昨日2月15日は、お釈迦様がお亡くなりになった日、涅槃会でしたが、大蓮寺の梅花講員さんの都合で、いつも梅花講を開いている金曜日にと、今日一日遅れの涅槃会をしました。

 

今日は梅花講員さん全員が(と言っても7人ですが)参加して涅槃会をしました。住職と寺族2人、合計10名の法要です。

 

毎年のことですが、この日が来るともう春も近いなあと思います。国道を走っていても、お庭の梅の花がどのおうちもきれいに咲いています。曹洞宗の宗祖道元禅師がことのほか梅の花を愛されたようで、ご詠歌も梅花流と名前が付けられています。

 

涅槃図も本堂にかけられました。

今日この図を見ていて、私はお釈迦様の亡くなり方について、認識を新たにしました。高齢者が多い現代日本では、高齢者の生き方とか死に方などの本がたくさん出ています。

 

生まれるときは、どうやって生まれたのか自分では覚えていないし、コントロールしようがありません。でも、死に方はある程度それができます。

 

お釈迦様は死の間際まで布教に勤められました。ご自分の仕事を全うされたのです。80歳になってクシナ川のほとりでご病気で倒れられ、そのまま亡くなられました。死の直前まで布教をして、お弟子さんやさまざまな動物たちに囲まれて亡くなるのですが、最後に残された言葉「法灯明、自灯明」も、仏教のエッセンスのような言葉です。なんと見事な往生でしょうか。

 

昨日は暖かすぎる気温ながら雨が降りました。今日は晴れましたが、風が少し強いです。こうして少しずつ季節が進むのですが、気温が上がったり下がったり、おまけに花粉まで飛んできて世の中大変ですね。今日来る予定のピアノ教室の生徒さんから、熱が出たので休みますという知らせが来ました。毎週誰かがお熱か体調不良で休んでいます。親御さんも大変ですね。

 

 

数日間、割と寒い日が続きましたが、今日は朝から風もなくほっこりと暖かい日です。お日様も春らしく明るく輝いているように思います。

 

今日はお雛様を出しました。毎年このころに出すのですが、毎年同じように思うことは、出すときはまだ寒いけど、終うときは何となく空気が暖かくなっているなあということです。

 

季節の飾り物として、お雛様は心を和ませるものですね。玄関先が、ぽっと春色になったようです。

 

壁にかけてある日本画は,「能びな」という題がついていて、私の実母がかつて習っていた謡の先生の作品で、松阪市にお住まいだった二井栄逸先生の手によるものです。この先生の日本画はかなり有名で、いつかは志摩観光ホテルの廊下に飾ってあったのも見ました。

 

二井先生は、もうお亡くなりになっていますが、生まれつき足が不自由で、その親御さんが座ったままでもできる仕事をと、謡と日本画を学ばせたということです。しかし能ができないのは何とも残念だったことでしょう。

 

さて今日は、寺で暮らす私のちょっとイラっとした話を一つ。

電話がかかってきたので、

「はい、大蓮寺です」と言いました。

「もしもし、○○ですが、住職さんおられますか?」

「今日は出かけております」

「じゃあまたあとでかけなおします」

「もしもし、どんなご用件でしょうか?住職に聞いておきますが」

「法事の申し込みです」

「それでしたら、私がお受けしますが」

「え?そうなんですか」

 

そのあと、今年あたっている年忌の申し込みがあり、私は年回忌帳で確認して、予定表に書き入れました。

 

こういう感じで、住職がいないとわかると内容も言わずに電話を切りかかる檀家さんが全体の3割ぐらいいます。その人たちにとって、私は留守番のおばさんか掃除のおばさんらしいです。

 

私はお経は唱えられないけど、大蓮寺の経理一般をすべてこなしているし、今年の年忌のお知らせはがきを毎年100枚ぐらい書いて出しているし、年度末にはその年の事業報告、会議の事項書などもすべてパソコンで管理して作成しています。

 

まあ、朝からいらついても仕方ないですね。

お雛様が運んできた春の日を、楽しい気持ちで味わいたいですね。

今日2月4日は立春です。昨日は節分ということで、恵方巻を檀家さんの経営する料理旅館で買い、住職は豆まきをしました。

 

恵方巻を食べる習慣はいつごろからなのか、詳しいことはわかりませんが、変わった習慣があるものだと最初は冷ややかに?見ていましたが、いつの間にか世間の人が食べるようになり、私も流行に乗りました。今になって思うことは、この日は夕食の献立を考えなくてもいい日という主婦にとってはありがたい日となっています。

 

例年より遅いのですが、スイセンがたくさん咲いてきました。1月半ばごろの大般若の時には、いつもは咲いていましたが、今年はそのころにはほとんどありませんでした。雨が少なかったのかなと思います。

住職は花弁が八重のもの、香りがいいものなど、何種類かのスイセンを植えています。沈丁花のつぼみも少し見えてきました。

 

去年の夏が、あまりにも暑かったので、ストーブの前でほっこりできる冬が早く来てほしいと思ったものですが、でも春の兆しが見えるとうれしいものですね。人間って勝手なものです。

 

前にも書きましたが私は去年の9月に名古屋テアトロ合唱団に入って歌っています。イタリアオペラ専門の合唱団で、7月7日に東海市芸術劇場大ホールで「椿姫」を公演します。

 

月に2回、日曜日の午前中に名古屋の金山で練習があり、土曜日から一泊で通っています。だんだん本番が近づくと、土曜日にも練習があります。

 

日曜日は法事が入ることが多く、留守にしにくいのですが、息子(副住職)が、頼むと留守番に来てくれます。息子にしても寺のことで住職と会話する機会が多くなり、いいことだと思います。

 

はじめは住職は、隔週ながら土日に出掛けることにあまりいい顔をしていませんでしたが、私がこの上なく楽しそうに椿姫のあらすじを話したり、ヴェルディの音楽が素晴らしい話をすると、だんだんその気になってきたようで、7月7日には息子夫婦と一緒に見に来てくれることになりました。何より、私がちょっとした空き時間でも、譜読みと暗譜の練習をするのを見て、感化されたのかと思います。

 

この年になって、こんなに心が熱くなるのは、予想外でした。ヴェルディの音楽は、アリアはもちろん、つなぎのセリフの部分も本当に美しいメロディに溢れています。

 

それにこの時代(19世紀前半の混乱期、パリが舞台)の西洋の人たちの考え方、生活などよくわかって、世界史を学びなおしているようです。日本では江戸時代の後期、後ろ盾がない女性でも本人さえしっかりしていれば、お店に奉公に上がる、仕立物をするなど自活の道はありました。

 

しかしこの時代の西洋は、女性の地位が低く、自活の道がほとんどなかったようです。いい家に生まれていい家にお嫁に生ければ問題なしですが、そうではない人は、若くてきれいな人ならパトロンを探すなど、裏の人生しかなかったようです。

 

今でこそバレリーナは芸術家として認められますが、当時はほとんどがお金持ちの男性の愛人だったらしいです。椿姫のヴィオレッタもそうした一人で、パトロンにお金を出してもらって高級娼婦として飲めや歌えの生活でした。この話にはモデルになった人がいて、23歳で結核で亡くなっています。

 

誰も悪い人はいないけれど、皆精いっぱい生きているけど、最後はヴィオレッタの死という悲劇で幕を閉じるのです。CDで何度も同じ歌を聴いているのですが、時には感情移入してウルウルっと来ることもしばしばです。でもこの年になってこんなに音楽にどっぷりつかる生活ができなんて、本当に幸せです。