分、午後からは何人かをがれき撤去などの仕事に回すこともできるのではないか。

南三陸町に入ってから歌津中学校に来るまでの間に抜けてきた道の光景を見る限り、がれき撤去だけでも、相当な人員が必要だろうということは明らかだ。

とは言え、物資仕分けの仕事も重要だ。

日によっては、もっと多くの人が、もっと高い頻度で、もっと多くの物資を求めてやってくるのだろう。

そうなると、5人が適切な人数かもしれない。

仕分け場からボランティアセンターに「何人」のボランティアを派遣して欲しいか、前日の夕方に希望を伝えるらしいが、その時点で翌日の仕事量が読めないのだろう。

私を含んだ4人のボランティアスタッフは、昼食をとりながら、皆同じ気持ちであることを話し合った。

しかし結局は、その日の午後も、午前と同じようなペースで時間が流れて行った。

~・~・~・~・~・~

午後3時になり、私達は業務を終了した。

徳島県の県職員の役人さんと、地元の給食センターからお手伝いに来ている女性の方に挨拶をし、私とK氏は車に乗って南三陸町災害ボランティアセンターに戻った。

朝と同じテントで終了報告書に記入し、これでボランティア活動は終了。

帰りの車を発進させた時、K氏が「なんか、物足りなかったですね」と言った。

私も同感だった。

しかし私はこう返事した。

「だけど、もし我々が今日来ていなかったら、今日がれき撤去の作業に回っていた人のうち、2人が物資仕分けに回されていたはずだよ。」

「だから、我々2人がここまでボランティアに来たことは、結局は、その分、がれき撤去も進んだってことだよ。」

私はK氏にこのように話しながら、自分自身もそれで納得することに決めた。

ボランティアの中には、被災地で何かの役に立ちたいと願って張り切ってボランティアに来たものの、あまり大きな仕事が割り当てられず、物足りなさを感じて帰って行った人が結構いるという話を耳にしたことがある。

これからボランティアに行こうという人は、こうした様々な状況を受け入れる覚悟をして行くと良い。

~・~・~・~・~・~

この日、南三陸町を出発したのは午後4時過ぎ。

私の住む千葉県松戸市に到着したのが午後10時過ぎ。

途中、およそ1.5時間毎に休憩をとりながら、結構飛ばして帰って来た。

松戸市内のサイゼリアで遅い晩ご飯を食べ、K氏は松戸駅から電車で帰った。


その後、一人で車を運転していると、なんとなく、平和な松戸市内が、いつもと違う風景に見えた気がした。

南三陸町も、他の被災地も、まだまだ不便な生活環境が残っている。

最近では、節電とか、なでしこジャパンとか、別のニュースに気を取られて被災地のニュースが減ってしまっている感があるが、私達は、今も支援物資を求めて暑い中体育館まで足を運んでいる人たちが被災地にはたくさんいることを忘れてはならない。


帰りの車の中で、私は、また近いうちに行こう、と思った。

今度は破傷風の予防接種もして、もう少し、日程にも余裕をもって。

今度こそ、汗だくになって、数日後の筋肉痛も覚悟して(笑)。


<終わり>