犯罪各論の基礎「窃盗罪の可罰性判断と刑事政策的意義」その1 | 刑事弁護人の憂鬱

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犯罪各論の基礎「窃盗罪の可罰性判断と刑事政策的意義」その1

 

1 はじめに

窃盗罪(刑法第235条)は、財産犯の典型であり、犯罪統計上の占める割合も大きい。理論的にも実務的にも検討すべき問題点は多いが、ここでは、まず刑法理論上の問題点としての可罰性判断の基礎をなす保護法益論と不法領得の意思の問題について、政策的観点を加味しながら検討し、次に刑事政策的問題点特に常習累犯窃盗や罰金刑の運用、病的な盗癖(クレプトマニア)、性的なフェティシズム窃盗の特別予防・処遇論等の問題(いわゆる「治療的司法」)を検討する。

 

(窃盗)

第235条 「他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。」

第242条  「自己の財物であっても、他人が占有し、又は公務所の命令により他人が看守するものであるときは、この章の罪については、他人の財物とみなす。」

 

2 窃盗の保護法益論について

(1)                  周知のように、窃盗罪の保護法益について、所有権その他の本権(賃借権など)とする本権説と純粋な占有状態・所持であるする占有説(所持説)の対立があり(242条の「他人が占有し」は本権に基づく占有に限定されるか、無制限な純粋は占有と解すべきかの解釈問題)、判例は、戦前本権説に立っていたが、戦後、占有説を取るようになった。占有説によれば、財物の占有の法的根拠を問わず、占有侵害があれば、窃盗の成立を認める(牧野、大塚、前田など)。これは、違法または明白に民法その他の法律で占有が認めにくい場合でも、その占有権原の適法性を認定せずに、原則窃盗の成立を認めることができ、刑事訴訟の民事裁判化を防ぐというメリットがある。例えば、違法な隠匿物資の奪取、法律上禁止されていた担保に供与された年金証書の奪取(詐欺につき、最判昭和34・8・28)や、担保に提供された自動車の引き上げ行為(会社更生手続き中の窃盗につき最判昭和35・4・26、高利の自動車金融の買戻約款付自動車売買契約に基づく引き上げにつき最判平成元・7・7)など民事法上グレーゾーン(あいまい)な権利関係の認定解釈にとらわれるとその審理が複雑化し、刑事裁判が民事裁判化してしまい、合理的な疑いを超える立証などから、かえって窃盗罪の認定が困難になるおそれがあり(林幹人・刑法各論174頁以下参照)、また、民事裁判が並行して行われていた場合、その判断との抵触も生じうる※

※ドイツ刑事訴訟法の特則と刑事裁判の民事裁判化の問題

 ドイツの刑事訴訟法第262条は、保護法益に関して本権説ないし民事実体法の判断に従属する立場に立ちつつ、同条2項において、民事裁判が行われている場合は、その決着がつくまで、刑事手続きを停止する特別規定がある。日本の刑事訴訟法には同様の規定は存在しない。そのため、窃盗罪における占有説、建造物損壊罪の「他人」性の解釈において民事の権利関係に従属しない解釈(最決昭和61・7・18)を判例は採用しているともいえよう(民法独立説)。しかし、窃盗の場合は242条という規定があるが、建造物損壊罪の場合は対応する規定はないこと、民事実体法の権利関係から完全に独立した刑法上の「所有権」なるものを措定することは、民事上保護されない利益=外形的権利が存在するような事実状態・平穏を保護するものであって、財産罪の性格を変えてしまうし、刑法の謙抑主義にもそぐわず妥当でない。そこで、判例の結論を維持するため、所有権の立証の程度を緩める見解(修正本権説)が主張される(林・前掲179頁参照)。なお、判例が占有説を採用した事案は、本権説でも説明できるとの主張もあるが、本権説にたっても、刑事裁判の民事裁判化の問題について、解釈ないし立法上の手当が必要である。

 

 ドイツ刑事訴訟法

第262条 

第1項「行為の可罰性が民事法上の法律関係の判断にかかるときは、刑事裁判所は、この法律関係についても、刑事事件の手続及び立証に適用される規定に従って判断する。」

 第2項「前項の規定にかかわらず、裁判所は、審理を延期し、関係人が民事訴訟法を提起するための期間を定め、又は民事裁判所の判決を待つことができる。」

 

(2)                   この占有説を徹底すると、所有権者が、窃盗犯人から被害品を取り戻す行為も窃盗になるのではないかとの批判があるが、そのような場合は、自救行為を認め違法性阻却するという(この点、本権説からは広く自救行為を認めると占有説を採用する意味がほとんどなくなるとの批判もある。)。むしろ、占有説は、本権説では、窃盗犯人から第三者が被害品を盗んだ場合や、麻薬などの禁制品を盗む行為が、窃盗にならないのではないかと批判し、かかる場合でも占有説は、窃盗を認めることができ、妥当であるとする。※

※本権説・占有説・中間説

 学説上は、本権説と占有説との中間説が有力である。たとえば、平野博士は、窃盗犯人からの財物奪取する所有者の行為について、窃盗犯人の占有は平穏なものではないので、保護に値しないとして窃盗の成立を否定する(平穏占有説)。類似の見解として、一見不法な占有といえない占有、適法な外観を有する占有、合理的理由のある占有などが主張されているが、判断基準は明瞭性を欠く。それゆえ、本権説の再評価ないし修正説が近時有力に主張されている。

すなわち、本権説からの中間説として、窃盗犯人の占有は、所有者に対抗できない、禁制品も所有権自体は否定されない(法的手続きでなければ没収されない利益を有する)、盗品の奪取は、所有者の所有権を再度侵害する、権利の所在の認定は刑事手続きで行うべきであるが、その認定は緩やかでよいなどの修正本権説が主張されている(林幹人など)。しかし、所有権制度と占有制度が財貨帰属秩序の静的安全の基盤として財産秩序上要保護性があることからすれば、後述するように窃盗罪の保護法益を所有権その他本権か占有かの択一関係で理解するのは妥当でない。また、占有の「平穏」性を保護対象とすることは、窃盗罪が平穏侵害罪と位置づけることになり、財産侵害罪としての性格を変えてしまうことになり、妥当とは思われない。

(3)                   占有説は、窃盗の成立範囲を拡張するものであるが、その政策的な意図は、刑事訴訟の民事裁判回避と同時に、所有権その他の本権者の自力救済を原則禁止することにより、社会秩序の安定を目的としていると指摘される(山口厚・問題探求刑法各論98頁参照)。つまり、財産法秩序の自力救済禁止の原則の実効性担保が占有説の政策的根拠といえる(換言すれば、財産法上の占有制度・自力救済禁止という規範の維持が占有説の実体である。)。しかし、そうだとすると、占有説の立場からは、自救行為による違法性阻却の範囲は厳格かつ限定的消極的に解されることになる(学説と異なり、判例の傾向は、この意味で政策目的からは一貫する。)。しかし、平穏占有説が指摘したように窃盗の現場で窃盗犯人から財物を取り戻す行為は、238条の事後強盗の前提として、当然適法と解すべきで有り(違法な行為に対し、暴行を加えることは、正当防衛となってしまい事後強盗の成立の余地がなくなってしまうから)、この場合は、占有説でも、当然自救行為ないし正当防衛を認めるべきである。

(4)                   なお、占有説は、従来、占有のみを保護法益と解し、242条を注意規定と解する見解が一般的であったが(牧野、大塚など)、決して所有権その他の本権を保護法益として除外する趣旨ではないと解すべきである。けだし、235条は他人の物というのは、他人の所有物と読むのが自然で有り、そうであるからこそ242条の規定の意味がある。つまり、正確には、235条は所有権を原則として保護法益とする規定であり、242条は、例外的に占有自体を保護法益とする規定と理解すべきである(本権・占有二重保護説 なお、従来は本権説が例外規定と解していた。)。けだし、窃盗後の財物の毀棄行為や、占有離脱物横領行為が不可罰的事後行為と解されるのは、窃盗罪が不法領得の意思に裏付けられた所有権侵害行為であってはじめて理解できるのであり、所有者の窃盗行為の場合は、自己物の毀棄または領得行為であるから、事後行為は当然原則不可罰となるからである。

また、このように窃盗罪は本権・占有の二重の保護法益であり、不法領得意思に裏付けられた犯罪と理解すると、強盗、詐欺、恐喝、委託物横領、業務上横領、占有離脱物横領などの領得罪の間における抽象的事実の錯誤や、共犯関係について構成要件の「実質的重なり合い」を認めることができ、判例通説の構成要件的符合説、部分的犯罪共同説の適用が容易になる。