犯罪各論の基礎「窃盗罪の可罰性判断と刑事政策的意義」その2
3 不法領得の意思について
(1) 窃盗罪の主観的な成立要件として、故意のほか、不法領得の意思が必要と解するのが判例通説である。ここでいう不法領得の意思とは、判例によれば「他人の権利を排除し、他人の物を自己の所有物として、その財物の経済的用法に従って利用処分する意思」と解されている(書かれざる主観的構成要件要素)。前半の権利排除・所有者として振る舞う部分を①「排除意思」ないし「振る舞う意思」といい、後半の財物の経済的用法に従って利用処分する部分を②「利用意思」という※。
※不法領得の意思の要否と内容に関する学説
学説上は、不法領得の意思の内容として、①のみとする見解(排除意思肯定・利用意思否定説 小野、団藤など)、②のみとする見解(排除意思否定・利用意思肯定説 前田など)、判例と同様に①②を要求する見解(排除意思・利用意思肯定説 滝川、藤木、中森、大谷、斎藤信治、山口など)、①②ともに不要とする見解(排除意思・利用意思否定説 牧野、大塚など)に分かれる。後述するように不法領得の意思必要説は保護法益論における本権説に不要説は占有説と結びつくとかつては理解されていたが(例えば、団藤、牧野らの理解)、今日の学説は、行為の態様にかかわる事情である不法領得の意思の問題と保護法益論との結びつきは必然でないとする(西田、中森、前田など多数説)。
なお、団藤重光・刑法綱要各論第3版564頁によれば、本権説に立ちつつ「窃盗罪・強盗罪の成立には、実際に、所有権の侵害があったことを要するわけではない。単なる盗取だけでは所有権そのものに影響はないからである。行為者の不法領得の意思は、主観的違法要素として、所有権そのものの侵害を構成要件要素にとりこむ働きを有する。つまり、所有権の客観的侵害は必要ではないが、所有権侵害に向けられた意思を必要とすることによって、主観的要素の形で、所有権侵害の要素が構成要件の中にはいって来るのである」とされる。ただし、この見解が、所有権の完全な侵害のみを所有権侵害と理解しているのならば、対象たる物の物理的損壊(所有権の対象の喪失による所有権の完全消滅)があってはじめて所有権侵害である毀棄罪の既遂が成立することになるが、効用喪失という一部の価値損害で、毀棄罪の既遂が成立する(効用喪失説 判例通説)ことと整合性がとれない。つまり、窃取=占有侵害の段階で、所有権は消滅していなくても、所有権の権能のうち、使用収益権能は侵害されており、ここでいう所有権侵害とは全部侵害をいうのではなく、一部侵害をいうはずである。よって、所有者ないし権利者の支配を完全に奪う危険性、財産秩序に対する脅威性を裏付ける意味で排除意思としての不法領得の意思が主観的違法要素となると理解しなければならない。
なお、利用意思不要説は、毀棄隠匿の目的で財物を奪取したが、その後、毀棄も隠匿もせず放置した場合、不可罰となるのは不都合であると利用意思必要説を批判する。もちろん、放置した行為が廃棄等の効用喪失行為に当たれば、毀棄罪が成立するし,経済的用法によって使用すれば、占有離脱物横領が成立するのであり、その限度では利用意思必要説でも不都合はない(処罰の間隙は生じない)。
(1)①の排除意思は軽微な一部使用のケースを不可罰とする可罰性限定機能を有し(例えば、会社の他人の置き傘を雨が降っていたので、無断で借用した場合など)、②の利用意思は毀棄隠匿目的のケースを窃盗罪から除くという犯罪個別化機能を有するものである(西田・刑法各論第6版156頁以下参照)。判例実務は、一時使用の窃盗罪成立の範囲を財物の価値が高い場合は、肯定する傾向にあるが(例えば、自動車の無断一時使用など)、それでもなお、①の排除意思は要件として維持している※。また、②の利用意思も、緩やかに解しており、性的動機の下着窃盗でも、肯定している。つまり、毀棄隠匿目的以外は、財物からの何らかの利益を享受する意思があれば、②の利用意思を認め、要件として維持していると評価できる(この意味で経済的用法というのは拡張解釈されている)。
※排除意思不要説と一時使用の不可罰性
①の排除意思を不要とする見解は、可罰的な一時使用と不可罰的な一時使用の判断基準を被害者の推定的承諾や可罰的違法性の理論などの別の基準で区別しようとする。しかし、被害者の推定的承諾の法理は被害者の意思に明示に反する場合は機能せず、可罰的違法性の理論も具体的基準は定立しにくい。排除意思に基づく窃取行為は、権利排除という本権侵害の程度を高め、財産法上の取引秩序に対する脅威をもたらすという、許された危険を超えたものであり、軽微な一時使用など社会生活上許容しうる財産侵害を指向する意思がある場合は、排除意思が指向する危険性を創出しないことを意味する(団藤重光・刑法綱要各論第3版563頁は、軽微とは言えない程度に財物の価値を消費する意思があれば領得の意思を認めてよいという。)。このような区別を行うために、定型的類型的な可罰的違法要素として要請されるのが、排除意思の根拠であって、その実行行為時点での不法領得の意思の有無という観点で、一時使用の可罰性を判断するほうが、比較的明確かつ合理的である(不法領得の意思に基づく窃取行為は、客観的帰属論の観点から言えば「許されない財産侵害の危険創出行為」そのものである。)。財物を故意に奪取するに当たって、たとえ返還の意思があっても、当該財物の価値と一時使用の態様から、日常生活上、許容されない(日常生活上の随伴性・通常性から逸脱している、物の価値侵害の態様が大きい)であろうことを認識していた場合、「排除意思」を認めて良いであろう。不要説は、窃取後の一時使用の態様から可罰性を吟味するが、これが既遂時期を遅らす意味であるのならば、不当であるし、既遂後の事情で可罰性が決定されるとすれば、事後的遡及的評価がなされることになるが、事後の事情により犯罪でなくなるというのは、不合理である。かかる既遂後の一時使用の態様に関する事情は、実行時点での排除意思を推認する間接事実(情況証拠)として理解すべきであろう。なお、窃盗罪の保護法益について占有説を採用すると排除意思は占有侵害意思として故意に解消されるようにみえるが、占有侵害が財物の価値を減少させ、占有者の利用を完全に排除する意思という意味で超過的主観的要素としての排除意思は理解すべきであろう。つまり、占有説をとっても、排除意思としての不法領得意思は必要と解することに何ら支障は無い。
(2)不法領得の意思の理論的根拠として、②の部分を重視し利欲犯的傾向の財産罪は毀棄隠匿より、強く非難でき責任が重いとする見解(責任加重説ないし責任要素説)、保護法益論と絡めて、本権説から、①の部分が超過的主観的違法要素であるとする見解(主観的違法要素説)などがある。※
※不法領得の意思の体系的地位
肯定説の中の排除意思限定説は、違法要素説、利用意思限定説は責任要素説をとる傾向があるが、判例のような排除意思及び利用意思肯定説では、後述するように広く反復しがちな利欲犯的傾向をもった重大な法益侵害性を指向する窃盗に対する一般予防の強さ・財産秩序に対する脅威を考慮すると、まず、超過的主観的違法要素として、理解し、さらに利欲犯的動機は非難可能性を高める責任要素として理解し、併せて、主観的構成要件要素として理解すべきである(違法有責類型説に基づく折衷説)。
(3)刑事政策的観点からは、歴史的にも社会的にも権利者排除ないし利欲目的の窃盗が実際に行われることが多く、権利者排除(領得目的)ないし利欲目的(利得目的)を欠く窃盗は少ない(例えば、社会経済的不安から貧困層が多くなると、窃盗罪の発生率は多くなる。経済格差が、生活のための利欲目的の窃盗増加の一要因であることは、周知のことであるし、物を盗むということは、他人の権利を否定して、その物を取得して利益を得る場合が一般的行為態様である。)。それゆえ、一般予防上、社会に広く反復しやすい権利者排除ないし利欲目的の窃盗を禁止・抑止する必要が大きい反面、これを欠く行為は、社会的にみて軽微な一時使用のように処罰する必要性がないか、窃盗よりも軽い毀棄隠匿罪でフォローすれば足りるという政策判断が考えられよう(一般予防説※ なお、量刑事情一般からすれば、利欲動機のほうが、そうでない場合よりも悪質であると評価される場合が少なくない。)。
実際、不法領得の意思を明示的に窃盗の要件とする立法例があるのも、歴史的沿革や一般予防上の必要性を考慮するからであろう。※※
※特別予防・一般予防説
斎藤信治・刑法各論第4版114頁は、「利益追求の意思そのものは何ら不都合でなく、利欲のために、違法かつ顕著な所有権侵害も辞さない意思こそが、特別予防・一般予防上の厳罰の必要性(また、反倫理性の強さ)を根拠づけ、窃盗が毀棄より格段に重く罰せられる理由である(軽微な使用窃盗の意思などは、毀棄の意思ほども危険ではない)。」という。この点、領得目的と利得目的が結合して、処罰の必要性が高まるというのは、支持すべきである。ただし、不法領得の意思自体が一般予防だけでなく、特別予防、すなわち再犯防止の強い必要性を根拠づけるかは、現実の窃盗の科刑が、初犯者は執行猶予や罰金と軽く処せられることが多いこと、常習累犯窃盗という特別加重類型が別途存在すること、クレプトマニアなど盗癖に基づく場合、不法領得の意思と再犯の危険性は必ずしもリンクしないことなどからすると、毀棄罪に比して特別予防の必要性が類型的に高いといえるかは、なお検討を要すると思われる。
※※不法領得意思の立法による明示と淵源
ドイツ刑法は、以下のように不法領得の意思について明文で規定している。
ドイツ刑法第242条
第1項「違法に自ら領得し又は第三者に領得させる目的で、他人の動産を他の者から奪取した者は、5年以下の自由刑又は罰金に処する。」
林美月子「不法領得の意思と毀棄・隠匿の意思」立教法学第75号3頁~7頁によれば、不法領得の意思の淵源は、ローマ法時代の窃盗の要件であるanimus lucri faciendiに遡り、当初は、利得動機あるいは利得目的と考えられていたが、後世、窃盗が所有権侵害と把握されると、窃盗を行為者が他人の物を自分の物にする領得とする考えが生じ、動産を自分の物とする目的=領得目的が窃盗の要件として規定され(フォイエルバッハの1813年刑法典209条)、利得目的と領得目的の両方が考慮されつつも(ただし、概念的には利得目的と領得目的を区別し、領得の客体は物自体とする物体説はまさに領得目的のみを不法領得の意思と理解していたという。)、他方で毀棄目的は、利得目的又は領得目的に含まれないとの考えが形成され(1851年プロイセン刑法、1871年ドイツ刑法)、領得の客体における価値説が利得目的を領得目的の中に取り込んだが、領得罪と利得罪との区別から、価値説を考慮するとしても領得の客体たる価値を物自体の価値に限定する考えが生じたという(折衷説 なお、団藤重光・刑法綱要各論第3版563頁は、目的物の物質そのものを領得する意思も価値だけを領得する意思も不法領得の意思として認めるが、放棄・破壊・隠匿するだけの意思も領得の意思を認めており、毀棄罪との区別を否定する反面、「使用窃盗のばあいにも、もしそれが稀少とはいえない程度の価値の消費を伴うような形態であれば、それはもはや単なる使用ではなく、したがって、そのような価値消費の意思があれば領得の意思があるものというべき」という。)。
現行ドイツ刑法は、このような沿革から、明文で不法領得の意思を規定している。
これに対し、日本刑法235条の窃盗の規定は、不法領得の意思を文理上定めていない。不要説が主張される所以である。
(4)この刑事政策的観点を考慮し刑法理論上、説明すれば、不法領得の意思がある財産犯は、個別財産に対する侵害(静的安全の侵害…所有権その他の本権または占有それ自体の侵害)のみならず、他人の権利を排除してまでも、正当な対価を支払わずに領得する目的は、法益侵害性を高め、財産法上の取引秩序に対する脅威・危険を誘発し(正当な対価交換を伴わない財貨移転の誘発=動的安全ないし取引ルールに対する危険惹起)、違法性を高めると同時にその利欲犯的傾向が重い責任非難を基礎づける。よって、毀棄隠匿目的の財産犯よりも重く処罰する必要がある。これが、不法領得の意思が必要とされる根拠である。
(5) よって、たとえ、保護法益論において、占有説(判例)をとっても、①の排除意思と②の利用意思は不可分な主観的違法かつ責任要素として要求すること(ひいては類型化された主観的構成要件要素…違法有責類型説)は可能で有り、理論上矛盾とはいえない。むしろ、政策的には、占有説の採用による可罰範囲の拡張の目的と不法領得の意思による可罰性の限定の目的とのバランシングを図る概念道具として合理性のある解釈といえよう。