刑事弁護人の憂鬱 -19ページ目

刑事弁護人の憂鬱

日々負われる弁護士業務の備忘録、独自の見解、裁判外の弁護活動の実情、つぶやきエトセトラ

犯罪各論の基礎「窃盗罪の可罰性判断と刑事政策的意義」その2

3 不法領得の意思について

() 窃盗罪の主観的な成立要件として、故意のほか、不法領得の意思が必要と解するのが判例通説である。ここでいう不法領得の意思とは、判例によれば「他人の権利を排除し、他人の物を自己の所有物として、その財物の経済的用法に従って利用処分する意思」と解されている(書かれざる主観的構成要件要素)。前半の権利排除・所有者として振る舞う部分を①「排除意思」ないし「振る舞う意思」といい、後半の財物の経済的用法に従って利用処分する部分を②「利用意思」という※。

※不法領得の意思の要否と内容に関する学説

学説上は、不法領得の意思の内容として、①のみとする見解(排除意思肯定・利用意思否定説 小野、団藤など)、②のみとする見解(排除意思否定・利用意思肯定説 前田など)、判例と同様に①②を要求する見解(排除意思・利用意思肯定説 滝川、藤木、中森、大谷、斎藤信治、山口など)、①②ともに不要とする見解(排除意思・利用意思否定説 牧野、大塚など)に分かれる。後述するように不法領得の意思必要説は保護法益論における本権説に不要説は占有説と結びつくとかつては理解されていたが(例えば、団藤、牧野らの理解)、今日の学説は、行為の態様にかかわる事情である不法領得の意思の問題と保護法益論との結びつきは必然でないとする(西田、中森、前田など多数説)。

なお、団藤重光・刑法綱要各論第3版564頁によれば、本権説に立ちつつ「窃盗罪・強盗罪の成立には、実際に、所有権の侵害があったことを要するわけではない。単なる盗取だけでは所有権そのものに影響はないからである。行為者の不法領得の意思は、主観的違法要素として、所有権そのものの侵害を構成要件要素にとりこむ働きを有する。つまり、所有権の客観的侵害は必要ではないが、所有権侵害に向けられた意思を必要とすることによって、主観的要素の形で、所有権侵害の要素が構成要件の中にはいって来るのである」とされる。ただし、この見解が、所有権の完全な侵害のみを所有権侵害と理解しているのならば、対象たる物の物理的損壊(所有権の対象の喪失による所有権の完全消滅)があってはじめて所有権侵害である毀棄罪の既遂が成立することになるが、効用喪失という一部の価値損害で、毀棄罪の既遂が成立する(効用喪失説 判例通説)ことと整合性がとれない。つまり、窃取=占有侵害の段階で、所有権は消滅していなくても、所有権の権能のうち、使用収益権能は侵害されており、ここでいう所有権侵害とは全部侵害をいうのではなく、一部侵害をいうはずである。よって、所有者ないし権利者の支配を完全に奪う危険性、財産秩序に対する脅威性を裏付ける意味で排除意思としての不法領得の意思が主観的違法要素となると理解しなければならない。

      なお、利用意思不要説は、毀棄隠匿の目的で財物を奪取したが、その後、毀棄も隠匿もせず放置した場合、不可罰となるのは不都合であると利用意思必要説を批判する。もちろん、放置した行為が廃棄等の効用喪失行為に当たれば、毀棄罪が成立するし,経済的用法によって使用すれば、占有離脱物横領が成立するのであり、その限度では利用意思必要説でも不都合はない(処罰の間隙は生じない)

(1)①の排除意思は軽微な一部使用のケースを不可罰とする可罰性限定機能を有し(例えば、会社の他人の置き傘を雨が降っていたので、無断で借用した場合など)、②の利用意思は毀棄隠匿目的のケースを窃盗罪から除くという犯罪個別化機能を有するものである(西田・刑法各論第6版156頁以下参照)。判例実務は、一時使用の窃盗罪成立の範囲を財物の価値が高い場合は、肯定する傾向にあるが(例えば、自動車の無断一時使用など)、それでもなお、①の排除意思は要件として維持している※。また、②の利用意思も、緩やかに解しており、性的動機の下着窃盗でも、肯定している。つまり、毀棄隠匿目的以外は、財物からの何らかの利益を享受する意思があれば、②の利用意思を認め、要件として維持していると評価できる(この意味で経済的用法というのは拡張解釈されている)。

※排除意思不要説と一時使用の不可罰性

 ①の排除意思を不要とする見解は、可罰的な一時使用と不可罰的な一時使用の判断基準を被害者の推定的承諾可罰的違法性の理論などの別の基準で区別しようとする。しかし、被害者の推定的承諾の法理は被害者の意思に明示に反する場合は機能せず、可罰的違法性の理論も具体的基準は定立しにくい。排除意思に基づく窃取行為は、権利排除という本権侵害の程度を高め、財産法上の取引秩序に対する脅威をもたらすという、許された危険を超えたものであり、軽微な一時使用など社会生活上許容しうる財産侵害を指向する意思がある場合は、排除意思が指向する危険性を創出しないことを意味する(団藤重光・刑法綱要各論第3版563頁は、軽微とは言えない程度に財物の価値を消費する意思があれば領得の意思を認めてよいという。)。このような区別を行うために、定型的類型的な可罰的違法要素として要請されるのが、排除意思の根拠であって、その実行行為時点での不法領得の意思の有無という観点で、一時使用の可罰性を判断するほうが、比較的明確かつ合理的である(不法領得の意思に基づく窃取行為は、客観的帰属論の観点から言えば「許されない財産侵害の危険創出行為」そのものである。)。財物を故意に奪取するに当たって、たとえ返還の意思があっても、当該財物の価値と一時使用の態様から、日常生活上、許容されない(日常生活上の随伴性・通常性から逸脱している、物の価値侵害の態様が大きい)であろうことを認識していた場合、「排除意思」を認めて良いであろう。不要説は、窃取後の一時使用の態様から可罰性を吟味するが、これが既遂時期を遅らす意味であるのならば、不当であるし、既遂後の事情で可罰性が決定されるとすれば、事後的遡及的評価がなされることになるが、事後の事情により犯罪でなくなるというのは、不合理である。かかる既遂後の一時使用の態様に関する事情は、実行時点での排除意思を推認する間接事実(情況証拠)として理解すべきであろう。なお、窃盗罪の保護法益について占有説を採用すると排除意思は占有侵害意思として故意に解消されるようにみえるが、占有侵害が財物の価値を減少させ、占有者の利用を完全に排除する意思という意味で超過的主観的要素としての排除意思は理解すべきであろう。つまり、占有説をとっても、排除意思としての不法領得意思は必要と解することに何ら支障は無い。

(2)不法領得の意思の理論的根拠として、②の部分を重視し利欲犯的傾向の財産罪は毀棄隠匿より、強く非難でき責任が重いとする見解(責任加重説ないし責任要素説)、保護法益論と絡めて、本権説から、①の部分が超過的主観的違法要素であるとする見解(主観的違法要素説)などがある。※

※不法領得の意思の体系的地位

 肯定説の中の排除意思限定説は、違法要素説、利用意思限定説は責任要素説をとる傾向があるが、判例のような排除意思及び利用意思肯定説では、後述するように広く反復しがちな利欲犯的傾向をもった重大な法益侵害性を指向する窃盗に対する一般予防の強さ・財産秩序に対する脅威を考慮すると、まず、超過的主観的違法要素として、理解し、さらに利欲犯的動機は非難可能性を高める責任要素として理解し、併せて、主観的構成要件要素として理解すべきである(違法有責類型説に基づく折衷説)

(3)刑事政策的観点からは、歴史的にも社会的にも権利者排除ないし利欲目的の窃盗が実際に行われることが多く、権利者排除(領得目的)ないし利欲目的(利得目的)を欠く窃盗は少ない(例えば、社会経済的不安から貧困層が多くなると、窃盗罪の発生率は多くなる。経済格差が、生活のための利欲目的の窃盗増加の一要因であることは、周知のことであるし、物を盗むということは、他人の権利を否定して、その物を取得して利益を得る場合が一般的行為態様である。)。それゆえ、一般予防上、社会に広く反復しやすい権利者排除ないし利欲目的の窃盗を禁止・抑止する必要が大きい反面、これを欠く行為は、社会的にみて軽微な一時使用のように処罰する必要性がないか、窃盗よりも軽い毀棄隠匿罪でフォローすれば足りるという政策判断が考えられよう(一般予防説※ なお、量刑事情一般からすれば、利欲動機のほうが、そうでない場合よりも悪質であると評価される場合が少なくない。)。

実際、不法領得の意思を明示的に窃盗の要件とする立法例があるのも、歴史的沿革や一般予防上の必要性を考慮するからであろう。※※

 

※特別予防・一般予防説

  斎藤信治・刑法各論第4版114頁は、「利益追求の意思そのものは何ら不都合でなく、利欲のために、違法かつ顕著な所有権侵害も辞さない意思こそが、特別予防・一般予防上の厳罰の必要性(また、反倫理性の強さ)を根拠づけ、窃盗が毀棄より格段に重く罰せられる理由である(軽微な使用窃盗の意思などは、毀棄の意思ほども危険ではない)。」という。この点、領得目的と利得目的が結合して、処罰の必要性が高まるというのは、支持すべきである。ただし、不法領得の意思自体が一般予防だけでなく、特別予防、すなわち再犯防止の強い必要性を根拠づけるかは、現実の窃盗の科刑が、初犯者は執行猶予や罰金と軽く処せられることが多いこと、常習累犯窃盗という特別加重類型が別途存在すること、クレプトマニアなど盗癖に基づく場合、不法領得の意思と再犯の危険性は必ずしもリンクしないことなどからすると、毀棄罪に比して特別予防の必要性が類型的に高いといえるかは、なお検討を要すると思われる。

 

※※不法領得意思の立法による明示と淵源

 ドイツ刑法は、以下のように不法領得の意思について明文で規定している。

 ドイツ刑法第242条

第1項「違法に自ら領得し又は第三者に領得させる目的で、他人の動産を他の者から奪取した者は、5年以下の自由刑又は罰金に処する。」

      林美月子「不法領得の意思と毀棄・隠匿の意思」立教法学第75号3頁~7頁によれば、不法領得の意思の淵源は、ローマ法時代の窃盗の要件であるanimus lucri faciendiに遡り、当初は、利得動機あるいは利得目的と考えられていたが、後世、窃盗が所有権侵害と把握されると、窃盗を行為者が他人の物を自分の物にする領得とする考えが生じ、動産を自分の物とする目的=領得目的が窃盗の要件として規定され(フォイエルバッハの1813年刑法典209条)、利得目的と領得目的の両方が考慮されつつも(ただし、概念的には利得目的と領得目的を区別し、領得の客体は物自体とする物体説はまさに領得目的のみを不法領得の意思と理解していたという。)、他方で毀棄目的は、利得目的又は領得目的に含まれないとの考えが形成され(1851年プロイセン刑法、1871年ドイツ刑法)、領得の客体における価値説が利得目的を領得目的の中に取り込んだが、領得罪と利得罪との区別から、価値説を考慮するとしても領得の客体たる価値を物自体の価値に限定する考えが生じたという(折衷説 なお、団藤重光・刑法綱要各論第3版563頁は、目的物の物質そのものを領得する意思も価値だけを領得する意思も不法領得の意思として認めるが、放棄・破壊・隠匿するだけの意思も領得の意思を認めており、毀棄罪との区別を否定する反面、「使用窃盗のばあいにも、もしそれが稀少とはいえない程度の価値の消費を伴うような形態であれば、それはもはや単なる使用ではなく、したがって、そのような価値消費の意思があれば領得の意思があるものというべき」という。)。

現行ドイツ刑法は、このような沿革から、明文で不法領得の意思を規定している。

これに対し、日本刑法235条の窃盗の規定は、不法領得の意思を文理上定めていない。不要説が主張される所以である。

 

(4)この刑事政策的観点を考慮し刑法理論上、説明すれば、不法領得の意思がある財産犯は、個別財産に対する侵害(静的安全の侵害…所有権その他の本権または占有それ自体の侵害)のみならず、他人の権利を排除してまでも、正当な対価を支払わずに領得する目的は、法益侵害性を高め、財産法上の取引秩序に対する脅威・危険を誘発し(正当な対価交換を伴わない財貨移転の誘発=動的安全ないし取引ルールに対する危険惹起)、違法性を高めると同時にその利欲犯的傾向が重い責任非難を基礎づける。よって、毀棄隠匿目的の財産犯よりも重く処罰する必要がある。これが、不法領得の意思が必要とされる根拠である。

 

(5) よって、たとえ、保護法益論において、占有説(判例)をとっても、①の排除意思と②の利用意思は不可分な主観的違法かつ責任要素として要求すること(ひいては類型化された主観的構成要件要素…違法有責類型説)は可能で有り、理論上矛盾とはいえない。むしろ、政策的には、占有説の採用による可罰範囲の拡張の目的と不法領得の意思による可罰性の限定の目的とのバランシングを図る概念道具として合理性のある解釈といえよう。

犯罪各論の基礎「窃盗罪の可罰性判断と刑事政策的意義」その1

 

1 はじめに

窃盗罪(刑法第235条)は、財産犯の典型であり、犯罪統計上の占める割合も大きい。理論的にも実務的にも検討すべき問題点は多いが、ここでは、まず刑法理論上の問題点としての可罰性判断の基礎をなす保護法益論と不法領得の意思の問題について、政策的観点を加味しながら検討し、次に刑事政策的問題点特に常習累犯窃盗や罰金刑の運用、病的な盗癖(クレプトマニア)、性的なフェティシズム窃盗の特別予防・処遇論等の問題(いわゆる「治療的司法」)を検討する。

 

(窃盗)

第235条 「他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。」

第242条  「自己の財物であっても、他人が占有し、又は公務所の命令により他人が看守するものであるときは、この章の罪については、他人の財物とみなす。」

 

2 窃盗の保護法益論について

(1)                  周知のように、窃盗罪の保護法益について、所有権その他の本権(賃借権など)とする本権説と純粋な占有状態・所持であるする占有説(所持説)の対立があり(242条の「他人が占有し」は本権に基づく占有に限定されるか、無制限な純粋は占有と解すべきかの解釈問題)、判例は、戦前本権説に立っていたが、戦後、占有説を取るようになった。占有説によれば、財物の占有の法的根拠を問わず、占有侵害があれば、窃盗の成立を認める(牧野、大塚、前田など)。これは、違法または明白に民法その他の法律で占有が認めにくい場合でも、その占有権原の適法性を認定せずに、原則窃盗の成立を認めることができ、刑事訴訟の民事裁判化を防ぐというメリットがある。例えば、違法な隠匿物資の奪取、法律上禁止されていた担保に供与された年金証書の奪取(詐欺につき、最判昭和34・8・28)や、担保に提供された自動車の引き上げ行為(会社更生手続き中の窃盗につき最判昭和35・4・26、高利の自動車金融の買戻約款付自動車売買契約に基づく引き上げにつき最判平成元・7・7)など民事法上グレーゾーン(あいまい)な権利関係の認定解釈にとらわれるとその審理が複雑化し、刑事裁判が民事裁判化してしまい、合理的な疑いを超える立証などから、かえって窃盗罪の認定が困難になるおそれがあり(林幹人・刑法各論174頁以下参照)、また、民事裁判が並行して行われていた場合、その判断との抵触も生じうる※

※ドイツ刑事訴訟法の特則と刑事裁判の民事裁判化の問題

 ドイツの刑事訴訟法第262条は、保護法益に関して本権説ないし民事実体法の判断に従属する立場に立ちつつ、同条2項において、民事裁判が行われている場合は、その決着がつくまで、刑事手続きを停止する特別規定がある。日本の刑事訴訟法には同様の規定は存在しない。そのため、窃盗罪における占有説、建造物損壊罪の「他人」性の解釈において民事の権利関係に従属しない解釈(最決昭和61・7・18)を判例は採用しているともいえよう(民法独立説)。しかし、窃盗の場合は242条という規定があるが、建造物損壊罪の場合は対応する規定はないこと、民事実体法の権利関係から完全に独立した刑法上の「所有権」なるものを措定することは、民事上保護されない利益=外形的権利が存在するような事実状態・平穏を保護するものであって、財産罪の性格を変えてしまうし、刑法の謙抑主義にもそぐわず妥当でない。そこで、判例の結論を維持するため、所有権の立証の程度を緩める見解(修正本権説)が主張される(林・前掲179頁参照)。なお、判例が占有説を採用した事案は、本権説でも説明できるとの主張もあるが、本権説にたっても、刑事裁判の民事裁判化の問題について、解釈ないし立法上の手当が必要である。

 

 ドイツ刑事訴訟法

第262条 

第1項「行為の可罰性が民事法上の法律関係の判断にかかるときは、刑事裁判所は、この法律関係についても、刑事事件の手続及び立証に適用される規定に従って判断する。」

 第2項「前項の規定にかかわらず、裁判所は、審理を延期し、関係人が民事訴訟法を提起するための期間を定め、又は民事裁判所の判決を待つことができる。」

 

(2)                   この占有説を徹底すると、所有権者が、窃盗犯人から被害品を取り戻す行為も窃盗になるのではないかとの批判があるが、そのような場合は、自救行為を認め違法性阻却するという(この点、本権説からは広く自救行為を認めると占有説を採用する意味がほとんどなくなるとの批判もある。)。むしろ、占有説は、本権説では、窃盗犯人から第三者が被害品を盗んだ場合や、麻薬などの禁制品を盗む行為が、窃盗にならないのではないかと批判し、かかる場合でも占有説は、窃盗を認めることができ、妥当であるとする。※

※本権説・占有説・中間説

 学説上は、本権説と占有説との中間説が有力である。たとえば、平野博士は、窃盗犯人からの財物奪取する所有者の行為について、窃盗犯人の占有は平穏なものではないので、保護に値しないとして窃盗の成立を否定する(平穏占有説)。類似の見解として、一見不法な占有といえない占有、適法な外観を有する占有、合理的理由のある占有などが主張されているが、判断基準は明瞭性を欠く。それゆえ、本権説の再評価ないし修正説が近時有力に主張されている。

すなわち、本権説からの中間説として、窃盗犯人の占有は、所有者に対抗できない、禁制品も所有権自体は否定されない(法的手続きでなければ没収されない利益を有する)、盗品の奪取は、所有者の所有権を再度侵害する、権利の所在の認定は刑事手続きで行うべきであるが、その認定は緩やかでよいなどの修正本権説が主張されている(林幹人など)。しかし、所有権制度と占有制度が財貨帰属秩序の静的安全の基盤として財産秩序上要保護性があることからすれば、後述するように窃盗罪の保護法益を所有権その他本権か占有かの択一関係で理解するのは妥当でない。また、占有の「平穏」性を保護対象とすることは、窃盗罪が平穏侵害罪と位置づけることになり、財産侵害罪としての性格を変えてしまうことになり、妥当とは思われない。

(3)                   占有説は、窃盗の成立範囲を拡張するものであるが、その政策的な意図は、刑事訴訟の民事裁判回避と同時に、所有権その他の本権者の自力救済を原則禁止することにより、社会秩序の安定を目的としていると指摘される(山口厚・問題探求刑法各論98頁参照)。つまり、財産法秩序の自力救済禁止の原則の実効性担保が占有説の政策的根拠といえる(換言すれば、財産法上の占有制度・自力救済禁止という規範の維持が占有説の実体である。)。しかし、そうだとすると、占有説の立場からは、自救行為による違法性阻却の範囲は厳格かつ限定的消極的に解されることになる(学説と異なり、判例の傾向は、この意味で政策目的からは一貫する。)。しかし、平穏占有説が指摘したように窃盗の現場で窃盗犯人から財物を取り戻す行為は、238条の事後強盗の前提として、当然適法と解すべきで有り(違法な行為に対し、暴行を加えることは、正当防衛となってしまい事後強盗の成立の余地がなくなってしまうから)、この場合は、占有説でも、当然自救行為ないし正当防衛を認めるべきである。

(4)                   なお、占有説は、従来、占有のみを保護法益と解し、242条を注意規定と解する見解が一般的であったが(牧野、大塚など)、決して所有権その他の本権を保護法益として除外する趣旨ではないと解すべきである。けだし、235条は他人の物というのは、他人の所有物と読むのが自然で有り、そうであるからこそ242条の規定の意味がある。つまり、正確には、235条は所有権を原則として保護法益とする規定であり、242条は、例外的に占有自体を保護法益とする規定と理解すべきである(本権・占有二重保護説 なお、従来は本権説が例外規定と解していた。)。けだし、窃盗後の財物の毀棄行為や、占有離脱物横領行為が不可罰的事後行為と解されるのは、窃盗罪が不法領得の意思に裏付けられた所有権侵害行為であってはじめて理解できるのであり、所有者の窃盗行為の場合は、自己物の毀棄または領得行為であるから、事後行為は当然原則不可罰となるからである。

また、このように窃盗罪は本権・占有の二重の保護法益であり、不法領得意思に裏付けられた犯罪と理解すると、強盗、詐欺、恐喝、委託物横領、業務上横領、占有離脱物横領などの領得罪の間における抽象的事実の錯誤や、共犯関係について構成要件の「実質的重なり合い」を認めることができ、判例通説の構成要件的符合説、部分的犯罪共同説の適用が容易になる。

 

(4)スワット事件判例類似の事案と共謀の成否

    スワット事件判例については、共謀の意義における客観説(客観的謀議説)からの批判はもちろん、黙示の意思の連絡という極めて緩やかな共謀認定について、疑問を呈する見解もあった(共謀を緩和すると、いわば「共謀なき共謀共同正犯」を認めることになるなど。)。他方、スワット事件では、警備のための特別なグループ(スワット)の存在と組織性、対抗組織の襲撃の可能性、組長である被告人もボディーガード経験があったことなどの特殊性からけん銃不法所持の共謀共同正犯を認めたと理解する見解もあった(事案の特殊性の重視)。

    このような中、スワット事件の類似の暴力団幹部を組員がけん銃不法所持で警護していた事案につき、幹部に黙示の意思連絡の共謀を肯定する判例と否定する裁判例が現れた。

    本件事案を要約すると、抗争事件中の同一指定暴力団の幹部A、B(それぞれ同一傘下の別団体の幹部)が、組織の定例会に出席するため、大阪のホテルに宿泊した際、ボディーガードの各自の組員らがけん銃不法所持した事案であり、警察の計画的な一斉職務質問によって、実行犯が現行犯で検挙されたことが端緒となっている。

 

 ア 幹部Aに対する事件 Aにけん銃不法所持の共謀共同正犯の成否につき、

  第一審(大阪地判平成13年3月14日判時1746・159) 無罪

  第二審(大阪高判平成16年2月24日判時1881・140) 有罪

 

  上告審(最決平成17年11月29日刑集288・543) 有罪確定

   「被告人は,本件当時,配下の組員らが被告人に同行するに当たり,そのうち一部の者が被告人を警護するためけん銃等を携帯所持していることを,概括的とはいえ確定的に認識し認容していたものであり,実質的にはこれらの者に本件けん銃等を所持させていたと評し得るなどとして,本件けん銃等の携帯所持について被告人に共謀共同正犯が成立するとした原判断は,正当として是認できる」と判示した。

 

  第一審と第二審は証拠評価及び事実認定の違いから結論が分かれたものであるが、第二審、これを追認する上告審はスワット事件判例に類するケースとみて、黙示の意思連絡としての共謀共同正犯を認定している。

 

 これに対し、スワット事件のような特別な警護態勢(明確かつ恒常的な活動)があったとはいえず、事案を異にし、共謀共同正犯は認められないとして第一審を支持し、第二審、上告審を批判する見解もある(事前の客観的謀議は不要であるが、客観的外部的態度が共謀共同正犯については必要とする立場から、西原春夫・「憂慮すべき最近の共謀共同正犯実務」刑事法ジャーナル3号[2006年]54頁以下参照。)。この批判的見解も共謀の意思形成と客観的外部的態度の厳格な証明を強調しており、つまり、本件について、善解すれば、共謀プラスアルファのアルファ部分が弱い事案と評価しており、黙示の意思の連絡を否定するわけではない。

しかし、組織暴力団の警護態勢において、特に襲撃の可能性がある場合、常に特別なスワットのような警備活動がなされなければ、警護の中心人物である組長、幹部に共謀共同正犯が成立しないというのは、何のためにけん銃不法所持の警護が行われていたのかの社会的認識が不十分である。つまり、かかる場合は、幹部のためにけん銃不法所持による警護はなされるのであり、警護者と幹部はその目的上不可分な行動をともにしているという社会的組織的実体を軽視するのは妥当とは思われない。論者の前提とする共同意思主体説からみても、その事案の「評価」は疑問がある。もちろん、その集団的組織的活動の濃淡は事実関係において異なりうるし、具体的な組織的活動は中断することもありえ、暴力団組織の一般論から、直ちに共謀を認定することは「厳格な証明」といえないのであり、その意味で慎重な事実認定が要求されることは当然であろう。よって、論者の批判の趣旨である組織暴力団以外の事案についての共謀共同正犯の拡張適用の問題意識は、判例を前提にしても注意を要するものである。

 

イ 幹部Bに対する事件 Bにけん銃不法所持の共謀共同正犯の成否につき

  第一審(大阪地判平成16年3月23日) 無罪

   被告人の警備体制は厳重なものとはいえず、被告人のその認識もなかったなどから、組員が「けん銃等を携行して被告人を警護していることを概括的であっても確定的に認識しながら、これを当然のこととして受け入れ認容していたとするには、なお合理的な疑いが残る」という。

  第二審(大阪高判平成18年4月24日) 無罪

   第一審を支持、検察官控訴を棄却

 

  上告審(最判平成21年10月19日刑集297・489)破棄差戻

   第一審及び第二審の間接事実の認定評価に誤りがあるとし、専従の警護組織がなくても、共謀の認定は直接左右せず、Aの警護態勢も2名であり、Bの警護態勢の2名と比較してもそん色のあるものではないとし、被告人は、けん銃による襲撃の危険性を十分に認識し、組員2名を同行させて警護に当たらせていたものと認められ、特段の事情がない限り、組員らが「けん銃を所持していることを認識した上で、それを当然のこととして受け入れて認容していたものと推認するのが相当である」として、重大な事実誤認として第一審及び原審を破棄し、大阪地裁に差し戻した。

 

  差戻第一審(大阪地判平成23年5月24日) 無罪

 新たな証拠調べを実施し、その上で被告人の自宅、浜松駅での移動、ホテル等の警備体制が厳重なものであったとはいえない、被告人の行動から、けん銃等による襲撃の危険性を十分に認識していたとはいえず、組員らのけん銃所持を認識し、それを当然のこととして受け入れて認容していたと推認するには合理的な疑いがあり、共謀していたと推認することができないとした。

  

差戻第二審(大阪高判平成25年8月30日) 破棄差戻

   上告審の破棄判決の拘束力を前提に、また新たな証拠調べの結果の間接事実の認定評価から、厳重な警備体制の認定ができるとして、共謀を否定したのは、事実誤認の誤りとして、大阪地裁に破棄差し戻した。現在上告中

   

  以上、Bに対する事件は、未だ確定しておらず、第一審の証拠、間接事実の認定評価が最高裁の評価と相違し、対立する自体となっている。差戻前も差戻後も、第一審の事実認定はかなり詳細に行っているが、最終的な評価、つまり、「警備が厳重であったかどうか」がどちらの立場がより説得的かとうことで意見は分かれよう。第一審は、被告人Bは、隙のある杜撰な警備で、襲撃の危険を意に返していなかったとみていると思われる。これに対し、最高裁及び差戻後の控訴審は、Aの事件とのバランスを実質的に考慮し、類似の状況下での警備なのであるから、当然危険の認識もあり、警備も厳重と評価して良いと考えているふしがある。同一組織の傘下であっても、各下位組織の性格、構成要素はそれぞれ異なりうるであり、スワット事件判例>Aに対する事件>Bに対する事件と警備体制が徐々に緩和しているように見える場合でも、すべて同一評価してよいかが問われている。

おそらく最高裁の考えは、スワット類似事例について、認定評価といういわば客観的検証のしにくい次元で(経験則の適用という名の「常識」判断)、組織暴力団の抗争の抑止、ないし組織の壊滅という刑事政策的配慮を意識して「特段の事情がない限り」、共謀の推認を積極的に行うべしという「決断」を事実審に要求しているのであろう。

なお、本件でも、表現があいまいであるが、黙示の意思連絡による共謀と未必の故意との関係については、別途理論的に検討する必要があるので、後述する。