刑事政策の基礎 「国選弁護制度その1」
1 意義
国選弁護制度とは、「刑事事件で勾留された人(被疑者)や起訴された人(被告人)が、貧困等の理由で自ら弁護人を選任できない場合に、本人の請求又は法律の規定により、裁判所、裁判長又は裁判官が選任する制度」である(法テラス白書平成27年版81頁)。
2 被告人国選から被疑者国選への拡大
かつて(平成18年【2006年】以前)は、国選弁護は、起訴された被告人についてのみを対象としていた(憲法37条3項後段の文言を参照)。しかし、起訴前の捜査で事件が固められることを考えると、被告人の弁護人依頼権は被疑者段階までさかのぼって保障することが、弁護権の実効性をはかる上で重要であり、従前より立法論として被疑者国選の必要性は実務家や研究者から主張されていた(例えば、田宮裕・刑事訴訟法新版【1996年】35頁※)。 そこで、刑訴法改正により、平成18年【2006年】10月から、まず殺人・放火など重大事件に被疑者国選が導入され、さらに平成21年【2009年】5月から、窃盗、傷害など対象事件が拡大し、平成28年【2016年】改正により、全勾留事件に対象を拡大し、平成30年【2018年】6月までには実施される。※※
※当番弁護制度
かつては、被告人国選弁護しかなかったため、被疑者段階での弁護の拡充について、日本弁護士会及び各単位弁護士会は、「当番弁護制度」を創設した。すなわち、1990年、大分県弁護士会、福岡県弁護士会が制度を創設し、1992年、全単位弁護士会が採用した(三井誠・刑事手続法(1)154頁)。これは、逮捕勾留により身柄が拘束された被疑者が、弁護士会に対し、弁護人の依頼を申入れし、当番弁護名簿に登録された弁護士が、予め指定された当番日に待機し、弁護士会を通じて被疑者の接見依頼を受け(初回は無料)、被疑者と接見し、依頼があれば私選弁護として受任する制度である。もちろん、貧困等により、弁護費用が工面できない被疑者の場合(このケースが大半である)、法律扶助による援助制度の利用が勧められた。(法律扶助事件の場合、起訴後は、国選に切り替えるため、一度私選弁護人を辞任し、裁判所に国選弁護人として、選任するよう上申書を提出していた。)
被疑者国選の導入により、当番弁護の被疑者段階での国選弁護を補完する機能の意義はだいぶ薄れたが、それでもなお、独自の役割・機能を有するものとして、現在においても存続している。すなわち、被疑者国選では、被疑者の勾留決定時に国選弁護人が選任される制度となっているため、勾留前の逮捕段階では、被疑者に国選弁護人を選任することはできない。それゆえ、逮捕から検察官送致までの48時間の被疑者国選弁護の空白を埋めるため、当番弁護制度の活用がなされている。また、私選弁護人または国選弁護人のいる被疑者・被告人でも、弁護方針等の不一致等から、セカンドオピニオンとして、当番弁護を要請し、相談することにも利用される。但し、実務上の手続きの煩雑さについては、問題があり、後述する。
※※国選弁護拡充の歴史
戦後の日本国憲法は、身柄拘束中の者に対する弁護人選任依頼権を保障し(憲法34条前段)、さらに刑事被告人に対する弁護人選任依頼権及び国選弁護を規定を設けた(憲法37条3項)。
戦前においては、1880年の治罪法266条1項により、日本初の公判段階における被告人弁護制度が採用され、さらに1890年の明治刑訴法179条1項がこれを継承し、大正刑訴法39条1項は、予審段階まで、つまり起訴後の被告人の弁護人選任を認めた。また一定の重罪事件について被告人に職権による弁護人を附すことを強制する官選弁護制度が治罪法378条に規定され、明治訴訟法179条の2・237条2項・264条3項等で範囲を拡大し、大正刑訴法もこれを継承した。
このことから、身柄拘束中の被疑者段階での弁護人選任や、被告人の国選弁護を認める新憲法の規定は画期的であった(明治憲法には弁護権に関する規定はなかった。)。新憲法の趣旨を受け、刑訴法改正作業が進められたが、新憲法の施行に伴う刑訴応急措置法は、被疑者の弁護人の選任を身体の拘束を受けた場合に限った。しかし、1948年に制定された現行刑事訴訟法は、一歩進め、被疑者・被告人の身体拘束の有無にかかわらず、弁護人選任依頼権を認めた(刑訴法30条1項)。さらに弁護人選任権の告知規定(刑訴法203条、204条等)、被告人国選制度が設けられた(改正前刑訴法36条等)。(以上 三井・前掲148頁~152頁参照)。
そもそも、被告人国選弁護に限定されたのは、立法当初、国で弁護人を附しなければならない程弁護人による弁護を必要とするのは、公訴提起後との理解だったようである(三井・前掲152頁。なお、刑訴法改正作業の中、勾留中の被疑者国選の提案もあった。)。しかし、現実に1948年以降、弁護士会による当番弁護制度の運用が始まったのは、1990年から1992年、被疑者国選制度が導入されたのが2006年であり、全勾留事件での導入が2018年であるから、被疑者段階の国選弁護制度の拡充が現実化するのに約70年かかっている。
(以下次回に続く)
3 日本の刑事司法システムにおける国選弁護制度の役割
4 国選弁護選任手続きの実務
5 国選弁護費用の問題点
6 結語