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刑事弁護人の憂鬱

日々負われる弁護士業務の備忘録、独自の見解、裁判外の弁護活動の実情、つぶやきエトセトラ

 

 刑事手続きの基礎「別件逮捕勾留と余罪取り調べの限界」その1

 

 

 

1 問題の所在

 

 先日、取り調べの録画が証拠として殺人事件の控訴審が、商標法違反の別件逮捕勾留中の殺人事件の取り調べの自白調書を採用せず、状況証拠から有罪認定したニュースがあった。取り調べ録画ビデオを自白の信用性判断のための補助証拠として採用したが、自白調書ならぬ自白ビデオは、実質的には直接心証を形成し、補助証拠として用いても自白が強制的か自発的か二者択一の問題となり、自発的な虚偽自白かどうかの吟味が見落とされる危険を指摘した上で、訴訟手続きの法令違反があるという。

 

2018.8.3 15:46 産経新聞ニュース

 

https://www.sankei.com/affairs/news/180803/afr1808030021-n1.htm

 

これは、取り調べ録画ビデオの証拠法上の取り扱いについて興味深い論点であるが、前提としての別件逮捕勾留中の取り調べについても、任意捜査として社会通念上相当と認められる限度を超えており、違法として供述調書の証拠能力を否定している。

 

2018.8.3 15:14 産経新聞ニュース

 

https://www.sankei.com/affairs/news/180803/afr1808030019-n1.html

 

 

 

 すなわち、別件逮捕勾留中の取り調べを違法としており、久々の別件逮捕勾留と余罪取り調べ関係の新しい事例判断でもある。

 

 そこで、別件逮捕勾留と余罪取り調べの限界について、判例、実務、学説を整理し検討を試みたい。

 

 

 

 

 

2 別件逮捕勾留の意義とその違法性判断基準

 

 

 

  別件逮捕勾留とは、学説上、争いあるものの、最大公約数的には、「本件取り調べを目的とした別件による逮捕勾留」いう。典型的には軽微な別件の被疑事実(例えば、軽微な窃盗)で逮捕勾留し、証拠のそろっていない重い本件の被疑事実(例えば殺人罪)の自白を獲得するために取り調べを行うための逮捕勾留をいう。この場合、別件逮捕勾留自体の違法性をどう判断すべきかの問題として、後述するように別件基準説と本件基準説の対立がある。

 

これに対して、逮捕勾留した被疑事実(別件)以外の余罪(本件)を取り調べをすることができるかが余罪取り調べの限界といわれる問題であり、逮捕勾留が適法であることを前提に吟味される問題と従来理解されてきた。

 

しかし、両者の問題は、身柄拘束中の被疑者の取り調べの限界という視点からみると、実質的に別個独立の手続き上の問題ではなく、相互に密接に関連している。

 

 

 

 

 

ア  最高裁判例は、違法な「別件逮捕勾留」の判断基準を明確に示したものはない。すなわち、別件逮捕勾留は違法である旨、争われた事案につき、

 

「第一次逮捕・勾留は、その基礎となつた被疑事実について逮捕・勾留の理由と必要性があつたことは明らかである。そして、「別件」中の恐喝未遂と「本件」とは社会的事実として一連の密接な関連があり、「別件」の捜査として事件当時の被告人の行動状況について被告人を取調べることは、他面においては「本件」の捜査ともなるのであるから、第一次逮捕・勾留中に「別件」のみならず「本件」についても被告人を取調べているとしても、それは、専ら「本件」のためにする取調というべきではなく、「別件」について当然しなければならない取調をしたものにほかならない。それ故、第一次逮捕・勾留は、専ら、いまだ証拠の揃つていない「本件」について被告人を取調べる目的で、証拠の揃つている「別件」の逮捕・勾留に名を借り、その身柄の拘束を利用して、「本件」について逮捕・勾留して取調べるのと同様な効果を得ることをねらいとしたものである、とすることはできない。」(最決昭和52・8・9刑集31・5・821 狭山事件)と判示している。

 

 これは、①別件の逮捕勾留の理由と必要性はあること、②別件と本件は社会的事実として密接な関連があり、その本件取り調べは、専ら本件のためにする取り調べではないこと、③専ら、いまだ証拠の揃つていない「本件」について被告人を取調べる目的で、証拠の揃つている「別件」の逮捕・勾留に名を借り、その身柄の拘束を利用して、「本件」について逮捕・勾留して取調べるのと同様な効果を得ることをねらいとしたものではないこととするものである。※

 

 

 

※ 狭山事件判例の評価

 

 後述する本件基準説的な言い回しであるが結果的には別件逮捕勾留の違法性は否定している。別件基準説であれば、①のみ指摘すれば足りる。但し、①別件逮捕勾留の適法性【別件基準説】、②を余罪取り調べの限界論における適法性、③を弁護人の主張する事実に対する認定【回答】ととらえることもできなくはない。しかし、①+②=③という論理構成は、後述する取り調べ対応に着目する令状主義潜脱説的であり、本件基準説に親和的であるとの評価もある【田宮裕】。

 
 

犯罪各論の基礎「虚偽公文書作成罪と変造概念」

 

 

 

 (公文書偽造等)

 

刑法第155条 

 

1項「行使の目的で、公務所若しくは公務員の印章若しくは署名を使用して公務所若しくは公務員の作成すべき文書若しくは図画を偽造し、又は偽造した公務所若しくは公務員の印章若しくは署名を使用して公務所若しくは公務員の作成すべき文書若しくは図画を偽造した者は、一年以上十年以下の懲役に処する。」

 

2項「公務所又は公務員が押印し又は署名した文書又は図画を変造した者も、前項と同様とする。」

 

3項「前二項に規定するもののほか、公務所若しくは公務員の作成すべき文書若しくは図画を偽造し、又は公務所若しくは公務員が作成した文書若しくは図画を変造した者は、三年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。」

 

 

 

(虚偽公文書作成等)

 

刑法第156条 

 

公務員が、その職務に関し、行使の目的で、虚偽の文書若しくは図画を作成し、又は文書若しくは図画を変造したときは、印章又は署名の有無により区別して、前二条の例による。」

 

 

 

 刑法は、公文書に関して、その有印公文書偽造(1551項)、有印公文書変造(同条2項)、無印公文書偽造・変造(同条3項)といった有形偽造行為狭義の偽造 作成権限のない者が、作成名義を偽って文書を作成することないし名義人の人格の同一性を偽ること【判例・通説】。内容の真偽を問わない。)と有印・無印の虚偽文書作成(156条)といった無形偽造行為作成権限のある者が虚偽内容の文書を作成・変造すること)を処罰する。これに対して、私文書は、有形偽造の処罰が原則で有り、無形偽造は虚偽診断書作成しか処罰していない。公文書の高度な信用性を強く保護するため、有形偽造のみならず、無形偽造まで処罰する必要があるからである。

 

 

 

 報道によれば、今、話題になっている財務省の決済文書の改ざん事件に関し、「決裁文書から売却の経緯などが削除されたが、文書の趣旨は変わっておらず、特捜部は、告発状が出されている虚偽公文書作成などの容疑で刑事責任を問うことは困難」であり、大阪地検特捜部は立件を見送る方針だという(毎日新聞 2018413 https://mainichi.jp/articles/20180413/k00/00m/040/151000c)。

 

 本件においては、公文書の無形偽造が問題となるので、刑法156条の虚偽公文書作成罪の成否が問題となる。 報道内容をみる限り、改ざんによっても「文書の趣旨は変わっておらず」同罪が成立しないと大阪地検特捜部が判断したとも読める。

 

 

 

 ちょっと細かい解釈だが、有形偽造行為である公文書偽造・変造における偽造(最狭義)と 変造の区別については、以下のように解されている。

 

 すなわち、変造とは、「権限なしに、真正な他人名義の文書を変更を加えること」であるが、「本質的部分に変更を加えて別個にあらたな文書を作り出し、あるいは、すでに失効した文書に加工して、あらたな文書を作成するのは、変造ではなくて偽造」であるという(団藤重光・刑法綱要各論第三版285頁など通説。判例でもある。)。つまり、本質的な部分の変更があるかどうかが、偽造と変造を区別することということである。

 

 本件では、既に作成された決裁文書に対する一部削除という態様であるから、虚偽公文書変造が問題となりうるが、「趣旨が変わっていない」ということは、本質的部分に変更がないというのと同義であろう。

 

 しかしながら、虚偽公文書変造罪における変造は、公文書変造罪における変造とは意味を異にしていると解されている(団藤・前掲285頁注44)。すなわち、虚偽公文書変造罪における「変造」とは、単に「作成権限を有する者が既存の公文書に変更を加えて虚偽の内容のものにすること」であり(団藤・前掲286頁~287頁、295頁)、本質的部分の変更の有無は問われない。 仮に有形偽造の偽造変造と同義に考えたとしても、本質的部分の変更がなければ、むしろ「変造」に当たるといえる。

 

 よって、今回の報道が、改ざん行為によって「趣旨が変わっていない」から虚偽公文書変造罪に当たらないというのならば、それは「変造」について一定の限定解釈をとっているということである。

 

 もし、この限定解釈をとる場合は、趣旨を変える、つまり本質的部分の変更を加えることを虚偽公文書「変造」ととらえることになり、虚偽公文書「作成」という無形偽造行為ととの区別は、既存文書への加工か一から新しく文書を作るかという形式的な違いにしか求めることができなくなる(この点は、団藤説も同じかもしれないが。)。

 

 なお、本件について、麻生財務相が早い段階から主文は替わっていないと述べていたが、かかる限定解釈は財務省側の改ざん行為の正当化解釈でもあるのであろう。

 

 

 

 かかる限定解釈は、おそらく形式的な誤記訂正を除くためや公用文書毀棄罪※との区別のためと思われるが、そのような解釈を前提にしても、文面上、削除訂正の形跡がまったくわからない加工は、文書の意思表示・作成プロセスを意図的に不透明にすることであり、「新たな文書」の作出であって、趣旨の違う本質的部分の変更、虚偽公文書の「変造」に当たるという解釈が不可能とは思えない。むしろ公文書の高度な信頼を侵害するという意味では、悪質かつ巧妙である。主文は変わっていないからとって、理由やそれを基礎づけた重要な事実が変更されてよいわけでないであろう。

 

 

 

※公用文書毀棄罪と文書の実質的部分

 

 公正証書の原本に貼用された印紙を剥離することは、文書の実質的部分ではないが、公用文書毀棄にあたるというのが、判例である(大判明44・8・15録17・1488)。これは、文書の実質的部分の変更がある場合に毀棄罪が成立しないとか、文書偽造罪・虚偽公文書作成罪が成立するといっているものではない。もちろん、新たな証明力を生じさせる場合に文書偽造罪等の成立が問題となるが(西田典之・刑法各論第7版【橋爪隆補訂】302頁)、毀棄罪と文書偽造罪等の保護法益が違う以上、その成否は別々に考察され、行為が重なる場合は、罪数論上、観念的競合になるだけである。よって、公用文書毀棄罪との区別から虚偽公文書「変造」の概念を制限する合理的理由はないというべきである。

 

 

 

  もちろん、現実の裁判になれば、弁護側は争点化することは確実であり、安全をとって、見送るということも政策的にはありうるかもしれない(訴追裁量の問題)。

 

 なお、限定解釈をとり、虚偽公文書変造罪を否定しても、他罪の余地はあるか?公用文書毀棄罪について、当該公務員が削除権限が法律的にあるかどうかが問題となろう。削除権限があるとなるとその成立には疑問がでてくるが、削除権限=作成権限がないとなると、そもそも、翻って「公文書偽造・変造」が問題視されることになる(なお、虚偽公文書作成・変造罪は、職務権限を濫用した場合でも成立するとするのが判例通説である。団藤・前掲286頁)。

 

 

 

 いずれにせよ、従来、判例、学説上問題にしてこなかった領域であり、賛否両論でてくるのはやむを得ない。大阪地検特捜部の謙抑的な捜査・訴追か、それとも積極的な捜査・訴追か、世論を見据えながら、どう展開するかは今後予断を許さない。

 

 

「刑事政策的な分析の視点」

 

 最近、通勤電車の時間を利用して、所一彦「刑事政策の基礎理論」(1994年 大成出版社)を読む。

同書38頁は、次のように述べる。「犯罪は一定の人格が一定の環境に置かれたときに発生するとすれば、そのような人格をそのような環境に置かなければ犯罪は発生しない筈であり、したがって最も素朴には、そのような人格と環境とを引き離すことが対策として考えられる。これを『遮断』と呼ぼう。『遮断』は、人格の側の特殊な危険に着眼してその持主を囲い込む方法で行われることもあれば、環境の側の特殊な危険に着眼してその方を囲い込むこともある。前者を「隔離」、後者を「遮蔽」と呼ぶことにしよう。」

以降、同書は、具体例を述べ、さらに抑止、矯正・環境調整、健全育成などを「抗争処理学」の観点から展開していく。ここで着目したいのは、人格と環境の問題である。

 

 国選弁護制度をプラス面からだけでなくマイナス面からその特質を考察するには、国選弁護人の懲戒事例の分析が重要となる。そのマイナス事例が国選弁護人の人格=個人的特性に由来するのか、環境=国選弁護の手続き・報酬の低廉性など制度に由来するのかを考察することにより、国選弁護制度の病理現象の解明とその対策がみえてくるはずである。

 

 今日、図書館でみた後藤昭ほか編「実務体系 現代の刑事弁護 1 弁護人の役割」(2013年 第一法規株式会社)の第16章「刑事弁護と懲戒制度」(同書285頁以下)が示唆に富む。刑事弁護人の私選と国選弁護の専門弁護士の年齢層・経歴の分析を展開する第20章「刑事弁護の担い手」(同書349頁)は、まさに人格=個人的特性の面から分析していくものであり、興味深い。続けて第21章「弁護の質の保証」(同書365頁以下)は、さらに深めて刑事弁護の質の問題、率直に刑事弁護の技量・弁護人の能力の問題に切り込む。国選弁護制度の歴史と比較法と「あり方」を論じるのは、第22章「日本における国選弁護制度のあり方について」(同書383頁以下)は、最後に「『国選弁護は国家の義務』と考えるべき」という(同書396頁)。

 これらの論述は、実質的に刑事政策の観点からの国選弁護制度の考察に踏み込んでいるといえる。

 

 国選弁護人の懲戒事例のリサーチの対象としては、日弁連の毎月発行される会誌「自由と正義」、毎年発行される懲戒事例集が詳しい。単位弁護士会のまとめたものとしては、山梨県弁護士会の懲戒事例集が国選弁護を含む刑事弁護の懲戒事例の詳細な分析と分類を行っており、参考になる。

 まだまだ、参考文献はありそうであるが、重要なのは分析の視点であることを肝に銘じて考察していきたいと思う。