インドネシア
日本に来る留学生や研修生の気持ちを知るには、自分が外国で生活した経験が不可欠だと思う。特に、現地のことばに自信がない場合、とても心細い。私は語学が好きで、専門でもあったが、インドネシア語は渡航前に初級をやっとマスターしたレベル。
それでも、日本ではインドネシア人の先生に習っていて簡単な会話はできるようになっていたので、何とか通じるだろうと高を括っていた。
しかし… 甘かった!
家には運転手と夜警、ふたりのお手伝いさんがいたが、言っていることが全然わからない。こちらの言うこともわかってもらえているのかどうか掴めない。生来のいい加減さで、ま、そのうち何とかなるさ、と。
ことばを鍛えた場所は「青空市場」
メダンはインドネシア第3の都市だが、当時は実にのどかなところだった。商店の並んだ通りを抜けると、もう何もない。スーパーマーケットもなかった。買い物は全て市場だ。始めはお手伝いさんについてきてもらって、買い方を見た。野菜、肉、豆腐、魚。種類毎に文字通りお店を開いている。ほとんどが小さなパラソルの下だ。
値札などない。
「トマトいくら?」
「1キロ700ルピア」
「高いわねえ。600ルピアでどう?」
「だめだめ。650ルピアなら」
「OK」
簡単に言うとこんな感じだが、実は簡単じゃない。数字が大きいからだ。トマトはまだいい。エビや肉など、4桁以上になると、数字の聴き取りの難しさは半端じゃない。書いてもらえば簡単だが、悔しい。わからないと思われれば足下見られる。毎日修行をして、とても力がついた。
たいていの日本人はこういうことにあまり楽しさを感じないらしく、諦めて買い物をお手伝いさんにお任せする。もったいないことだ。
日本ではいつもスーパーで買い物をしていた私は、始め思った。どうせ決まった値段で落ち着くなら、どうしてこんなに面倒な会話をするのだろう、と。しかし慣れてきてわかった。これは一種の挨拶なのだ。見ればわかるのに「今日は良い天気ですね」と日本人が挨拶するのと同じだ。もちろん、売り手は少しでも儲けを多くしようと思っているだろう。しかし、買い手が始めから3分の1に値切ったり、売り手が1文も妥協しなかったりしたら、人間関係は断絶して終わる。
後年ジャカルタに移り、買い物がスーパーになってしまった時の妙な寂しさは今も忘れられない。もうひとつの後遺症は、日本に戻ってきたとき、あらゆるものが異常に高く感じられてしまうことだ。トマトの前でしばし立ちすくみ、ルピアに換算する。「このトマト1コで向こうなら何十コ買える…」などと考えても仕方のないことを考えて、結局買えずに店を出てしまう。物価の安い国に住んだことのある人は皆経験していることだろう。
教えている留学生に、「外でどんどん日本語を使ってみましょうね」などと気軽に言うが、実は日常生活には話す場があまりない。値札があるのに「いくらですか」と聞く人はいないし、コンビニでは値切れないことなど誰でもわかる。普段、意識することはなくなっているが、一言も喋らなくても1日用が足りてしまう社会。何か寂しい。
馬
入るでしょうか。
体の大きな馬は目が優しい。おっとり。のんびり。
見ているだけでも癒されるけど、ぺたっと自分の顔を馬の体に
くっつけてみる。
心で会話ができるような気がしてくる。
時には、やんちゃ。乗り手が右へ行きたいのがわかっているくせに
腕のなさを見透かすように左へ行ってみたり。
時には怖がり。やや、前方に変なもの発見!? なに?なに?あれはなに?
いつもと違うものが見えたが最後、全神経がそちらへ。
大丈夫だよ。近所のおじいちゃんが孫連れてすてきな君を見つめてるだけ。
会員よりも馬の幸せを優先しているオーナーに (ご、ごめんなさい!)
惹かれて集まっている仲間とのおしゃべりも癒しの時間。
http://nakama.ameblo.jp/
留学生と
私は、ある日本語学校で留学生に日本語を教えている。
つい最近、半年のクラスが終わり、春休みに入った。
学生たちは4月から1年のクラスで勉強を続ける。
不法滞在などの問題で日本語学校が何かと目をつけられてしまうこともある
昨今だが、ちゃんとした学校の場合、留学生はとても真面目に一生懸命
日本語を勉強している!
教員も事務所スタッフも、とても熱意を持って留学生と関わっているのだ。
半年持っていたクラスの学生は、台湾7名、香港4名、あとは、韓国、タイ、マレーシア、中国、ペルーが1名ずつ。
「留学生」と一言でいっても、日本に来た目的や経緯はいろいろだ。
大学・大学院・専門学校に進学する人、日本語だけ勉強して帰国する人、
結婚して日本に住んでいる人、など。
今日は、最近あらためてびっくりしたことをひとつ。
クラスのお別れ会でゲームをやった。ゲーム係が用意してきた日本の曲を聴いてその曲名、歌手、テーマに使われたドラマやアニメの名前を当てる。
学生たちはほとんどが20歳前後で、我が子よりは上だが、自分よりはこどもの方が歳が近い。曲はどれもTVドラマで有名になったものばかりだが、私は「何となく聞いたことある…」のレベル。
それを学生たちは次々と嬉しそうに曲を当てるのだ。まるで今の「オバサマ」たちが冬ソナの曲を聴いたときのような表情。「きゃー」とか「わー」とかウットリしながら。
「先生、全然わからないんですね(^_^;)」と同じチームの学生からの冷たい視線…
何とよく知っていることよ。びっくり。
半年の授業の中ではわからなかった一面。
言われてはいるが、主にアジアの若者が日本の文化(といっても歌舞伎や茶道ではなく、アニメやポップス)に強烈な憧れを持って接していることを実感した。
どうして日本に来たの?--専門学校や大学に入りたい。そう答える彼女たち、もちろん目的だけど、奥底にあるのは日本の若者文化への憧れであり、その近くにいたい、という気持ちなのだ。
留学生を取り上げた最近の朝日新聞の特集にも書いてあったけれど、日本に対して漠然とした好意や憧れを持っている多くの外国人を日本は大切にしなければ、後年、手痛い仕打ちを受けるだろう。
ごく一部の犯罪が大きく取り上げられることで、外国人みんなを白い目で見ることがないように、メディアと私たちひとりひとりが気をつけないと。
ちょっと堅い終わり方になってしまった。
スタート
仕事では、国や文化の違う人と関わることがテーマです。
国際交流に関することの他、趣味や興味のことなど、思いつくままに
書いていこうと思います。