古都鎌倉へ紫陽花を見に行って来ましたぁ~!~長谷寺③~
ここでお腹もすきましたし、ちょっと一休み。![ウインク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/004.png)
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「海光庵」で昼食
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「あじさいフィズ」紫陽花をイメージした色で、涼しげな感じでしょう?味もソーダ―の味に似ていてめちゃめちゃ美味しかったですよ!
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食後に抹茶とお団子🍡のセットを召し上がりました。抹茶は冷茶にして頂いて抹茶にお団子って合いますね~!
美味しい食事に美味しいデザート。
余は満続じゃあ~![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/007.png)
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その後は、本堂の前を通り、
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「かきがら稲荷」へ来ました。
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~牡蠣殻に導かれてやって来た観音様~
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長谷寺に伝えられている梵鐘は、「文永元年(1264年)甲子7月15日新長谷寺」の銘文があるもので、鎌倉では常楽寺、建長寺の梵鐘に次いで古いものだそうです。(鎌倉四大古鐘の一つ。)。
時代の特徴がよく表された優品で、現在は観音ミュージアムに収蔵されているそうです。(鋳物師・物部季重 国重文)。
※鐘楼に吊されている梵鐘は新たに鋳造されたそうです。
時代の特徴がよく表された優品で、現在は観音ミュージアムに収蔵されているそうです。(鋳物師・物部季重 国重文)。
※鐘楼に吊されている梵鐘は新たに鋳造されたそうです。
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次は、いよいよ本堂です。長谷寺の本尊は、「木造十一面観音」。 721年(養老5年)、開山の徳道の願いによって、稽文会(けいもんえ)と稽主勲(けいしゅくん)という二人の仏師が、一本のクスノキから二体の十一面観音像を彫り上げたそうです。 一体は奈良の長谷寺に安置されたが、もう一体は「有縁の地に出現して人々を救うように!」という願いから、行基によって海に投げ入れられたのだという。 その観音像が15年後の736年(天平8年)、三浦半島の長井の浦に流れ着いたことから鎌倉に遷座され、長谷寺が創建されたのだと伝えられているそうです。 『相州鎌倉海光山長谷寺事実』によると、1200年(正治2年)、大江広元が長谷寺を再建したそうです。 1264年(文永元年)には、北条時宗を奉行として維康親王が本堂を建立しているのだという。 ただ、現在安置されている「十一面観音像」は、徳道の時代のものとは言い難く、室町時代以降の作と考えられているらしい。 「十一面観音像」は、高さ9.18メートルで日本最大級。 |
※ | 鎌倉時代の長谷には、地獄の情景を表す円応寺(新居閻魔堂)があった。 長谷寺は、その円応寺と極楽浄土へと導く鎌倉大仏とともに浄土信仰に基づく情景を構成する寺院群の一つだったという説があるそうです。 |
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古都鎌倉へ紫陽花を見に行って来ましたぁ~!~長谷寺②~
そして
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大黒堂に向かいました。
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鎌倉・江ノ島七福神の一つとして大黒天を祀っています。長谷寺伝世の大黒天像は、1412年(応永19年)の銘を持つ神奈川最古の尊像として、現在は観音ミュージアムに収蔵されています。これに代わり、堂内には「出世開運授け大黒天」が祀られております。
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充分にご利益のある人生を過ごさせて頂いているので、特にさわってはきませんでしたが、さわるとご利益があるという「さわり大黒」。大黒堂に安置されております。
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八臂弁財天が祀られている堂。近くに弁天窟がありますが・・・☺️
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ちょっと横道に反れてみまして、ここは書院(写経会場) 写経会場は通年開設しており、いつでも写経・写仏の体験は可能だそうですが、私は自分の信仰している宗教の関係で写経・写仏の体験はご遠慮させて頂きました。私が鎌倉の数々の寺院に何度となく訪れているのは、あくまでも一つは観光としての目的ともう一つは日本史好きの私にとっては歴史の勉強としての目的なのです。いろいろな寺院や遺跡を見る事が私にとっては鎌倉時代の歴史を改めて知る事がとても楽しいのです。鎌倉時代から何千年以上も経っているこの時代にこんなにたくさんの遺跡があるのは素晴らしい事だなあと本当に思います。
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弁天窟に行く途中の景色。
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まだまだ紫陽花が綺麗ですねぇ~!
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いよいよ!弁天窟は、弘法大師が参籠した洞窟として知られ、洞窟内の壁面彫刻(二臂の弁財天と十六童子)は、1967年(昭和42年)に寄進されたもので、「出世弁財天」として信仰を集めているそうです。その他にも十六童子像があり
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古都鎌倉へ紫陽花を見に行って来ましたぁ~!第3段~長谷寺①~
ご無沙汰致しております。
かなり🆙が遅くなってしまい、申し訳ない⤵️
夏到来!毎日暑い暑い☀️😵💦今日も暑い🥵そんな最中でしたが、紫陽花もそろそろ終わりになってしまうと思い、あじさい寺で有名な「明月院」は去年行きましたので、今年は、こちらもやはり紫陽花で有名なじゃ~ん❗️❗️「長谷寺」に行って来ましたぁ~!😃⤴️鎌倉はやっぱり暑い🥵紫陽花観賞も汗だく☀️😵💦になりましたよ!
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![ショボーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/017.png)
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長谷寺(はせでら)は、736年(天平8年)の開創と伝えられ、「長谷観音」の名で親しまれている(奈良の長谷寺に対し「新長谷寺」と呼ばれていた。)。
開山の徳道の願いによって一本のクスノキから彫られたという本尊の「木造十一面観音像」は、高さ9.18メートルで日本最大級だそうです。
開山の徳道の願いによって一本のクスノキから彫られたという本尊の「木造十一面観音像」は、高さ9.18メートルで日本最大級だそうです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230628/19/dtgdgd/7f/11/j/o0540108015305614272.jpg?caw=800)
山門の右側
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出世を叶えて下さるありがた~い大黒天様がおられるのですね!
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中に入り、今日はとにかく暑い☀️😵💦既に汗だく🥵
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「方生池」
境内には書院の前にある「枯山水庭園」、経堂に隣接する「清浄池」の苔の美しい日本庭園と庭園が境内に散見されます。
「放生池」は境内の入り口付近・本堂への石段の麓に位置しており、複数の池が配された池泉回遊式庭園です。庭園は四季の花で彩られ、特に6月の紫陽花の筏が風流ですねぇ~✴️
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230628/19/dtgdgd/04/d0/j/o1080054015305614389.jpg?caw=800)
初夏の6月のこの風景
何とも言えない日本庭園ならではの癒しを感じます。
![ニヤリ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/003.png)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230628/19/dtgdgd/04/d2/j/o1080054015305614419.jpg?caw=800)
この景色も何とも言えない癒しを感じました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230628/19/dtgdgd/27/58/j/o1080054015305614440.jpg?caw=800)
高山樗牛は、明治時代の評論家・思想家。
夏目漱石とともに美学研究のためヨーロッパへ留学するはずであったが、結核を患い断念。
田中智学に惹かれ、その影響から日蓮の研究を進めたそうです。
晩年を長谷寺の境内で過ごし、葬儀も長谷寺で行われた。墓所は清水市の龍華寺(日蓮宗)にあるそうです。
妙智池畔の住居跡碑は、大佛次郎らによって建立されたものだそうです。
夏目漱石とともに美学研究のためヨーロッパへ留学するはずであったが、結核を患い断念。
田中智学に惹かれ、その影響から日蓮の研究を進めたそうです。
晩年を長谷寺の境内で過ごし、葬儀も長谷寺で行われた。墓所は清水市の龍華寺(日蓮宗)にあるそうです。
妙智池畔の住居跡碑は、大佛次郎らによって建立されたものだそうです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230628/19/dtgdgd/fa/00/j/o0540108015305614459.jpg?caw=800)
久米正雄は、小説家・劇作家・俳人。
夏目漱石の門人。
1923年(大正12年)の関東大震災時には長谷にいて、長谷寺に避難。
大地震の模様を『鎌倉震災記』に記したそうです。
1925年(大正14年)から鎌倉に居住し、町議を務め、1934年(昭和9年)から始まった「鎌倉カーニバル」の開催に尽力したそうです。
1936年(昭和11年)には、「鎌倉ペンクラブ」を結成して初代会長を務めたそうです。
第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)には、川端康成らとともに貸本屋「鎌倉文庫」を創設したそうです。
「鎌倉文庫」は、戦後、出版社として東京に進出し、久米が初代社長を務めていたそうです。
長谷寺の胸像は、久米の三回忌に鎌倉ペンクラブが建立したんだそうです。
墓所は瑞泉寺にあるそうです。
1923年(大正12年)の関東大震災時には長谷にいて、長谷寺に避難。
大地震の模様を『鎌倉震災記』に記したそうです。
1925年(大正14年)から鎌倉に居住し、町議を務め、1934年(昭和9年)から始まった「鎌倉カーニバル」の開催に尽力したそうです。
1936年(昭和11年)には、「鎌倉ペンクラブ」を結成して初代会長を務めたそうです。
第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)には、川端康成らとともに貸本屋「鎌倉文庫」を創設したそうです。
「鎌倉文庫」は、戦後、出版社として東京に進出し、久米が初代社長を務めていたそうです。
長谷寺の胸像は、久米の三回忌に鎌倉ペンクラブが建立したんだそうです。
墓所は瑞泉寺にあるそうです。
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