KAT-TUN亀梨和也様大好きな介護福祉士&創価学会員です。 -6ページ目

古都鎌倉に行って来ましたぁ~!~瑞泉寺編③~

他にも「南芳庵」瑞泉寺の茶室の一つに行きたかったのですが、一般参拝者というか一般客は入れないとの事で、断念⤵️一般参拝者以外というと、茶道関係者とか?瑞泉寺関係者とか?どなたを対象としているのでしょう?


嘉暦元年(1326年)夢窓疎石は南禅寺を退院し、二階堂道蘊(貞藤)が建立した「南芳庵」に入るが、翌年には浄智寺に移ってしまい、そこで、貞藤は嘉暦2年(1327年)に南芳庵の近くに新に瑞泉院を建立し、疎石を紅葉谷の地に戻すことができた。この年が後の瑞泉寺の創建年になっております。正平22年/貞治6年(1367年)に初代鎌倉公方・足利基氏の塔所となって瑞泉寺に改まりましたが、寺は隆盛を極め、南芳庵の他、保寿院、果証院、長春院、勝光院などの塔頭が設けられました。瑞泉寺の茶室・南芳庵や「南芳軒」、「保寿軒」はそれらの塔頭名に由来していようです。また、吉祥は「めでたい」とか「縁起が良い」という意味であり、「斎」は日本語の当て字であり、斎戒(神聖な仕事をする前に身を清めること)という意味があるようです。建て替え前は「南芳軒」であったそうです。庵(いおり)ではなく茶室だったので軒を用いていたのでしょう。「保寿軒」も同じく。
二階堂貞藤(文永4年(1267年)~建武元年12月28日(1335年1月23日))は元応2年(1320年)に出家し、法名は道蘊である。元弘2年/正慶元年(1332年)には鎌倉幕府の政所執事を務め、得宗・北条高時を補佐したが、建武政権に参加し、西園寺公宗による北条氏再興の陰謀に加担したとされ、建武元年12月28日(1335年1月23日)に六条河原において処刑された。享年68。このような歴史がある場所だったんですね!
門前の手水。井戸から自噴していて一年中枯れない。お茶に使う水なんだそうです。
「錦屏晩鐘」と名付けられた鐘が吊るされています。

瑞泉寺庭園

夢窓国師が作庭した庭園で、昭和に入ってから発掘されたものです。「貯清池」の向かって左側に、橋が二つありますが、この先は錦屏山の頂上の「徧界一覧亭」に続きます。このルートは一般には公開されていませんが、富士山を正面に臨む夢窓国師お気に入りの素晴らしい景色だそうです。

実際、側で見たら凄く広くて壮大な庭園でした。晴れていたらもっと見晴らしがよく素晴らしい景色だったんだろうと思いました。そして正面の大きな洞窟は「天女洞」といい、水月観の道場とされているそうです。
右奥には、座禅窟の「葆光窟」が穿たれています。
まさに日本庭園。照れ
これだけの庭園を作られたのは夢窓国師、凄いと思います。
昔の人って寺院一つにしても他の家屋にしてもこうした庭園にしても現代人よりめちゃめちゃ優れていると思います。
この風景も何とも言えない良さがあります。
名勝瑞泉寺庭園内です。
多分ですが、奥に見えるのは「安国利生塔」だと思います。緑多き景色の中に違和感なく溶け込んでいるのも素敵です。

夢窓国師の勧めにより、足利尊氏,直義兄弟は、全国六十六国二島に「安国寺」を創建し、その境内に「安国利生塔」を建立しました。相模国では、現在の長寿寺の前に「安国寺」があったことから、当初はそちらに建立されていたはずですが、廃寺となったため、後になって夢想国師を開山に仰ぐここ瑞泉寺に五輪塔の形式で建立されたものと思われます。

瑞泉寺の惣門入り、拝観受付までの途中の右側の小道を入ったら(瑞泉寺から出た場合は、左側)すぐにこのような案内板あり、何かなあ?と思い見てみると『鎌倉天園ハイキングコース瑞泉寺側入口』でした。
ハイキングコースの案内図
えっ?こんな狭い暗い道から入るの?って思いました。でもこういう道嫌いじゃないです。今回は、雨降りでぬかるみも凄かったし、ハイキングに相応しい格好でもなかったのでこれ以上は、進みませんでした。

因みにこちらは天園ハイキングコースの参考画像です。(以前に別ルートで行った事がありその時のものです。)このようにきちんとした道もありますが、
季節によって両脇に咲いている花も楽しめます。
このように一応道らしき感じではあるが、この先は険しく
こんな感じで道になっていなく足元を気をつけながら歩かないと危険というところがたくさんあります。
案内ルート板がある程度進むとあります。その後ろは崖になっていて一応囲ってはありますが、何せ山道なので、場所によっては道幅が狭く、尚且すぐ横は崖で囲いもなく、踏み外したら真っ逆さまに転落の可能性がある場所もあります。でもこういう山道嫌いじゃないです。ニヤリそして尚且、ひっそりと佇む山寺などがあったら良いかなと思います。そしてハイキングコースの山の中の途中に『貝吹地蔵』や『やぐら』等の遺跡もたくさんあります。今は右膝の調子が良くないから、もし秋頃に右膝の調子が悪くなかったら天園ハイキングコースにまた挑戦したいなあと思います。

「通玄橋」から下を見ると川があり、綺麗な水が流れております。
「通玄橋」です。
こちらも「通玄橋」の下を見たら川が流れており、静寂な中で流れる水の音が何とも言えない別世界を感じさせてくれます。ニヤリ今回は瑞泉寺のみの遺跡巡りでしたが、次回もし来月辺り鎌倉へ行ける機会があったら6月ですし、紫陽花の名所を中心に遺跡巡りが出来たらと思ってます。





古都鎌倉に行って来ましたぁ~!~瑞泉寺編②~


ちょっとわかりずらいですが、こちらは下の石碑の歌碑の「山崎方代」について書いてあるようです。山門前のこちらは右側にありました。
こちらの石碑も山門前の右側にありました。最初わかりずらかったですが、『山崎方代の歌碑』で 「手の平に 豆腐をのせて いそいそと いつもの角を 曲がりて帰る」と書いてあります。
松蔭吉田先生留跡碑
明治維新の指導者の一人吉田松陰は、1854年(安政元年)、下田で密航を企てる直前に、瑞泉寺の住職であった伯父の竹院和尚に会いにきたといわれる。 企ては失敗。松蔭は獄中で瑞泉寺を訪れた詩を詠じたいう。 「山の青々とした竹の光が窓から射し込んでくる。方丈は奥深く、錦屏山の懐に抱かれて物静かである。いま私は囚われの身となって獄中にあり、むなしく苦しみを味わっている。ある夜夢に瑞泉寺を訪ねた」 瑞泉寺山門の前の石碑は、1929年(昭和4年)に建立されたもので、徳富蘇峰の筆によるものだそうです。

山門を入ると緑多き景色が広がってました。奥にみえるのは「庫裡」です。

大きな玄関があります。ここでご朱印を頂けます。

名勝瑞泉寺庭園内を歩きました。今はあまりいろいろな花が咲いてないですが、緑一色の景色も風情があって良いと思います。
雨が降ってなかったら、少しここに座り休憩しながら景色を堪能しようかなあと思ったてましたが、雨なので諦めました。
本堂です。ご本尊は「釈迦如来像」です。左手には「千手観音坐像」があります。
開山の夢窓疎石は、鎌倉時代中期から南北朝時代にかけて禅宗で重きをなしました。 北鎌倉にある建長寺、円覚寺、浄智寺といった「鎌倉五山」のお寺にも深く関わっていました。 特に円覚寺は重要です。 円覚寺の境内にある「黄梅院」という塔頭は夢窓疎石の塔所です。
 瑞泉寺(臨済宗円覚寺派)は、夢窓疎石(国師)が開いた寺。
 1327年(嘉暦2年)、幕府の御家人二階堂道蘊(貞藤)が国師のために建立した瑞泉院がはじまりといわれ、鎌倉公方となった足利基氏が中興して瑞泉寺とした。
 山号は錦屏山。
 国師作の禅の思想に基づいた庭園は、書院庭園の起源ともいわれ、国の名勝に指定されている。
 足利基氏以降、代々鎌倉公方の菩提寺として栄え、関東十刹の格式を誇り、塔頭も十二院を数えたという。
 江戸時代には、徳川光圀が千手観世音を寄進。
 開山堂の夢窓国師坐像(頂相彫刻)は国の重要文化財。

古都鎌倉に行って来ましたぁ~!第2段~瑞泉寺編①~

フォロワーの皆様!お元気でお過ごしでしょうか?私はまあまあ何とか元気に過ごせてます。何せ糖尿病やら高血圧症やら高脂血症、逆流性食道炎、右膝変形性膝関節炎、腰椎椎間板ヘルニア等、いつの間にか持病が増えてしもうた⤵️プンプンあとは糖尿病持ちだから定期的に眼科受診してます。
あっ❗️めちゃめちゃ話がそれてしもうた。びっくりまたまた鎌倉に行って来ましたよ!今回は生憎の雨、おまけに寒い~⤵️ショボーン昨日は5月にしてはめちゃめちゃ暑くて汗だく☀️😵💦になってたのに、今日は寒いとは体がついていけない。⤵️おかげで何となく体調が優れない1日でした。が、鎌倉に行って来ましたよ!でも今日は雨という事もあり、瑞泉寺だけにしました。次回は鎌倉宮や杉本寺に行けたらと思ってます。来月は6月、紫陽花の季節ですね~去年は明月院に行ったんですけどね!明月院以外で紫陽花が楽しめる場所があったらそれもいいかなあ~爆笑
惣門の少し先の左手に受付があります。
拝観受付までの途中の景色。空模様が良くないからいまいちかもですが、周りの山々と木々がたくさんある景色って何か凄く良い感じ。
受付を済ませると、うん⁉️ 長州藩士  吉田松陰?と吉田松陰と縁深きお寺だったとはビックリでした。びっくりしかもここは鎌倉市、吉田松陰は長州藩今は山口県萩市の出身。意外や意外。
山門までの途中の景色。そして時折、聞こえる鶯の鳴き声ニヤリ良いですねぇ~照れ
最初間違えてこちらに行こうとしてしまいましたが、瑞泉寺に行く人は立ち入り禁止でした。
瑞泉寺の案内板。
瑞泉寺は、鎌倉宮からさらに二階堂の奥深く入った谷戸にあり、ここを目的に訪れる方を除いては、通りすがりの観光客の目に止まることのない静かなお寺です。こういう静かな場所にひっそりとある感じが私は好きです。鶴岡八幡宮や円覚寺や明月院とかも風情があって景色も良いので好きなんですが、人混みが苦手なので先日行った報国寺や浄妙寺、今回訪れた瑞泉寺みたいな静かな場所にある方が好きです。そして関東公方足利家の菩提所であった瑞泉寺は、鎌倉五山に次ぐ関東十刹の首位に位置付けられる名刹で、江戸時代には、徳川家からも庇護を受けておりましたお寺です。
この苔の石段で有名な瑞泉寺ですが、因みにここは、『男坂』とも呼ばれております。晴れていたらここから行きたかったのですが、今日は雨だったので、万が一滑って転んだりしたら・・・チューと思い今日は止めました。
苔のない石段で山門まで行きました。 因みにこちらは『女坂』と呼ばれております。
朝の澄んだ空気の中、緑の静寂に包まれながら長い石段を登り切ると、現れる山門の先の別世界の景色が広がっております。
山門までの途中、右側に竹林。雨でもめちゃめちゃ眺めの良い癒される景色でした。
この景色、鎌倉ならではの風情があって良いですね~照れ
瑞泉寺境内の案内図
山門前の左側に石が点々と砂利道に敷かれており、その先を行ってみると何と苔の石段が見えました。苔の石段はここに通じてたんですね~ニコニコ
ちょっと何書いてあるかわかりずらいですが、下の石碑の歌碑の「吉野秀雄」について書いてあるようです。山門前の左側にありました。
こちらの石碑も山門前の左側にありました。最初わかりずらかったのですが、『吉野秀雄の歌碑』で 「死をいとひ 生をもおそれ 人間の ゆれ定まらぬ こころ知るのみ」と書いてあります。