解雇
やけどの治療と闘っている間
さらなる出来事が起きる
やけどをしてLIVEも出れなかった時期が長すぎたのか
事務所からギターリストととしての価値がないとの判断で
解雇になった。
なんとなく予想は出来ていたものの現実は辛かったなぁ…
メンバーにも迷惑がかかるから
「違うギターをいれてメジャー行ってください」
って言った。
でも
「GuyのギターSOUNDがなくなると全て変わるから駄目だ」と言われてメンバーも事務所をやめてしまった。
後にメンバーとはそれぞれ違う道に行くことになってしまうんだけれど
最高なメンバーだったなぁ。
事務所もレコード会社からも見捨てられたけれど
あの時の俺は怖いものなんかなくなってた。
ただLIVEに出たいギターが弾きたいという強い気持ちしかなかったから。
そして運命の12月のLIVEを迎える。
さらなる出来事が起きる
やけどをしてLIVEも出れなかった時期が長すぎたのか
事務所からギターリストととしての価値がないとの判断で
解雇になった。
なんとなく予想は出来ていたものの現実は辛かったなぁ…
メンバーにも迷惑がかかるから
「違うギターをいれてメジャー行ってください」
って言った。
でも
「GuyのギターSOUNDがなくなると全て変わるから駄目だ」と言われてメンバーも事務所をやめてしまった。
後にメンバーとはそれぞれ違う道に行くことになってしまうんだけれど
最高なメンバーだったなぁ。
事務所もレコード会社からも見捨てられたけれど
あの時の俺は怖いものなんかなくなってた。
ただLIVEに出たいギターが弾きたいという強い気持ちしかなかったから。
そして運命の12月のLIVEを迎える。
ライブにでたい…
たくさんの人の支えがあり
病院の懸命な治療もあって
包帯もだいぶ少なく巻くようになっていた。
相変わらず右手はうまく動かす事が出来ない
だけどこの時決めていた
12月のライブから出ようと…
ギターのソロが弾けなくてもいい…
例えコードしか弾けなくてもいい…
ライブで右手の皮膚が切れてしまってもいい…
ギターが弾きたい…
こんな気持ちでいたので12月のライブで復活するのをメンバーに話して復帰する決意を固めた
病院の懸命な治療もあって
包帯もだいぶ少なく巻くようになっていた。
相変わらず右手はうまく動かす事が出来ない
だけどこの時決めていた
12月のライブから出ようと…
ギターのソロが弾けなくてもいい…
例えコードしか弾けなくてもいい…
ライブで右手の皮膚が切れてしまってもいい…
ギターが弾きたい…
こんな気持ちでいたので12月のライブで復活するのをメンバーに話して復帰する決意を固めた
このブログは
なぜこのブログの内容を今載せるか
それはやけどしたのが10月の末だったからです
今までは小さな手書きの日記帳に書いてあったのをここに載せる事でさらけだせるのではないかと思いました。
まだ続きはあります
よかれば読んでいただけたら
嬉しく思います
それはやけどしたのが10月の末だったからです
今までは小さな手書きの日記帳に書いてあったのをここに載せる事でさらけだせるのではないかと思いました。
まだ続きはあります
よかれば読んでいただけたら
嬉しく思います
リハビリ
治療をはじめて一ヶ月
痛みはある相変わらずだったけれど先生に手を動かすリハビリをしなさいと言われた。
「こんな痛いのに動かすんですか?」
そう言うと
「動かさないと皮膚が強くならないの。動かせば皮膚が切れてしまうと思うけど新しい皮膚がまた作られてそのリハビリを続ける事によって皮膚が強くなるから」
とても怖かった。
でも動かす毎日が始まった
動かす度に包帯の中で皮膚が切れる感覚がした。
いつの間にか包帯は赤く染まっていた
病院から支給されていた
痛み止めの薬をもらっていたんだけど一回も飲まなかった。
それは飲む事でなおりが遅くなると思っていたから。
毎日リハビリを繰り返し
病院で消毒を繰り返し
所属していたバンドのライブも見に行った。俺がいない時もライブスケジュールはたくさん決まっていたからヘルプギターさんをいれてやっていた。
家ではリハビリの痛みに耐えながら左手だけでギターを毎日さわった。ギターを触りながら
「なんで弾けないんだよ!」
って悔し涙を流す時もあった。
でも それでも弾ける事を信じ
リハビリを続けた
痛みはある相変わらずだったけれど先生に手を動かすリハビリをしなさいと言われた。
「こんな痛いのに動かすんですか?」
そう言うと
「動かさないと皮膚が強くならないの。動かせば皮膚が切れてしまうと思うけど新しい皮膚がまた作られてそのリハビリを続ける事によって皮膚が強くなるから」
とても怖かった。
でも動かす毎日が始まった
動かす度に包帯の中で皮膚が切れる感覚がした。
いつの間にか包帯は赤く染まっていた
病院から支給されていた
痛み止めの薬をもらっていたんだけど一回も飲まなかった。
それは飲む事でなおりが遅くなると思っていたから。
毎日リハビリを繰り返し
病院で消毒を繰り返し
所属していたバンドのライブも見に行った。俺がいない時もライブスケジュールはたくさん決まっていたからヘルプギターさんをいれてやっていた。
家ではリハビリの痛みに耐えながら左手だけでギターを毎日さわった。ギターを触りながら
「なんで弾けないんだよ!」
って悔し涙を流す時もあった。
でも それでも弾ける事を信じ
リハビリを続けた
かけがえのない友
俺がやけどした時に
真っ先に心配して飛んできてくれた高校の時の親友
高校三年間を共に過ごし
現在も仲良しの友です。
彼はやけどして病院に通う俺を仕事の休みの日はいつも送り迎えをしてくれた。
このやけどの事件でさらに
俺は人の暖かさを痛感した
彼は俺が痛い顔すると
いつも笑って俺に
「痛い顔なんてらしくないな」
と笑って言ってたな。
それは彼の精一杯の優しさだった。
「俺は復活できんのかな?」
そういった俺に彼は
「あんたのギターはこのやけどで生まれ変わるんだ。だから必ず治るよ」
今でも忘れないな
あの言葉
昔母親に
友達は最高の財産と言われた事がある
その意味をしっかり味わえた。
彼は二年前にとても素敵な人と結婚しました。
その結婚式でギターを弾きました。
生まれ変わった手で。
やけどの話に戻ります。
真っ先に心配して飛んできてくれた高校の時の親友
高校三年間を共に過ごし
現在も仲良しの友です。
彼はやけどして病院に通う俺を仕事の休みの日はいつも送り迎えをしてくれた。
このやけどの事件でさらに
俺は人の暖かさを痛感した
彼は俺が痛い顔すると
いつも笑って俺に
「痛い顔なんてらしくないな」
と笑って言ってたな。
それは彼の精一杯の優しさだった。
「俺は復活できんのかな?」
そういった俺に彼は
「あんたのギターはこのやけどで生まれ変わるんだ。だから必ず治るよ」
今でも忘れないな
あの言葉
昔母親に
友達は最高の財産と言われた事がある
その意味をしっかり味わえた。
彼は二年前にとても素敵な人と結婚しました。
その結婚式でギターを弾きました。
生まれ変わった手で。
やけどの話に戻ります。