刑事弁護人の憂鬱 -5ページ目

刑事弁護人の憂鬱

日々負われる弁護士業務の備忘録、独自の見解、裁判外の弁護活動の実情、つぶやきエトセトラ

刑事政策の基礎 「国選弁護制度その3」

 

(3)平成24年(2012年)から平成28年(2016年)までの被疑者国選及び被告人国選の割合の推移

(司法統計に基づき作成された法テラス白書平成25年版から平成28年版より抜粋)

http://www.houterasu.or.jp/houterasu_gaiyou/kankoubutsu/hakusho.html

 

 

 

 

 

被疑者国選は、平成2483.9パーセントから平成2884.80パーセントと微増し、被告人国選は、地裁で平成2485.60パーセントから平成2884.80パーセント、簡裁では平成2495.30パーセントから94.2パーセントとともに微減している。もっとも、被疑者国選も被告人国選も8割を超える状況が維持されている。

 

(4)私選弁護の原則の建前と国選弁護の原則の現実

国選弁護は、被疑者・被告人が貧困等経済的事情から私選弁護を依頼できない場合に国が弁護士費用を立て替えて、裁判所・裁判官・裁判長が弁護人を選任する制度である。したがって、収入、資産など資力の調査(本人ないし弁護人予定者の申告)をした上で選任が決定される。私選弁護人をまかなえる資力がある場合は、国選弁護人が選任されないことになるので、弁護人依頼は私選弁護を原則とするのが本来刑事手続きの建前といえる。

しかし、統計資料からいえることは、日本の刑事司法システムにおいて、刑事弁護人がつく事件において、私選弁護より国選弁護の割合が8割を超える運用がなされているということである。

統計の背後の社会経済情勢をみると、1960年代の高度成長期から1978年頃までは、国選弁護よりむしろ私選弁護の割合が若干上回る。その後は、国選弁護の割合の上昇傾向が続く。1986年から1991年頃までのバブル景気時は、5%弱ほど私選弁護の割合が伸びるが、バブル経済崩壊後の1992年以降は、私選弁護の割合の減少と国選弁護の割合の増大が進んでいく。そして、2008年のリーマンショック以降、私選弁護と国選弁護の比率は、後者の拡大がより顕著化していく。さらに2012年から2016年に国選弁護の比率が微減していること、すなわち私選弁護の比率が微増していることは、金融緩和政策等の社会経済政策の緩やかな景気上昇の傾向と連動しているといえるかもしれない。とはいえ、国選弁護の比率が8割を超える高止まり傾向は、ここ10年近く維持されており、国選弁護の原則の現実が固定化されていることも見逃してはならない。

 

以上からは、社会経済的な景気と個々人の私選弁護をまかなえる経済的事情が基本的に連動していると評価できよう※。

 

※その他のファクター

 国選弁護8割の原則を支えるその他のファクターとして考えられるのは、①当番弁護制度、被疑者国選弁護制度の拡充という背景、②①を支える弁護士人口の増加(2001年以降の司法改革による弁護士増員政策のプラスの効果といえる。但し、後述するとおり、増員によるマイナスの効果もある。)などが指摘できる。③根本的な国選依存傾向の問題としては、身柄を拘束された刑事事件の被疑者・被告人は、経済的に恵まれない者が多いこと(社会的な貧困層や金銭に困っている者の割合が多い。古典的だが経済的理由が犯行の動機となるケースは少なくない。)、一定の経済的収入があっても、逮捕勾留により、職を失い収入が経たれることも珍しくないことも挙げることができる。しかし、逆をいえば、私選弁護費用の金額を下げれば、国選弁護への依存は回避できるともいえそうであるが、弁護費用の低廉化は、国選弁護費用の低廉の問題と同じ不都合をもたらすであろう。

 

 1990年代、弁護士の刑事事件離れということが指摘・批判されていた時期もあったが、ここ20年の国選弁護の拡大は、経済的理由から私選弁護人を依頼できない被疑者・被告人の弁護人依頼権を実質的保障という観点(これは憲法上の要請である)から、ある意味望ましいことである。他方、後述するとおり、国選弁護報酬の低廉さと手続きの煩雑さが、かえって国選弁護の質の低下(手抜き弁護)ないし刑事弁護離れをもたらす要因となっており(いわば、「やすかろう悪かろう弁護」)、国選弁護の信頼の低下と被疑者・被告人の弁護の充実達成の阻害となっている。

 

 

 

 

 

 

刑事政策の基礎 「国選弁護制度その2」   

                                               

3 日本の刑事司法システムにおける国選弁護制度の役割

 

(1)国選弁護の割合の推移について、まず、統計資料から眺めてみたい。

 

(2)昭和27年から平成23年までの被告人国選の割合の推移

 

内田博文編・歴史に学ぶ刑事訴訟法(2013年 法律文化社)・関連資料 刑事裁判統計M1表及び第17図より(最終更新2013年1月14日 司法統計等公的資料に基づく)

https://www.hou-bun.com/01main/ISBN978-4-589-03522-6/index.html

 

 

 

 

 

 

刑事裁判統計M1表からみると、昭和27年(1952年)の被告人国選弁護の割合は38.4で私選弁護のほうが若干多かったが、昭和29年(1954年)から昭和35年(1960年)まで国選弁護の割合は41.5パーセントから533パーセントに推移し、若干私選弁護より上回っていた。

ところが、昭和36年(1961年)から昭和53年(1978年)までは、国選弁護は42.0パーセントから49.9%と推移し、国選弁護より私選弁護の割合のほうが若干上回っていた時期が17年間つづいていた

もっとも、昭和54年(1979年)から平成23年(2011年)までは、国選弁護の割合が50.3パーセントから85.1パーセントと上昇の一途をたどった。

 

 

刑事政策の基礎 「国選弁護制度その1」

 

1 意義

国選弁護制度とは、「刑事事件で勾留された人(被疑者)や起訴された人(被告人)が、貧困等の理由で自ら弁護人を選任できない場合に、本人の請求又は法律の規定により、裁判所、裁判長又は裁判官が選任する制度」である(法テラス白書平成27年版81頁)。

 

2 被告人国選から被疑者国選への拡大

かつて(平成18年【2006年】以前)は、国選弁護は、起訴された被告人についてのみを対象としていた(憲法373項後段の文言を参照)。しかし、起訴前の捜査で事件が固められることを考えると、被告人の弁護人依頼権は被疑者段階までさかのぼって保障することが、弁護権の実効性をはかる上で重要であり、従前より立法論として被疑者国選の必要性は実務家や研究者から主張されていた(例えば、田宮裕・刑事訴訟法新版【1996年】35頁※)。 そこで、刑訴法改正により、平成18年【2006年】10月から、まず殺人・放火など重大事件に被疑者国選が導入され、さらに平成21年【2009年】5月から、窃盗、傷害など対象事件が拡大し、平成28年【2016年】改正により、全勾留事件に対象を拡大し、平成30年【2018年】6月までには実施される。※※

 

    ※当番弁護制度

  かつては、被告人国選弁護しかなかったため、被疑者段階での弁護の拡充について、日本弁護士会及び各単位弁護士会は、「当番弁護制度」を創設した。すなわち、1990年、大分県弁護士会、福岡県弁護士会が制度を創設し、1992年、全単位弁護士会が採用した(三井誠・刑事手続法(1)154頁)。これは、逮捕勾留により身柄が拘束された被疑者が、弁護士会に対し、弁護人の依頼を申入れし、当番弁護名簿に登録された弁護士が、予め指定された当番日に待機し、弁護士会を通じて被疑者の接見依頼を受け(初回は無料)、被疑者と接見し、依頼があれば私選弁護として受任する制度である。もちろん、貧困等により、弁護費用が工面できない被疑者の場合(このケースが大半である)、法律扶助による援助制度の利用が勧められた。(法律扶助事件の場合、起訴後は、国選に切り替えるため、一度私選弁護人を辞任し、裁判所に国選弁護人として、選任するよう上申書を提出していた。)

 被疑者国選の導入により、当番弁護の被疑者段階での国選弁護を補完する機能の意義はだいぶ薄れたが、それでもなお、独自の役割・機能を有するものとして、現在においても存続している。すなわち、被疑者国選では、被疑者の勾留決定時に国選弁護人が選任される制度となっているため、勾留前の逮捕段階では、被疑者に国選弁護人を選任することはできない。それゆえ、逮捕から検察官送致までの48時間の被疑者国選弁護の空白を埋めるため、当番弁護制度の活用がなされている。また、私選弁護人または国選弁護人のいる被疑者・被告人でも、弁護方針等の不一致等から、セカンドオピニオンとして、当番弁護を要請し、相談することにも利用される。但し、実務上の手続きの煩雑さについては、問題があり、後述する。                  

 

 ※※国選弁護拡充の歴史

  戦後の日本国憲法は、身柄拘束中の者に対する弁護人選任依頼権を保障し(憲法34条前段)、さらに刑事被告人に対する弁護人選任依頼権及び国選弁護を規定を設けた(憲法373項)。

戦前においては、1880年の治罪法2661項により、日本初の公判段階における被告人弁護制度が採用され、さらに1890年の明治刑訴法1791項がこれを継承し、大正刑訴法391項は、予審段階まで、つまり起訴後の被告人の弁護人選任を認めた。また一定の重罪事件について被告人に職権による弁護人を附すことを強制する官選弁護制度が治罪法378条に規定され、明治訴訟法179条の2・2372項・2643項等で範囲を拡大し、大正刑訴法もこれを継承した。

 このことから、身柄拘束中の被疑者段階での弁護人選任や、被告人の国選弁護を認める新憲法の規定は画期的であった(明治憲法には弁護権に関する規定はなかった。)。新憲法の趣旨を受け、刑訴法改正作業が進められたが、新憲法の施行に伴う刑訴応急措置法は、被疑者の弁護人の選任を身体の拘束を受けた場合に限った。しかし、1948年に制定された現行刑事訴訟法は、一歩進め、被疑者・被告人の身体拘束の有無にかかわらず、弁護人選任依頼権を認めた(刑訴法301項)。さらに弁護人選任権の告知規定(刑訴法203条、204条等)、被告人国選制度が設けられた(改正前刑訴法36条等)。(以上 三井・前掲148頁~152頁参照)。

 そもそも、被告人国選弁護に限定されたのは、立法当初、国で弁護人を附しなければならない程弁護人による弁護を必要とするのは、公訴提起後との理解だったようである(三井・前掲152頁。なお、刑訴法改正作業の中、勾留中の被疑者国選の提案もあった。)。しかし、現実に1948年以降、弁護士会による当番弁護制度の運用が始まったのは、1990年から1992年、被疑者国選制度が導入されたのが2006年であり、全勾留事件での導入が2018年であるから、被疑者段階の国選弁護制度の拡充が現実化するのに約70年かかっている。

 

 

(以下次回に続く)                                                  

3 日本の刑事司法システムにおける国選弁護制度の役割

4 国選弁護選任手続きの実務

5 国選弁護費用の問題点

6 結語