犯罪各論の基礎「虚偽公文書作成罪と変造概念」
(公文書偽造等)
刑法第155条
第1項「行使の目的で、公務所若しくは公務員の印章若しくは署名を使用して公務所若しくは公務員の作成すべき文書若しくは図画を偽造し、又は偽造した公務所若しくは公務員の印章若しくは署名を使用して公務所若しくは公務員の作成すべき文書若しくは図画を偽造した者は、一年以上十年以下の懲役に処する。」
第2項「公務所又は公務員が押印し又は署名した文書又は図画を変造した者も、前項と同様とする。」
第3項「前二項に規定するもののほか、公務所若しくは公務員の作成すべき文書若しくは図画を偽造し、又は公務所若しくは公務員が作成した文書若しくは図画を変造した者は、三年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。」
(虚偽公文書作成等)
刑法第156条
「公務員が、その職務に関し、行使の目的で、虚偽の文書若しくは図画を作成し、又は文書若しくは図画を変造したときは、印章又は署名の有無により区別して、前二条の例による。」
刑法は、公文書に関して、その有印公文書偽造(155条1項)、有印公文書変造(同条2項)、無印公文書偽造・変造(同条3項)といった有形偽造行為(狭義の偽造 作成権限のない者が、作成名義を偽って文書を作成することないし名義人の人格の同一性を偽ること【判例・通説】。内容の真偽を問わない。)と有印・無印の虚偽文書作成(156条)といった無形偽造行為(作成権限のある者が虚偽内容の文書を作成・変造すること)を処罰する。これに対して、私文書は、有形偽造の処罰が原則で有り、無形偽造は虚偽診断書作成しか処罰していない。公文書の高度な信用性を強く保護するため、有形偽造のみならず、無形偽造まで処罰する必要があるからである。
報道によれば、今、話題になっている財務省の決済文書の改ざん事件に関し、「決裁文書から売却の経緯などが削除されたが、文書の趣旨は変わっておらず、特捜部は、告発状が出されている虚偽公文書作成などの容疑で刑事責任を問うことは困難」であり、大阪地検特捜部は立件を見送る方針だという(毎日新聞
2018年4月13日
https://mainichi.jp/articles/20180413/k00/00m/040/151000c)。
本件においては、公文書の無形偽造が問題となるので、刑法156条の虚偽公文書作成罪の成否が問題となる。 報道内容をみる限り、改ざんによっても「文書の趣旨は変わっておらず」同罪が成立しないと大阪地検特捜部が判断したとも読める。
ちょっと細かい解釈だが、有形偽造行為である公文書偽造・変造における偽造(最狭義)と 変造の区別については、以下のように解されている。
すなわち、変造とは、「権限なしに、真正な他人名義の文書を変更を加えること」であるが、「本質的部分に変更を加えて別個にあらたな文書を作り出し、あるいは、すでに失効した文書に加工して、あらたな文書を作成するのは、変造ではなくて偽造」であるという(団藤重光・刑法綱要各論第三版285頁など通説。判例でもある。)。つまり、本質的な部分の変更があるかどうかが、偽造と変造を区別することということである。
本件では、既に作成された決裁文書に対する一部削除という態様であるから、虚偽公文書変造が問題となりうるが、「趣旨が変わっていない」ということは、本質的部分に変更がないというのと同義であろう。
しかしながら、虚偽公文書変造罪における変造は、公文書変造罪における変造とは意味を異にしていると解されている(団藤・前掲285頁注44)。すなわち、虚偽公文書変造罪における「変造」とは、単に「作成権限を有する者が既存の公文書に変更を加えて虚偽の内容のものにすること」であり(団藤・前掲286頁~287頁、295頁)、本質的部分の変更の有無は問われない。 仮に有形偽造の偽造変造と同義に考えたとしても、本質的部分の変更がなければ、むしろ「変造」に当たるといえる。
よって、今回の報道が、改ざん行為によって「趣旨が変わっていない」から虚偽公文書変造罪に当たらないというのならば、それは「変造」について一定の限定解釈をとっているということである。
もし、この限定解釈をとる場合は、趣旨を変える、つまり本質的部分の変更を加えることを虚偽公文書「変造」ととらえることになり、虚偽公文書「作成」という無形偽造行為ととの区別は、既存文書への加工か一から新しく文書を作るかという形式的な違いにしか求めることができなくなる(この点は、団藤説も同じかもしれないが。)。
なお、本件について、麻生財務相が早い段階から主文は替わっていないと述べていたが、かかる限定解釈は財務省側の改ざん行為の正当化解釈でもあるのであろう。
かかる限定解釈は、おそらく形式的な誤記訂正を除くためや公用文書毀棄罪※との区別のためと思われるが、そのような解釈を前提にしても、文面上、削除訂正の形跡がまったくわからない加工は、文書の意思表示・作成プロセスを意図的に不透明にすることであり、「新たな文書」の作出であって、趣旨の違う本質的部分の変更、虚偽公文書の「変造」に当たるという解釈が不可能とは思えない。むしろ公文書の高度な信頼を侵害するという意味では、悪質かつ巧妙である。主文は変わっていないからとって、理由やそれを基礎づけた重要な事実が変更されてよいわけでないであろう。
※公用文書毀棄罪と文書の実質的部分
公正証書の原本に貼用された印紙を剥離することは、文書の実質的部分ではないが、公用文書毀棄にあたるというのが、判例である(大判明44・8・15録17・1488)。これは、文書の実質的部分の変更がある場合に毀棄罪が成立しないとか、文書偽造罪・虚偽公文書作成罪が成立するといっているものではない。もちろん、新たな証明力を生じさせる場合に文書偽造罪等の成立が問題となるが(西田典之・刑法各論第7版【橋爪隆補訂】302頁)、毀棄罪と文書偽造罪等の保護法益が違う以上、その成否は別々に考察され、行為が重なる場合は、罪数論上、観念的競合になるだけである。よって、公用文書毀棄罪との区別から虚偽公文書「変造」の概念を制限する合理的理由はないというべきである。
もちろん、現実の裁判になれば、弁護側は争点化することは確実であり、安全をとって、見送るということも政策的にはありうるかもしれない(訴追裁量の問題)。
なお、限定解釈をとり、虚偽公文書変造罪を否定しても、他罪の余地はあるか?公用文書毀棄罪について、当該公務員が削除権限が法律的にあるかどうかが問題となろう。削除権限があるとなるとその成立には疑問がでてくるが、削除権限=作成権限がないとなると、そもそも、翻って「公文書偽造・変造」が問題視されることになる(なお、虚偽公文書作成・変造罪は、職務権限を濫用した場合でも成立するとするのが判例通説である。団藤・前掲286頁)。
いずれにせよ、従来、判例、学説上問題にしてこなかった領域であり、賛否両論でてくるのはやむを得ない。大阪地検特捜部の謙抑的な捜査・訴追か、それとも積極的な捜査・訴追か、世論を見据えながら、どう展開するかは今後予断を許さない。