「刑事政策的な分析の視点」
最近、通勤電車の時間を利用して、所一彦「刑事政策の基礎理論」(1994年 大成出版社)を読む。
同書38頁は、次のように述べる。「犯罪は一定の人格が一定の環境に置かれたときに発生するとすれば、そのような人格をそのような環境に置かなければ犯罪は発生しない筈であり、したがって最も素朴には、そのような人格と環境とを引き離すことが対策として考えられる。これを『遮断』と呼ぼう。『遮断』は、人格の側の特殊な危険に着眼してその持主を囲い込む方法で行われることもあれば、環境の側の特殊な危険に着眼してその方を囲い込むこともある。前者を「隔離」、後者を「遮蔽」と呼ぶことにしよう。」
以降、同書は、具体例を述べ、さらに抑止、矯正・環境調整、健全育成などを「抗争処理学」の観点から展開していく。ここで着目したいのは、人格と環境の問題である。
国選弁護制度をプラス面からだけでなくマイナス面からその特質を考察するには、国選弁護人の懲戒事例の分析が重要となる。そのマイナス事例が国選弁護人の人格=個人的特性に由来するのか、環境=国選弁護の手続き・報酬の低廉性など制度に由来するのかを考察することにより、国選弁護制度の病理現象の解明とその対策がみえてくるはずである。
今日、図書館でみた後藤昭ほか編「実務体系 現代の刑事弁護 1 弁護人の役割」(2013年 第一法規株式会社)の第16章「刑事弁護と懲戒制度」(同書285頁以下)が示唆に富む。刑事弁護人の私選と国選弁護の専門弁護士の年齢層・経歴の分析を展開する第20章「刑事弁護の担い手」(同書349頁)は、まさに人格=個人的特性の面から分析していくものであり、興味深い。続けて第21章「弁護の質の保証」(同書365頁以下)は、さらに深めて刑事弁護の質の問題、率直に刑事弁護の技量・弁護人の能力の問題に切り込む。国選弁護制度の歴史と比較法と「あり方」を論じるのは、第22章「日本における国選弁護制度のあり方について」(同書383頁以下)は、最後に「『国選弁護は国家の義務』と考えるべき」という(同書396頁)。
これらの論述は、実質的に刑事政策の観点からの国選弁護制度の考察に踏み込んでいるといえる。
国選弁護人の懲戒事例のリサーチの対象としては、日弁連の毎月発行される会誌「自由と正義」、毎年発行される懲戒事例集が詳しい。単位弁護士会のまとめたものとしては、山梨県弁護士会の懲戒事例集が国選弁護を含む刑事弁護の懲戒事例の詳細な分析と分類を行っており、参考になる。
まだまだ、参考文献はありそうであるが、重要なのは分析の視点であることを肝に銘じて考察していきたいと思う。