番外編前回は→番外編その⑩
渡辺 真也さん
ベルリン工科経済大学講師。ユーラシア研究を続ける為、ベルリン有料ガイドをしている方だそうです
という方のツイートが凄くわかり易かったのでお借りします→引用先こちら
【ツイート内容】
アケメネス朝ペルシャを滅ぼしたアレキサンダー大王が、スサの王として君臨したのであれば、アレキサンダー大王の東方遠征のプロットが古事記に現れ、さらに讖緯説を取り入れてて辛酉の年に当たる601年とシュメール系エラムの滅亡647BCとを約1260年で重ね合わせた点は、合点が行く
~以上~
【あの有名な竹内文章にも書かれて居ます】
竹内睦秦氏によると、シュメールの最大の都の名は「スサ」と呼ばれ、その「スサ」の王をスサノオと呼んだ。
スサノオは政治軍事を司る王として君臨し、後にこの政治・軍事グループは出雲族となる。
~以上~
後はヤタガラスの流れを見てもそれはわかりますよね?
【蘇民将来と八咫烏】
下鴨神社の祭神タケツノミです。
タケツノミの祖はスサノオ。
スサノオを祀る八坂神社の祇園祭や、下鴨・上賀茂の葵祭を大々的に行なっている。
秦氏自体がこちらの方面から日本に来ていますからね。
つまりは、蘇民将来(スサノオ)=スサの王という事でしょうね
~以上~
【シュメールの実体】
さて、シュメールでスサという都市ははたして実際にあったのだろうか?
シュメールに隣接した所、メソポタミアの東に昔エラム帝国があった。
エラム(Elam)は古代オリエントで栄えた国家、または地方の名。紀元前4000年紀半ばから紀元前6世紀までの間、複数の古代世界の列強国を出現させた。
そのエラム帝国の代表的な都が[[アンシャン]]と[[スサ]]である。
そしてエラムの王は[[アンシャンとスサの王]]と称したそうだ。だから、竹内文献のスサの王、スサノオは実在したことになり、史実と正当武内文献とが符合しているんです。
日本から見ればシュメールの地も隣接するエラムも区別できないだろうからである。
上記のツイートや、竹内文章を踏まえて比定していくと・・・・
日本のスサノオとシュメールのスサの王(アレキサンダー大王)の物語は以下の様に考えられる事になるでしょう。
【スサノオ=アレキサンダー大王だとしたら?】
騎馬民族征服王朝説=アレキサンダー大王東方征服
スサノオ(出雲族)が、スサの王アレキサンダー大王(大和族)によって
征服された勝者側の歴史=神武天皇東方征服と繋がりました。
アレキサンダー大王東征と、神武天皇東征の共通点を見てみると・・
【カラスという共通項】
●アレキサンダー大王が、ファラオに即位する為に
アモン神殿に向かう途中、道に迷いますが
カラスの導きで無事辿り着き即位します
●神武天皇も同じく、カラスの導きで畿内に上陸して
後に初代天皇に即位しています(カラス=ヤタガラス)
【戦いの前の変装とお酒】
●神武天皇が大和の宇陀にやってきた時、敵地の土で
御神酒を入れる瓶を作って神々を祀れば、敵が降伏するという夢を見ます。
これに従い、部下に変装させ、敵地から土をもってこさせ
御神酒の瓶を作ったところ、見事、敵を倒す事に成功。
●アレキサンダー大王がペルシャとの戦いの前日アレキサンダー大王が同様の夢を見
お告げ通り大王は変装して敵地に潜入し、こっそり酒杯を盗んできます。
これによってアレキサンダー大王はペルシャ軍を撃破することに成功。
~以上~
上に書いたものはほんの一例にしか過ぎず・・・・
この様に日本神話の謎解きをしていくと
神話の登場人物のほとんどが繋がっていくようです。
さて・・・この様に一般で思われている以上に日本とシュメールは非常に繋がりが有るのですが、この事はまだまだネタが有りますが・・・・・
実はあの方もシュメール出身である可能性が高いのです・・・・
日本人誰もが知る有名人のあの方とは・・・・・?
それは一体誰だ!?ときっと皆様思ったに違い有りませんが、それは後回しにするとしまして・・・・
次回のテーマは
『見つかったのに、暫くするとなかった事になってしまう不思議なアークの謎』
にたかちほが答えます。
どうしてか?実はその答えが明言されている記述があの有名書物にあるんですよ(*^^)v
続きは→番外編その⑫