古都鎌倉へ行ってきました~建長寺編⑤~
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達磨大師像
2010年(平成22年)、中国少林寺より信託された禅宗開祖達磨大師坐像 当初は法堂前に置かれていたが、現在は半僧坊大権現の参道に置かれています。 |
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半僧坊の参道を歩いているとこのような竹林が広がる景色。静寂に包まれ鳥のさえずりが微かに聞こえ、日本ならではの和の雰囲気を醸し出しておりました。
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半僧坊大権現は、建長寺の鎮守。
建長寺の山の中腹にあります。
後醍醐天皇の皇子「無文元選禅師」(むもんげんせんぜんじ)が開いた静岡県浜松市にある方広寺が半僧坊の本元だそうです。
禅師につき従っていた男が、薪採りや水汲み、食事の仕度をしていたので、「飯僧」と呼ばれ、のちに「半僧坊」と呼ばれるようになったのだという事だそうです。
この男は、禅師が中国での修行を終えて帰国する途中で嵐に遭った際に禅師を助けたといわれています。
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五代執権北条時頼が宋の蘭渓道隆を招いて開いた日本で初めての「禅専門道場」ですからね!北条家ゆかりのお寺なんですね~!鎌倉は北条家ゆかりの地でもありますので、建長寺の他にも北条家の家紋があちこちにありますよ!鎌倉を訪れた際は、探して見るのも良いと思います。「こんな所にも北条家の家紋があったぁ~☺️」なんて思いがけず発見したり等、案外面白く楽しいと思います。それから江の島にも北条家の家紋があちこちあります。「ここにも。こんなところにも」って感じで。因み階段の手摺りにも北条家の家紋がありました。☺️
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東慶寺や浄智寺、成就院等も明月院や長谷寺程知られてはいないですが、
密かに紫陽花の名所です。全部行けるかはわからないですが、遺跡巡りがてら紫陽花&その他の初夏の花観光に行ってみようと思っております。
古都鎌倉へ行ってきました~建長寺編④~
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こちらは、昭和時代、戦前戦後を通じて活躍した鎌倉文士・石塚友二の句碑です。昭和36年11月22日の時頼忌に際して建立されたものだそうです。「好日や わけても杉の 空澄む日」
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「花塚」です。毎年4月8日の「花まつり」では、花塚の前で花供養が行われます。
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毎年5月28日の「茶筅供養」では、「茶筅塚」の前で、茶筅のお炊き上げが行われています。
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こちらは、「茶筅塚」の隣にある「茶盌塚(ちゃわんづか)」です。
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正統院前の神雷戦士の碑への案内板横の石像
特攻兵器「桜花」部隊であった第721航空隊、第722航空隊(別称神雷部隊)の英霊をまつる鎮魂碑。
建長寺正統院の墓地岩崖の洞窟内に、昭和40年3月21日に建立されたもので、洞窟奥に海軍神雷部隊戦没者芳名の碑板が設置されています。
戦争はどんなに綺麗事言っても所詮人と人の個炉市合い。その先に明るい未来も幸せもないんです。第二次世界大戦でどれだけの多くの人たちが犠牲になったか。広島長崎の原爆もそう。悲惨の二文字しかないです。二度と繰り返してはならないし、戦争で犠牲になった人たちがいたという事を決して忘れてはならないと思います。
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正統院(しょうとういん)は、第十四世高峰顕日(こうほうけんにち)の塔所。 本尊は文殊菩薩。 もとは浄智寺にあったが、夢窓疎石によって建長寺の無学祖元の塔所として建てられた正続院跡に移された(正続院は円覚寺に移されている。)。 高峰顕日は後嵯峨天皇の皇子といわれ、鎌倉では第二世兀菴普寧(ごったんふねい)に学び、無学祖元の法を嗣ぎ法衣と法語を授かったといわれています。 浄妙寺、浄智寺を経て建長寺に住した。 和歌にも秀で冷泉為相とも交流をもち、「仏国禅師和歌集」を残している。 木造高峰顕日坐像(重要文化財)は、肖像彫刻(頂相彫刻)の傑作。 ここも拝観はできません。 |
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私小説家葛西善蔵は、1919年(大正8年)、実家青森に妻子を残し、静養をかねて建長寺の塔頭宝珠院に移ってきたそうです。
宝珠院の庫裡を借りて、食事や酒は茶店招寿軒に頼んだ。運んでくれたのが招寿軒の娘ハナ(浅見ハナ)で、のちに同棲している。
このころの半僧坊への参道には、多くの茶店が並び、○○講の旗が軒先に立てられていたという。
招寿軒は、半僧坊参道が回春院への道と河村瑞賢墓への道とに分かれる辺りにあって、1965年(昭和40年)に火災によって焼失したが、現在あるのは再建された建物です。
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古都鎌倉へ行ってきました~建長寺編③~
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法堂(はっとう)は、法を説くための堂です。
当初の法堂は、1275年(建治元年)、建長寺開基で五代執権の北条時頼十三回忌のときに創建されました。
(今あるのが最初じゃないんだあ。)
現在の法堂は、1814年(文化11年)に再建(上棟)されたもので、関東一の大きさ。
鎌倉で法堂が残されているのは建長寺のみ。 (←どちらにしても貴重な遺跡ですね~!)
法堂は、住職が説法をする場所であることから、仏殿のように仏像を安置しないのが通常でありましたが、次第に涅槃会・降誕会(花まつり)・開山忌などの儀式が執り行われる堂となっていったんだそうです。
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釈迦苦行像です。 仏教の開祖・釈迦は、29歳で出家し、約6年間にわたって断食と坐禅の日々を送り、35歳の時に菩提樹の下で悟りをひらいた。釈迦が悟りをひらいた事を「成道」(じょうどう)と呼び、成道の日とされる12月8日には「成道会」が行われる。 建長寺の釈迦苦行像は、釈迦が極限の苦行・禁欲(断食)をしている姿を現しているもので、ガンダーラ文明の遺産でラホール中央博物館に安置されている像の模造。 2005年(平成17年)の愛知万博に陳列された後、パキスタン国より建長寺に寄贈された。 |
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建長寺法堂の天井画「雲龍図」は、2000年(平成12年)、建長寺創建750年記念事業の一環として、十二所の日本画家・小泉淳作によって描かれたものです。
足かけ3年に亘る大作。
龍は仏の教えを人々に伝えるといわれ、天井に龍を描くのは修行僧に「法(教え)の雨を降らす」という意味があるのだという。
また、「火災から護る」という意味もあるらしい。
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2009年(平成21年)4月、堂内に華厳小宝塔が安置されました。
吉田管長の願いにより諏訪の宮大工が製作したもの。
建長寺には創建当初より華厳塔が建立されていたが、度重なる火災によって焼失し、以後再建されていません。
この塔の製作には、大華厳塔復興の願いが込められている。
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建長寺法堂に掲げられている「海東法窟」の額は、かつては東外門に掲げてあったものです。
「中国・宋から海を渡って仏法が伝えられた寺」という意味があります。
西外門に掲げられている「天下禅林」の額と同じく竹西によって書かれた。
宝物風入で拓本を拝観することができます。
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「収蔵庫」
こちらは、2015年に竣工した収蔵庫で、寺宝を守るため耐火性を強化しています。大庫裡の裏手にあります。
やはり貴重な遺跡のお宝が入っているのですね!見たいなあ~!
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建長寺の方丈の正門は、「唐門」(からもん)と呼ばれております。
屋根が唐破風になっている門という意味。
禅宗寺院の方丈に唐門を配置するようになったのは後世のことで、創建当時から唐門だったかどうかは不明。
何だか位の高い大名が、出てきそうな感じ。
唐門前は、様々な花が楽しめる場所でもありますが、5月ですのでほとんどの花は散っておりました。
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唐門は、徳川家の菩提寺増上寺の崇源院御霊屋(おたまや)の中門だったもので、1647年(正保4年)に仏殿や西来庵中門とともに建長寺へ移築されました。
2011年(平成23年)に保存修理が完了し、全面に飾金具が付けられていた華美な姿が復元されています。
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